《官能小説》『畳を上げた七日間』第2話|娘が出ていった四畳半で、妻が声を我慢しなくなった
今夜も一組だと決めて、二人きりの廊下で真澄は直人の襟をつかんで引き止めた。
四畳半の襖の前に、二人で立っていた。
指が、襟に触れたまま止まっている。
「開けないの?」
「開ける。その前に、ひとつ聞いていい?」
「なんだよ」
「こわいって言ったら、笑う?」
「笑わないよ」
こわいものの正体
わたしは、つかんだ襟を離さなかった。
指の下で、Tシャツが汗で湿っていた。
「あの子の部屋で寝るのが、こわい」
「寝るだけだろ」
「寝るだけじゃない」
「……ああ」
「わかった?」
「わかった」
「言わせないでよ」
「言ってないだろ」
「顔に出てた」
「暗いのに見えるのか」
「見える」

今日あったことを並べる
「今朝、八時ぴったりに来たね」
「畳屋は朝が早い」
「三人来た」
「若いのが一人いたな」
「二十代だった」
「あれで五年目だってさ」
「聞いたの?」
「聞いた」
「畳、あっさり上がったね」
「梃子を差して、持ち上げるだけだ」
「十八年、重いと思ってた」
「思ってただけだろ」
「下が板だなんて知らなかった」
「畳の下、見る機会ないもんな」
「節だらけの、荒い板だった」
「古い家だからな」
「隙間から、冷たい空気が上がってきた」
「床下だ」
「土の匂いがした」
「十八年、あの匂いが畳の下にあった」
「くさかった」
「くさいな」
「でも、知ってよかった」
「なんで」
「うちの下が、どうなってるか」
昼はおにぎりを二人で食べた
「お昼、おにぎりだったね」
「椅子がないからだろ」
「椅子は物置」
「客間から出したやつの行き場がない」
「うちの物、多すぎる」
「昨日も言った」
「昨日も思った」
「台所の板に、並んで座って食べた」
「そうだな」
「十八年、朝ごはんはテーブルの角と角だった」
「対角線な」
「今日は、肩がくっついてた」
「椅子がないからだ」
「そういうことにしとく」
「そういうことにしとけ」
「おにぎり、二個ずつだった」
「数えるなよ」
「数える」
客間に青い畳が入った
「夕方、青いのが入ったね」
「い草だ」
「あんなに青いと思わなかった」
「新品はあんなもんだ」
「部屋に入ったら、匂いでくらっとした」
「草の匂いだからな」
「今夜は寝られないんでしょ」
「一日置くって言ってた」
「なんで」
「落ち着かせるんだと」
「畳が落ち着く」
「そういうもんらしい」
「じゃあ、今夜は四畳半」
「そうなるな」
「逃げ場ないね」
「逃げるつもりだったのか」
「なかった」
襖を開ける
直人が、襖に手をかけた。
わたしは、まだ襟を離していなかった。
「離せよ」
「離す」
「離してないだろ」
「もうちょっと」
「なんだよ」
「心の準備」
「大げさだな」
指を、一本ずつ離した。
襖が、横に滑った。

四畳半は空っぽだった
部屋には、机だけが残っていた。
娘が持っていかなかったやつだ。
畳は、焼けていなかった。
「焼けてない」
「カーテン閉めっぱなしだからな」
「一年半」
「陽が入ってない」
「客間は茶色かったのに」
「ここは青いままだな」
「もったいない」
「明日、剥がすんだけどな」
「もったいない」
「二回言った」
「二回言うよ」
机の傷を数える
学習机の天板は、傷だらけだった。
わたしは、掌で撫でた。
でこぼこしていた。
「シールの跡」
「剥がしたな」
「これはボールペンの押し跡」
「下敷き使わないからだ」
「この長いのは?」
「カッターだろ」
「切ったんだ」
「切るよ、子どもは」
「この丸いへこみは?」
「コンパスじゃないか」
「刺したの?」
「刺すよ」
「十二年、使った」
「小一から高三までな」
「よく持った」
「よく持ったな」
「捨てないよ、これ」
「言うと思った」

柱の線を数える
入口の柱に、鉛筆の線が並んでいた。
いちばん下が、七十センチくらいだ。
いちばん上は、百六十を少し超えている。
「十八本ある」
「十八年ぶんだな」
「毎年、五月十日」
「誕生日な」
「あなたが線を引いた」
「そうだったか」
「そうだよ。わたしが頭を押さえてた」
「動くんだよな、あれ」
「動く」
「背伸びするし」
「するする」
「ずるするなって、あなた怒ってた」
「怒ってたか」
「怒ってた。一回だけ」
「一回か」
「一回」
「最後、いつやめた」
「高三の年」
「そのあと測ってないな」
「もう伸びないからって」
「そう決めただけだ」
「そうだね。決めただけ」
娘の布団は使わない
押し入れを開けた。
娘の布団が、まだ入っていた。
「あるじゃないか」
「使わない」
「本人が置いてったやつだろ」
「そうだけど」
「向こうで買ったって言ってなかったか」
「言ってた」
「じゃあ使えよ」
「だめ」
「なんで」
「あの子の布団の上で、あなたとするの、無理」
「……ああ」
「わかった?」
「わかった」
「はっきり言わせないでよ」
「言わせてないだろ」
「言わせてる」
「悪かったよ。取ってくる」
「一緒に行く」

客間から布団を運んでくる
昨日の布団を、二人で運んだ。
一組だから、持てば軽い。
四畳半に敷くと、部屋の半分が埋まった。
「狭い」
「四畳半だからな」
「昨日の六畳が広く思える」
「一日で贅沢になったな」
「布団の話だからね」
「布団の話な」
「敷き布団と掛け布団と、枕がひとつ」
「枕は二個持ってきたぞ」
「一個でいい」
「首が痛くなるだろ」
「痛くなってもいい」
この部屋にも裸電球が下がっている
天井から、コードが一本垂れていた。
明日ここを剥がすから、照明が外してある。
「またこれ」
「明日上げるからな」
「まぶしい」
「昨日も言ってたな」
「昨日より近い」
「四畳半だからだ」
「顔が全部見える」
「見えるだろ」
「わたしの顔も見えてる?」
「見えてる」
「どんな顔してる」
「赤い」
「言わないで」
「そっちが聞いた」
「聞いたけど」
「暑いからだろ」
「暑いからじゃない」
「じゃあなんだよ」
「言わない」

布団の上に並んで座る
昨日は、拳ひとつ空いていた。
今日は、最初から肩がくっついていた。
「今日は、最初から近い」
「狭いからだろ」
「そういうことにしとく」
「二回目だな、それ」
「数えてるの」
「数えてる」
「うつった?」
「うつった」
親をやっていた部屋の話
「ここ、あの子の部屋だった」
「だったな」
「わたしたち、ここでは親だった」
「そうだな」
「宿題を見て、怒って」
「怒ったな、そっちは」
「あなたは怒らなかった」
「怒る役、そっちだったからな」
「ずるい」
「ずるかったな」
「去年の三月に、その役がなくなった」
「なくなったな」
「そしたら、なにが残るんだろう」
「男と女だろ」
言わなかっただけだと言われる
わたしは、その返事で息が止まった。
三十八の男が、そんな言い方をすると思っていなかった。
「言うようになったね」
「昨日からな」
「一日で変わった?」
「変わってない。言えるようになっただけだ」
「同じでしょ」
「違うよ」
「どう違うの」
「ずっと思ってた。言わなかっただけだ」
「ずっとって、どのくらい」
「……半分は」
「半分」
「半分は疲れてた」
「正直すぎ」
「聞いたのはそっちだ」
「聞いたけど」
「けど?」
「思ってたなら、言ってよ」
「あのころは言えねえよ」
「今は言える?」
「言える」
「じゃあ言って」
「……したい」
その三文字で、腿の内側が熱くなった。

電気を消す前に聞く
「消す?」
「消していいのか」
「いい?」
「いいのか、って聞いてんのはこっちだ」
「わたしから言ってる。自分から言ってる」
「二日連続だな」
「十八年ぶんの二日目」
「まだ足りないな」
「足りない」
「じゃあ消すぞ」
「消して」
紐が引かれて、電球が消えた。
街灯の線が畳を横切る
四畳半は、六畳より暗い。
窓が小さいからだ。
カーテンの隙間から、街灯の光が細く入っていた。
その線が、畳を横切っている。
「線がある」
「街灯だな」
「一年半、この線を誰も見てなかった」
「そうだな」
「今日から見る人がいる」
「いるな」
「見てる場合か」
「見てないよ」
「見てるでしょ、今」
「そっちの首を見てる」

背中に腕が回る
隣で、直人が動いた。
腕が、わたしの背中に回った。
「回した」
「回した」
「昨日は、肩に乗せただけだった」
「昨日は昨日だ」
「早くない?」
「遅いくらいだろ」
「十八年かかってる」
「そうだな。遅いな」
わたしは、顔を胸につけた。
Tシャツが、汗で湿っていた。
好きだと十年ぶりに言う
首から、匂いがした。
若いころとは違う匂いだ。もっと重い。
嫌ではなかった。
「匂いが変わった」
「加齢臭って言えよ」
「言わない」
「言っていいぞ」
「言わない。好きだから」
言った瞬間に、腕の力が強くなった。
「言うなよ、そういうこと」
「なんで」
「……こっちが困る」
「困っていいでしょ」
「困る」
「もう一回言おうか」
「やめろ」
「好き」
「やめろって」
「言われたら余計に言う」

名前を四回呼ばせる
「真澄」
「はい」
「返事すんなよ」
「なんで呼んだの」
「呼びたかっただけだ」
「昨日、三回呼んだ」
「数えてたのか」
「数えてた」
「じゃあ今日は四回だ」
「増やすんだ」
「増やす」
「真澄」
「うん」
「真澄」
「うん」
「真澄」
「……もう一回」
「真澄」
四回呼ばれて、耳のうしろが熱くなった。
三十六にもなって、名前を呼ばれただけで。
自分でシャツを脱ぐ
わたしは、自分でTシャツの裾を持った。
「脱ぐ」
「暑いからか」
「違う」
「じゃあなんだ」
「あなたが脱がせるの、待ってられない」
暗いから、顔は見えない。
それでも、息を呑む音がした。
「待ってろよ」
「待たない」
「俺が脱がせる」
「じゃあ早く」
Tシャツが、頭から抜けた。
畳の上に、丸めて落ちた。
下着の背中の留め具
背中に、指が回った。
留め具のところで、二回すべった。
「取れない」
「取れないの?」
「指が汗で滑る」
「十八年ぶりだからでしょ」
「うるさいな」
「貸して」
「いい。自分で取る」
三回目で、取れた。
「取れた」
「時間かかった」
「言うなよ」
「ここも汗かいてる」
「暑いんだよ」
「暑いからじゃないでしょ」
「……暑いからじゃない」

うなじを吸われる
うなじに、唇が当たった。
三十八の唇は乾いている。夏でも乾いている。
汗で湿った皮膚に当たると、引っかかる。
「乾いてる」
「悪いな」
「悪くない」
「昨日も聞いた」
「今日も言う」
引っかかりながら、耳のうしろまで来た。
そこで、吸われた。
「そこ」
「痛いか」
「痛くない」
「じゃあなんだ」
「気持ちいい」
「言うようになったな」
「言えって言ったのはあなた」
「言ったな」
鎖骨から下へ
唇が、鎖骨まで下りた。
鎖骨の窪みに、汗が溜まっていた。
そこを、舌が拭った。
「しょっぱいでしょ」
「しょっぱい」
「洗ってない」
「知ってる」

「昼間、畳運んだから」
「知ってる」
「嫌じゃないの」
「嫌ならやらねえよ」
そのまま、胸まで下りた。
乳房を、掌が下から持ち上げた。
厚い掌だ。指の付け根が太い。
「重い」
「言わないで」
「悪い意味じゃない」
「わかってる」
「垂れたとか言ってない」
「余計なこと言わないで」
「悪かった」

胸を吸われて声が出る
乳首を、口に含まれた。
舌が、横に二回動いた。
そこで、声が出た。
自分の声だと分かるのに、時間がかかった。
「声、出た」
「出たな」
「出す気なかった」
「出せよ」
「四畳半、響くの」
「響くな」
「返ってくる」
「返ってこいよ」
「恥ずかしい」
「恥ずかしがってる場合か」
もう一度、吸われた。
さっきより強かった。
腰が、勝手に浮いた。
「浮いた」
「言わないで」
「言う」
「意地悪」
「そっちが先に意地悪だ」
太ももに手が入る
掌が、脇腹を通って下りた。
膝の上で止まって、そこから内側へ入った。
太ももが、勝手に閉じた。
「閉じるなよ」
「勝手に閉じるの」
「開けよ」
「……言い方」
「開いてください」
「そういうことじゃない」
「じゃあどうすりゃいいんだ」
「聞いて」
「開いていいか」
「いい」
膝が、外へ倒れた。

濡れているのを知られる
指が、下着の上に触れた。
触れただけで、そこが湿っているのが分かった。
自分でも分かるのだから、相手にも分かる。
「濡れてる」
「言わないで」
「言うだろ、これは」
「言わないで」
「なんでだよ」
「恥ずかしいから」
「十八年の女房に恥ずかしがられてもな」
「十八年、こんなの見せてない」
「見せてなかったな」
「今日、見せてる」
「見てる」
下着が、太ももの途中まで下ろされた。
畳の上に落ちる音がした。
布が畳に落ちる音は、こんなに大きかっただろうか。
「音した」
「したな」
「畳が新しくないから」
「関係ないだろ」
「ないね」
指が入ってくる
指が、一本入ってきた。
乾いた指だ。入るときに、少し引っかかった。
「痛いか」
「痛くない」
「きついな」
「十八年ぶり」
「そうだったな」
「ゆっくり」
「ゆっくりやる」
指が、ゆっくり動いた。
わたしは、掛け布団の端を握った。
握らないと、声の大きさが自分で決められない。
「布団握るなよ」
「握らせて」
「俺を握れ」
「腕?」
「どこでもいい」
わたしは、その腕をつかんだ。
昨日つかんだ手首より、少し上のところだ。

今度はこっちが触る
わたしは、腕を伸ばした。
暗いから、手探りだ。
腹に当たって、そこから下へ下りた。
「なにしてんだ」
「触ってる」
「聞いてない」
「聞かなくていい」
「……そこは」
「硬い」
「言うなよ」
「言う。硬い」
「うるさい」

「あなたも、こうなるんだね」
「なるだろ」
「十八年、知らなかった」
「知らなかったのか」
「触ってないもん」
「触ってなかったな」
掌で、下から上へ動かした。
直人の息が、途中で止まった。
「止まった」
「止まってない」
「今、止まってた」
「うるさい」
口をつける
わたしは、体をずらした。
顔を、下のほうへ持っていった。
「おい」
「なに」
「なにするつもりだ」
「わかってるでしょ」
「……いいのか」
「いいから聞かないで」
「聞くだろ」
「わたしがしたいの」
唇を当てて、それから舐めた。
下から上まで、二回。
直人の腿に、力が入るのが分かった。
「やめろ」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ黙ってて」
「黙る」
咥えると、口のなかがいっぱいになった。
顎が、すぐ疲れた。
十八年やっていないと、こんなに疲れる。
「疲れた」
「もういい」
「まだする」
「無理すんな」
「無理じゃない」
「……真澄」
「五回目」
「数えてんのかよ」
「数えてる」
声を抑えようとする
四畳半は、天井が低い。
壁も近い。
自分の声が、はっきり返ってくる。
わたしは、唇を噛んだ。
「噛むな」
「声が出る」
「出せって言ってるだろ」
「でも」
「なんだよ」
「上」
「上ってなんだ」
「ここ、あの子の部屋だから」
「もういないだろ」
「わかってるけど」
「一年半いない」
「わかってる」
「今日で親はやめだ」
泣きながら欲しがる
その一言で、涙が出た。
三十六の女が、娘の部屋で泣いた。
「泣くなよ」
「泣いてない」
「泣いてる」
「暗いのにわかるの」
「首が濡れた」
「……ごめん」
「謝るなよ」
「十八年、母親だった」
「十八年な」
「終わっちゃった」
「終わってない。役が減っただけだ」
「減っただけ」
「そう」
「じゃあ、残ったほうを使って」
「使うって」
「わたしを使って」
「言うようになったな、ほんとに」
「早くして」
「わかった」
上に跨る
わたしは、体を起こした。
暗いなかで、直人の腰を探した。
「なんだよ」
「わたしが上」
「本気か」
「本気」
「重いぞ、そっちが」
「重くない」
「重いだろ」
「うるさい」
膝を、両側に置いた。
跨ってから、少しだけ息を整えた。
「待って」
「待つ」
「まだ動かないで」
「動いてない」
「息、してるだけで動く」
「息はするだろ」
「知ってる」
自分の速さで動く
ゆっくり、腰を落とした。
一度で全部は無理だった。二度に分けた。
繋がったところが、熱かった。
「熱い」
「そっちがな」
「あなたも熱い」
「そりゃそうだ」
「硬い」
「言うなよ」
「言う」
わたしは、自分の速さで腰を動かした。
十八年、そんなことをしたことがない。
自分の速さというものが、あるのを忘れていた。
「速い」
「うるさい」
「速いって言っただけだ」
「わたしの好きにさせて」
「させてる」
「じゃあ黙ってて」
「黙る」
揺れているのを見られる
上から見下ろすと、直人の顔が白く見えた。
街灯の線が、ちょうど顔に当たっている。
「見えてる」
「見えてるよ」
「どこが」
「全部だ」
「暗いのに」
「目が慣れた」
「じゃあ、見て」
わたしは、背筋を伸ばした。
下から、手が伸びてきた。
両手で、胸を掴まれた。
「揺れてる」
「言わないで」
「言う」
「恥ずかしい」
「揺らせよ」
「意地悪」
「そっちが見ろって言った」
「言ったけど」
「じゃあ、ちゃんと見て」
「見てる」
畳が軋む
体重が動くたび、四畳半の畳が軋んだ。
古い畳だ。明日には剥がされる。
その軋む音が、規則正しく鳴っていた。
「鳴ってる」
「畳だな」
「畳屋に怒られる」
「明日剥がすんだから、いいだろ」
「破れたら」
「破っていい」
「言ったね」
「言った」
わたしは、そこで少し笑った。
笑ったまま動いていたら、途中で笑えなくなった。
声が返ってくる
四畳半は、返ってくる。
自分の喘ぎ声が、壁に当たって耳に戻る。
それが恥ずかしくて、また声が出る。
「聞こえてる」
「自分の?」
「自分の」
「俺にも聞こえてる」
「言わないで」
「いい声だ」
「やめて」
「褒めてんだよ」
「褒め方が下手」
「下手だな」

抑えるのをやめる
抑えると、代わりに呼吸が鳴った。
短くて、荒い音だ。
そっちのほうが、恥ずかしかった。
「抑えるな」
「抑えてる」
「わかるんだよ」
「なんで」
「息が変だ」
「変って」
「詰めてる」
「詰めてる」
「やめろ」
「やめたら、うるさいよ」
「うるさくていい」
「二軒隣まで空き家だから?」
「そうだ」
「去年からね」
「知ってて我慢してたのか」
「我慢してた」
「馬鹿だな」
「馬鹿だった」
わたしは、口を開けた。
出したい大きさで、出した。
十八年ぶんの声
出してみたら、思ったより大きかった。
自分の声で、自分がびっくりした。
「でかい」
「言わないで」
「もっと出せ」
「これ以上ある?」
「あるだろ」
「ない」
「十八年ぶんだぞ」
「一晩じゃ無理」
「昨日も同じこと言ってたな」
「言ってた」
「七日かけろ」
「七日じゃ足りない」
「じゃあ、そのあともだ」
腰を掴まれる
下から、腰を掴まれた。
厚い掌が、両側から食い込んだ。
そこから、下が突き上げてきた。
「待って」
「待たない」
「待ってって」
「さっき好きにしていいって言われた」
「わたしが好きにするほう」
「交代だ」
「聞いてない」
「今言った」
わたしは、上で揺すられた。
自分で動くのと、下から動かされるのは、まるで違った。
膝が、畳から浮きそうになった。
「浮く」
「掴んでろ」
「どこを」
「肩でいい」
肩に、爪を立てた。
畳に汗が落ちる
汗が、顎から落ちた。
古い畳に、濃い点が二つできた。
「落ちた」
「なにが」
「汗」
「畳が汚れるな」
「明日、剥がすんでしょ」
「剥がす」
「じゃあいい」
「いいな」
「もっと汚していい?」
「好きにしろ」
わたしは、そこでまた速くした。
膝の下で、畳の目が擦れて鳴った。
「音してる」
「畳だ」
「聞こえてる」
「聞いてろ」

自分の声で、いってしまう
途中から、なにを言っているか分からなくなった。
四畳半が狭いから、声も息も全部返ってくる。
返ってきた自分の声で、また上がった。
「もう」
「もう?」
「もう、いく」
「いけよ」
「言わないで」
「言うだろ」
背中が、うしろに反った。
つま先が、畳の目を掻いた。
そのあと、力が抜けて、直人の上に落ちた。
「落ちてきた」
「重い?」
「重い」
「どけない」
「どけなくていい」
汗が引くまで動かない
汗が、二人ぶん混ざっていた。
胸と胸が、貼りついて離れない。
離れると、音がしそうだった。
「べたべた」
「するな」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「昨日も同じこと聞いた」
「毎日聞くのか」
「毎日聞く」
「毎日答える」
部屋に匂いが残る
部屋のなかに、匂いが三つあった。
古い畳の、干した草の匂い。
二人ぶんの汗の匂い。
もうひとつは、名前のつけようがない匂いだった。
「匂う」
「なにが」
「この部屋」
「畳だろ」
「畳じゃないほう」
「言うなよ」
「窓、開ける?」
「開けるな」
「暑いよ」
「暑くていい」
「なんで」
「開けたら消える」
「そうだね」
「消える前に、覚えとく」
「覚えられるの?」
「覚える」
役が減っただけ
しばらくして、わたしは横に転がった。
畳が、背中に当たった。
焼けていない畳は、まだ少し柔らかい。
「残るもの、なんだろう」
「さっき言っただろ」
「男と女?」
「それと、名前だ」
「名前」
「真澄だろ」
「わたし」
「そう」
「十八年ぶりに聞いた気がする」
「言ってなかったからな」
三時に汗が引く
三時を過ぎて、四畳半の空気が冷えてきた。
明け方に向かって、家は冷える。
十八年、それは知っている。
「冷えてきた」
「明け方だな」
「まだ三時」
「そのくらいから冷える」
「十八年、この時間に起きてなかった」
「起きてたよ、たまに」
「一人でね」
「知ってる」
「知ってるの?」
「隣で起きてただろ」
「起こさなかったのに」
「起きてたよ」
「なんで声かけないの」
「……かければよかったな」
声をかけると約束させる
「これからは、かけて」
「かける」
「絶対」
「絶対」
「二回言った」
「二回言った」
「三回言って」
「絶対」
「よし」
「よしって、なんだよ」
「約束だから」
引き出しに残っていたもの
机の引き出しを、ひとつだけ開けた。
空だと思っていた。
鉛筆が二本と、消しゴムがひとつ残っていた。
「残ってる」
「持っていかなかったんだな」
「二本とも短い」
「よく使ったな」
「軽い」
「鉛筆だからな」
「そういうことじゃなくて」
「わかってる」
「わかってるなら言わないで」
「言ってない。そっちが言った」
「……そうだった」
「捨てるか」
「捨てない」
「そう言うと思った」
「わかってるじゃない」
「十八年な」
明日はどこで寝るのか
「明日、ここ剥がされる」
「そうだな」
「明日はどこで寝るの」
「物置か、台所か」
「畳ない」
「ないな」
「腰、やられる」
「毛布敷けばいい」
「一組で?」
「一組で」
「二組にしないでよ」
「しねえよ」
「押し入れに、もう一組あるからね」
「知ってる。出さない」
手首の脈を測り合う
つないだままの手首に、脈があった。
三十八の脈は、ゆっくりしている。
わたしのほうが速かった。
「速いね、わたし」
「速いな」
「触ってわかるの」
「わかる」
「ずるい」
「そっちも触れよ」
わたしは、指を反対の手首に当てた。
たしかに、遅かった。
遅いのに、汗ばんでいた。
「汗かいてる」
「暑いんだよ」
「それ、本当?」
「……本当じゃない」
「じゃあ、なに」
「言わせるなよ」
「言って」
「まだ足りない」
「わたしも」
四畳半で、二人とも足りないと言った。
明日は畳がない部屋になる。
板の上でも、布団は一組でいい。
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『畳を上げた七日間』は全6話、ぜんぶ無料で読めます。目次はこちら。
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※20歳以上の登場人物によるフィクションです。文章と画像は生成AIで作成しています。
