【手指衛生改革・前編】現場が起こした変化の連鎖!当院が1年で組織文化を変えられた理由
2026年度 第1回感染臨床セミナーの発表内容を一部改変してお送りしております。
司会:時間になりましたので、そろそろ始めさせていただきます。この1年ほど、皆さんで手指衛生の向上に取り組んできたことはご存じの通りです。本日は感染制御室の立道さんから、私たちが取り組んできた成果について集計データをもとに報告していただきます。
さらに、ここからどのように取り組みを進めていくべきか、なぜそれが必要なのかという今後の展望も含めてお話しいただきます。1年前の切羽詰まった状況から、現在は「次の高みを目指す」という前向きなフェーズへと変わってきています。
このセミナーを通じて、これからの1年をみんなでどう頑張っていくか、考えるきっかけにしていただければと思います。それでは立道さん、よろしくお願いします。
2025年度の成果:前年度比2.3倍!!!
感染管理認定看護師 立道(以下、立道):
感染制御室の立道です。よろしくお願いします。
本日お伝えする内容は以下の3点です。
2025年度の成果と評価
データで示す手指衛生の効果
2026年度の戦略と目標

岡山市内の指標で伸び悩んでいた過去
まず、2025年度の成果と評価として、手指衛生の消毒剤使用量がどのように推移したかをお話しします。
皆さんは、2025年度に掲げた目標を覚えているでしょうか。去年は「1患者/日あたりの手指消毒薬使用量『岡山市下位からの脱出!』」という目標を掲げて取り組んできました。

当院は、岡山市内で感染対策向上加算1を取得している急性期病院の間で共有されているデータを参照しています。そのため、他院と比較して当院がどのような立ち位置にあるかを把握することができます。実は、2023年度および2024年度において、当院の手指消毒剤使用量は参加施設の中でも下位であり、早急な改善が必要な状況でした。
10月以降、数値が改善し続け目標達成
この状況を変えるため、昨年度から取り組みを強化しました。2025年度の上半期まではまだ大きな変化が見られませんでしたが、10月以降の下半期からは数値が確実に向上し、最終的には市内で5〜6番目あたりの位置(中央付近)まで浮上しています。
使用量に関しても、前年度比で2.3倍まで上昇させることができました。現場の皆さんの実践が、明確な成果として数字に表れた結果です。無事に目標を達成することができました。

部署別の達成状況を見ると、2025年度は6つの部署が目標を達成しました。目標未達成の部署に関しても、ほとんどの部署で前年比2倍以上の使用量を記録しています。感染リンクナース※をはじめ、現場で手指衛生を実践してくれた皆さんのおかげです。
感染リンクナースとは、病院などの各病棟や部署において、感染対策チーム(ICT:Infection Control Team)と現場の看護師をつなぐ「架け橋(リンク)」となる看護師のことです。
専門チームが決定した組織全体の感染対策方針を現場に浸透させ、同時に現場の状況や課題をチームにフィードバックする重要な役割を担っています。

また、実際の適切な場面で手指衛生が行われているかを示す「遵守率」の評価では、病院全体の平均が46.9%となりました。前年比で8.3%アップしており、最も高い部署では75%を超えている状況です。
当院の取り組みが地域全体の医療安全向上へ波及(してるといいなぁ)
当院が指標を大きく改善したことで、岡山県内の医療機関の間でも新たな動きが出始めています。
これまでは当院のデータが低迷していたため、他院の感染管理担当者やICT(感染制御チーム)の皆さんは自院の体制にある種の安心感があったかもしれません。しかし、当院が急上昇したことで「済生会が手指衛生を本気でやり始めたぞ」「このままだと、うちが負けるのではないか」という危機感を口にする感染担当者もいました。
この変化は、岡山県全体の医療安全の底上げにつながる非常に良い傾向だと捉えています。
実は岡山県は、全国的に見ても「耐性菌」の検出率が高い地域であるうえに、消毒剤の使用量が少ないという課題を抱えています。当院が口火を切る形で、岡山県全体に手指衛生の文化が定着していくことを期待しています。
2025年度の戦略:「心理的安全性」を担保するイベント化
目標を達成するために、昨年度はどのような戦略を立てていたのか。その舞台裏を分析します。
2025年度の戦略の軸は「組織文化の醸成」であり、特に「徹底した認知度の向上」をメインに据えました。

誰もやっていない中で「浮いてしまう恐怖」をなくす
表彰制度の一つである「手指衛生マスター」は、感染リンクナースが現場のモチベーション向上のために考案してくれたものです。毎月の使用量を頑張っている個人を表彰する制度で、今年度も継続する予定です。

この回は手指衛生マスター表彰の様子を掲載した
また、医療安全と感染の掲示板を廊下に設置し、目標や毎月の使用量を可視化してフィードバックを行いました。
さらに、昨年度は「KPI(重要業績評価指標)マネジメント」という手法を導入しました。
あれもこれもと目標を広げるのではなく、目指すべき主要目標を「手指衛生の強化」という一点だけに絞り込んで活動するアプローチです。この明確な方針を感染リンクナースの皆さんにもしっかりと共有し、ブレずに活動を展開してもらいました。
具体的には、各部署の目標や手指衛生に向けた意気込み、熱い想いを書いたポスターをそれぞれの現場に掲示してもらいました。スタッフが日常業務の中で、いつでもすぐに目指す目標を目にすることができる、意識せざるを得ない環境を徹底して整えていったのです。

2025年度戦略の本当の狙い
これらは一見すると、一時的に量を増やすためのイベント的な戦略に見えるかもしれません。なぜこのようなアプローチを取ったのか、その真相にはデータに基づいた狙いがありました。
取り組みを始める前、2024年度の個人携帯用消毒剤の使用量分布を調べたところ、全体の約9割が「月に100mL未満」の使用にとどまっていることが分かりました。これは、単純計算で1日5回以下しか手指消毒をしていないことになります。
通常、組織は「2:6:2の法則」に基づき、上位・中堅・下位に分かれると言われますが、当時の当院は「上位2割」がほぼゼロという状態でした。このような状況で「質の向上」や「組織体制の構築」を訴えても、十分な効果は得られません。そのため、昨年度はまず「手指衛生を積極的に行う上位2割の層(イノベーター層)を創出すること」をターゲットに定めました。

そこで重要になるのが、スタッフの「インサイト(無意識の本音)」の分析です。
現場のスタッフは、手指衛生の重要性を100%理解しています。「やりたくない」わけではないのです。しかし、「周りの誰もやっていない状況で、自分だけが熱心にやっていると浮いてしまうのではないか」という、同調圧力やマイノリティへの恐怖を感じているというインサイトが見えてきました。
だからこそ、徹底的に認知度を高めてイベント化し、「堂々と手指衛生をやっても大丈夫なんだ」という大義名分(心理的安全性)を作る戦略を取りました。

この結果、11月以降は月の使用量が200mL以上の層が全体の2割を超えるようになり、初年度に比べて4.4倍にまで増加しました。

新人スタッフの行動にも大きな変化
この組織文化の変化は、今年4月に入職した新人スタッフのデータにも顕著に表れています。
2025年度の4月時点の新人と、2026年度の4月の新人を比較すると、200mL以上実施している新人の割合が2倍に上昇しました。また、全体の真ん中を示す「中央値」のデータも、1年前の「70mL」から、今年は「150mL」へと大幅にベースアップしています。
一部の人が突出して頑張るのではなく、組織全体の底上げができている現状は、データを見ていて非常に嬉しい変化です。先輩たちが現場で当たり前に手指消毒をしている姿を見て、新人が自然とその行動を模倣できる、という非常に良い循環が生まれています。

「禁断の果実」にはあえて頼らなかった理由
手指衛生の使用量を一時的に急増させる「裏ワザ」として、実は「病院機能評価の受審」というアプローチがあります。
これを活用すれば、受審に向けて一時的に確実に数値は上がります。しかし、受審が終わった瞬間に元の水準まで下がり、その後は二度と上がらなくなるという、強い副作用を持つ「禁断の果実」でもあります。
私たちが常に立ち返らなければならないのは、「感染対策の目的は何か」という点です。目的は、患者さん、医療従事者、そして病院に関わるすべての人を感染から守ること(医療関連感染の防止)です。病院機能評価や適時調査、医療監視は、それを達成するための「手段」であって「目的」ではありません。
評価のためにキャンペーンを打てば数字は作れたかもしれませんが、それでは手指衛生の持つ「本当の価値」が崩壊してしまうと考え、あえてその手段には頼りませんでした。この点に関しては、持続可能な組織文化を作っていく上で、正しい判断だったと自負しています。
後編はこちら。
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