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実践するドラッカー 実践編 第32話:スタッフからアイデアが泉のように湧き出るお店⑩(全10話)

事例6-10 ハサミを置くという挑戦

本記事は、実際の企業事例をもとに、人物名、社名、地域、時期、数値などを一部変更・再構成しています。

前回の記事では、「ビューティーアドバイザーからライフアドバイザーへ」というテーマで、コロナ禍を経て美容室FFのビジョンが大きく広がっていく姿を見てきました。

しかしその一方で、Fさん自身は、別の問いと向き合っていました。

「自分は、何をもって憶えられたいのだろうか。」

それは、お店のビジョンではなく、一人の経営者としての問いでした。
今回は、その問いにたどり着くまでの物語と、Fさんが下した大きな決断についてお話しします。

■「どんな仕事もアートになる」——遠い日の閃き

時計の針を、少し戻します。

まだ店舗は一つ。スタッフも数人しかいなかった頃。「実践するドラッカー講座」を受講したばかりのFさんは、ある閃きを得ました。

「人が、誰かのためを思って真剣に取り組んだ仕事は、“アート”になる。」

美容師が「今日のお客様、芸術的にカッコよく仕上がった」と感じる瞬間だけではありません。
主婦が「今月の家計、芸術的にやりくりできた」と感じることも、誰かのためを思って真剣に工夫した結果なら、それは立派な“作品”ではないか。

この発想を形にしたのが、「Art Festa!」でした。

人口4万人ほどの地域で開催されたそのイベントには、600名を超える人たちが集まりました。

運営に関わったのは、美容室FFのスタッフだけではありません。地域の美容室、木工所、乳製品メーカーなど、理念に共感した人たちによるボランティアチームでした。

報酬はありません。

それでも人が動いたのは、「子供たちに働くことの楽しさを伝えたい」「大人たちにも仕事への誇りを取り戻してほしい」という成果への共感があったからでした。

もちろん、運営は簡単ではありません。

「誰のためのイベントなのか」
「どんな変化が起きたら成功なのか」

同じ方向を向いていたはずのメンバーの間に、少しずつズレが見え始め、チームが崩れかけたこともありました。

それでも、問いに立ち返ることで、チームは再びまとまっていきました。
当日、想定外のトラブルが起きても、一人ひとりが自分で判断し、自分で動いていた。

その姿を見ながらFさんは感じていました。

——人は、「やらされる」から動くのではない。
仕事の成果に共感したとき、自分から動き始めるのだ。

イベント終了後、スタッフからこんな言葉がありました。

「自分には無理だと思っていたことが、みんなと一緒ならできてしまった。その達成感は忘れられません。」

「仕事をアートにできる人たちを育てたい。」

その想いが、初めて現実の輪郭を持った瞬間でした。

しかし、この体験の本当の意味を、Fさん自身が深く理解するには、まだ長い時間が必要だったのです。

■成長の中で見えてきたもの

その後、美容室FFは成長を続けました。

店舗は5店舗に増え、スタッフも増え、売上も順調に伸びていきました。

きまあ指数。
FF体験表。
数字の定義替え。

これまで見てきた取り組みが積み重なり、「スタッフのアイデアが泉のように湧き出るお店」として知られるようになっていきます。

しかしFさんは、ずっと現場でハサミを持ち続けていました。

そんな中、さまざまな美容室を見学する機会が増えるにつれ、ある共通点に気づきます。

成長が止まっているお店ほど、経営者が現場で“主役”になっていたのです。

経営者自身の売上は高い。
技術力もある。

けれど、その陰でスタッフが育っていない。
「せっかくスタイリストになったのに、全然チャンスをもらえないんです。」

そんな声を、何度も耳にしました。
そして、Fさんは思わず立ち止まります。
——これ、昔の自分と同じじゃないか。

スタッフ全員に辞められた、あの夜の記憶がよみがえりました。

■トップが安全圏にいると、誰も挑戦しない

さらにFさんは、自分がハサミを持ち続ける意味にも気づき始めます。

ハサミを持てば、お客様に喜ばれる。結果が出ることもわかっている。
つまり、「腕の立つ美容師」でいることは、Fさんにとって最も評価される場所でした。
それは同時に、“安全圏”でもあったのです。

一方で、スタッフたちは毎日、失敗と向き合っていました。
提案を断られる。カウンセリングがうまくいかない。
自信を失う。
そんな試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ成長していました。

ドラッカーはこう言っています。

信用してはならないのは、間違いを犯したことのない者、失敗したことのない者である。そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。(中略)そのようなことでは、組織の意欲を失わせ、士気を損なう。人は優れているほど多くの間違いを犯す。

(マネジメント(中)第36章 成果中心の精神/事なかれ主義の危険 p.101)

トップだけが安全圏にいて、本当に挑戦する組織になるのだろうか。

その問いが、Fさんの中で大きくなっていきました。
ならばまず、自分が安全圏を出なければならない。
「腕の立つ美容師」という、自分にとって最も評価される場所から離れること。
そして、「仕事をアートにできる人を育てる」という、まだ正解の見えない仕事へ踏み出すこと。

それこそが、自分の役割なのではないか。

そう考えるようになっていったのです。

■原点への帰還

そのとき、Fさんの心に浮かんだのは、あの「Art Festa!」の日でした。

報酬がなくても、人は動いた。

仕事の成果に共感し、「自分たちが誰のために、何を実現したいのか」が腹落ちしているとき、人は無難なことではなく、難しいことにこそ挑戦する。

あの日の体験が、すべての原点だったのです。
ならば、自分が誇るべきは、自分の技術ではない。

スタッフ一人ひとりが、「仕事をアートにできる人」へ成長していく場をつくることではないか。

ドラッカーはこう言っています。

仕事が刺激を与えるのは、成長を期しつつ、自らの興奮と挑戦と変化を生み出すときである。これが可能となるのは、自らと仕事の双方を新たな次元で見るときである。

『実践するドラッカー 思考編』第2章 成長するために/
次元を変える p.65
(非営利組織の経営 p.218)

ハサミを置くという決断は、自らと仕事の双方を新たな次元で見ることでした。
「腕の立つ美容師」という次元から、「仕事をアートにできる人を育てる経営者」という次元へ。

さらに、ドラッカーはこうも言っています。

重要なことに取り組めるようになるには、ほかの人にできることはほかの人にやってもらうしかない。

『実践するドラッカー 行動編』第1章 時間が成果を決める
/仕事を人に任せる p.16
(経営者の条件 p.60)

40歳のとき、Fさんはハサミを置きました。
不思議なことに、現場を離れてからも、お店の売上は伸び続けました。
各店舗から、Fさんの存在感も意図的に薄くしていきました。

ロッカーも置かない。自分の席もつくらない。
「いなくても回る組織」をつくること。

それが、Fさんの新しい仕事になっていったのです。

■あの日の子供たちが、働き始める

ドラッカーはこう言っています。

組織の目的は、凡人をして非凡をなさしめることにある。

(マネジメント(中) 第36章 成果中心の組織 p.99)

Fさんが目指してきたのは、まさにこれでした。

特別な才能を持った人だけが輝く組織ではなく、一人ひとりが「仕事をアートにできる人」として成長していける組織。

ふとFさんは気づきました。
あの「Art Festa!」の日、会場を走り回っていた子供たちが、今ちょうど働き始める年代になっている。
あの日、「働くって楽しそうだな」と感じてくれた子供たちは、今、どこかの職場を選び、社会に出ている頃でした。

——その子たちに、自分たちの職場はどう映るだろうか。

その問いが、静かにFさんの中に残っています。
答えはまだわかりません。
けれど、その問いを持ち続けることこそが、美容室FFをさらに前へ進める力になるのかもしれません。

■おわりに——ボランティアのようにマネジメントする

このシリーズ第1回の冒頭で引用した、ドラッカーの言葉に戻ります。

フルタイムの従業員さえ、これからはボランティアのようにマネジメントしなければならない。彼らは有給であるが、彼らには組織を移る力がある。実際に辞められる。知識という生産手段を持っている。

『実践するドラッカー チーム編』第2章 メンバーを育成する
/人は自由に動く p.42
(明日を支配するもの p.23)

「Art Festa!」のボランティアチームが教えてくれたことがあります。
人は、報酬だけでは動きません。

「この仕事には意味がある」
「誰かの役に立っている」
「ここで働くことに誇りを持てる」

そう感じられるとき、人は自分から工夫し、学び、挑戦し始めます。
美容室FFが、この10回を通して目指してきたものも、まさにそこでした。

スタッフ全員が、「自分の意思で、この仕事に関わっている」と感じられる組織。

お客様に喜んでほしいから工夫する。
もっと良くしたいから挑戦する。
仕事をアートにしたいから、知恵を出す。

そのとき、アイデアは泉のように湧き出してきます。
あの孤独な夜から始まった旅は、長い年月を経て、ここまでたどり着きました。

そして、その泉は今日も、静かに湧き続けています。

全10回、お読みいただきありがとうございました。

【今日の問い】

Q:あなたの組織では、スタッフ一人ひとりが「自分の意思で、この仕事に関わっている」と感じられているでしょうか。

人は、指示や管理だけでは、本当の意味では動きません。

「この仕事には意味がある」
「誰かの役に立っている」
「ここで働くことに誇りが持てる」

そう感じられるとき、人は自分から工夫し、挑戦し、学び始めます。

ドラッカーが語った「ボランティアのようにマネジメントする」とは、報酬をなくすことではありません。

仕事そのものに、「参加したくなる意味」を持たせること。

美容室FFが目指してきたのは、そんな組織でした。


このFさんとFF美容室の物語の第①話は

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