絵画に対するあなたのその評価、そもそも間違った基準でしていませんか
あなたは、絵画の感想を聞かれたとき、真っ先に浮かぶ言葉ってなんですか?
僕がまだ画家になる前、つまり過去の作品を徹底的に分析する前(この辺の事情は自己紹介記事でお話しています)絵画鑑賞のワークショップに参加したときのことです。
その時に観た絵画がこれです。

一人ひとり感想を言うコーナーで、順番が回ってきそうだったときの僕のつぶやきです。
「なんか次に聞かれそうだぞ、なんて言おう、
色や形がきれいでしたなんて言ったら、教養がないって思われちゃうかなぁ、
でもそれ以外、特に感想はないし、
そもそもこの絵、宗教画らしいけど、聖書の知識がないとやっぱり絵の良さはわからないのかなぁ………
あっ、そうだ、3人ともいやにピッタリと収まってるって感じだぞ。
なんか、これ以外にないってぐらいピッタリじゃないか!
………でも、後ろの風景はあくまでも背景って感じだなぁ、
あっ、これは言わないでおこう、なんか生意気に思われるかも」
人目を気にして、思ったことが言えなかったことを今でも覚えています。
このワークショップが印象に残っていた理由は、僕の次に発言した人がだいたい次のようなことを言ったからです。
「この絵を観たとき、マリアの伏し目がちの柔らかな眼差しと、
ヨハネが支える十字架を、幼いイエスがしっかり掴む仕草に、
胸が締め付けられる思いでした」
これを聞いた僕の感想は、
「ヨハネって誰?
十字架はわかるけど、なんでこの絵を見ただけで胸が締め付けられるんだ」
でした。
彼の感想は続きます。
「一見すると、のどかな草原で遊ぶ親子の、穏やかな日常に見えます。
でも、ヨハネが差し出す十字架のせいで、将来イエスが背負う受難を思い出して、穏やかさだけではない雰囲気を感じました。
そして、自らの運命を知るかのように、十字架をしっかり握る幼いイエスを、マリアは深い愛のこもった目で見守っていますが、私はこのマリアの表情を観て、とても切なくなりました」
昔のことなのではっきりとは覚えていませんが、だいたいこのような感想でした。
これを聞いた僕は、
「やっぱり、キリストの受難の物語を知らなきゃこの感想は出てこないなぁ、
でもこの人、マリアの表情に切なくなったって言ったぞ。
なんでだ?!
この親子の未来を知っているから、そう思い込んだだけじゃないのか?
だって実際に絵を観ると、かすかに憂いを帯びた表情ぐらいには感じるけど、マリアの表情そのものを観て、切なくはならないぞ。
やっぱり、この親子の運命を知ってるからこその感想ってことか。
なら、知識がなければ絵画は楽しめないってことか。
なんかモヤモヤするなぁ」
今でこそ僕は、「物語の意味」や「象徴性」を伝えるために描かれた、「概念伝達型絵画」が存在することを知っていますから、僕がツッコミを入れた彼の感想は、決して間違っているわけではありません、
もしも、これに近い経験をあなたもしたことがあれば、モヤモヤは解消したいでしょうから、その理由をお話しますね。
はじめに結論をお話します。
絵画は、目的別に3つに分類できるので、「評価基準」も目的に合わせる必要があったんです。
それを知らない僕は、概念伝達型絵画を評価すべきときに、真理追求型絵画を評価するときの目で作品を観ていたのです。
絵画の目的に応じた評価ができなかったので、モヤモヤしたわけです。
ですから僕がツッコミを入れた彼の感想は、ラファエロの作品の評価としては、全く正当ということになります。
そもそもラファエロは、先ほどの作品で、
真理を追求しようとしたわけではなく、
聖書の物語を知っている人に、
切なくも崇高な感情を伝えようとしたのですから、
僕が「人物たちと風景との間の対立関係が解消されていない」と感じた評価は、的外れということになります。
でもこのへんであなたから、そもそも「概念伝達型絵画」と「真理追求型絵画」って何なんだ!、とツッコマれないうちに、絵画の目的別分類について解説しますね。
絵画は目的別に次の3つに分類できます。
・概念伝達型絵画
・真理追求型絵画
・それ以外の絵画
「それ以外の絵画」は、本当に画家の数だけあると言えそうなので、そう言うしかないんです。
「概念伝達型絵画」とは
「概念伝達型絵画」には、次の2つのタイプがあります。
タイプ1
画家が「約束事」を使って絵画に意味を込め、観る者がそれを読み取る、というタイプの作品
※18世紀以前の多くの絵画は、このタイプに当てはまります。
※「約束事」とは、「事物に込めた象徴的な意味」「身振り言葉」「聖書や神話の知識」などのことです。
タイプ2
「美の存在意義」や「美の基準」を揺るがすことに大きく貢献した、特別な観念や思想が込められた作品
※デュシャンやウォーホルの作品などがこのタイプです。
「真理追求型絵画」とは
「真理追求型絵画」の真理とは、道徳的、宗教的、科学的真理のことではありません。
これは、絵画的現実を成り立たせている「原理」のことです。
「絵画的現実」とは、我々が暮らす現実の物理的空間のことではなく、画家の視覚、感情、創造からなる画面上の世界のことです。
この「画面上の世界」を成り立たせている原理は一つですが、その表現方法は画家の数だけ存在します。
このタイプの絵画を描く画家は、それぞれ表現方法は違えども、造形要素(線、色、形)を言葉として使う点では一致しています。
造形要素を言葉として使う理由はひとつ、対立関係を解消するためです。
このタイプの絵画を観るとき、鑑賞者としては、造形要素の本来の「力」や「働き」に慣れる必要があります。
でもご心配には及びません
慣れてしまいさえすれば、
あとは、あなたが本来持っている「感覚」を絵画鑑賞モードに切り替えるだけです。
「概念伝達型絵画」を観るときよりは、ずっと自由な鑑賞が楽しめるはずです。
なにしろ、「概念伝達型絵画」を本格的に読み解くには、約束事(事物に込めた象徴的な意味、身振り言葉、聖書や神話の知識など)を知る必要があるので、ちょっと厄介ですからね。
「真理追求型絵画」を観る方法についてもっと詳しく知りたい方は、有料noteで具体的方法を公開しています。
興味のある方はどうぞ。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
