【花火の歴史・下】ーー江戸を熱狂させた二大看板「かぎや」と「たまや」、そして明治の「色彩革命」
翌日の夜。昼間の蒸し暑さが少し残る仕込み場で、昨日と同じように作業を終えた親父と弟子が、冷えた麦茶を片手に腰を下ろした。
「……親方、昨日の話、一晩中考えてたんです。火薬が平和な祈りに変わったっていうのは分かりました。でも、そこからどうやって、今のあんなに派手でカラフルな花火になっていったんですか?」
親父はニヤリと笑うと、麦茶を一気に飲み干した。
「お前、いいところに気づいたな。平和になった江戸の町で、花火師たちが次に考えたのは『どうすればもっと人々を驚かせ、喜ばせられるか』だ。ここから、江戸の夜空を舞台にした、熱い男たちの戦いが始まるんだよ」
三.江戸を熱狂させた二大看板、「鍵屋」と「玉屋」の光と影
「昨日話した、日本初の花火屋『鍵屋』。江戸中期、この鍵屋にものすごい腕の立つ番頭がいたんだ。清七(せいしち)という男だ」
「番頭さん……じゃあ、お店のナンバー2ですね」
「そうだ。その清七の腕があまりに見事だったんで、1808年、7代目鍵屋は清七に暖簾分けを許した。鍵屋のすぐそばに店を構えさせたんだ。これが『玉屋』の始まりだ」
親父は指を二本立て、交互に動かした。
「ここから、隅田川(当時は両国川)の川開きは、この二軒の独壇場になる。両国橋を境にな、上流(北側)を玉屋、下流(南側)を鍵屋が担当して、交互に花火を打ち上げるんだよ」
「それが、あの有名な『たまや〜』『かぎや〜』ですか!」
「おう、その通りだ。川面に浮かぶ屋形船や、橋を埋め尽くした見物客たちが、素晴らしいと思った方の屋号を叫んだ。今で言う人気投票だな。だがな……」
親父は少し声を落とした。
「江戸っ子の人気を独占したのは、圧倒的に『玉屋』だった」
「えっ、本家の鍵屋じゃなくて?」
「そうだ。玉屋の清七はな、とにかく研究熱心だった。それまでの花火よりももっと高く、もっと大きく、そして何より、散り際まで美しく見えるように工夫を重ねた。対する鍵屋は、老舗らしく質実剛健で伝統的な花火。派手好きな江戸っ子には、玉屋の新しい花火が眩しく映ったんだな」

親父の話に、弟子は身を乗り出す。
「じゃあ、玉屋が天下を取ったんですか?」
「……世の中、何が起こるか分からんもんだ。玉屋の全盛期は、たった35年で終わりを迎える」
親父の表情が厳しくなった。
「1843年、15代将軍・徳川家慶公が日光参詣に行くっていう、幕府にとってものすごく大事な日の前夜だった。玉屋の火薬工場から、とんでもない大火事が出ちまったんだ」
「えっ……」
「火薬の扱いは、一歩間違えれば悪魔の道具に戻る。江戸の町を焼き、将軍の行事を汚した罪は重かった。2代目玉屋市兵衛は、江戸から追放。玉屋という屋号は、一代限りでこの世から消滅したんだ」
仕込み場に、静寂が訪れる。
「……悲しいですね。あんなに人気があったのに」
「そうだ。だがな、ここが凄いところだ。消えたからこそ、江戸の人々の心に玉屋の見事な花火が伝説として深く刻まれた。だから、今でも『たまや〜』の方が叫ばれるんだよ。本家の鍵屋は、ライバルがいなくなっても地道に、そして何より安全を最優先に伝統を守り続けた。派手さはなくても、歴史を繋いだのは鍵屋だったんだ。
花火師の世界はな、一瞬の芸術だけじゃねぇ。玉屋の技術への挑戦と、鍵屋の安全への執念。この両方がないと、火は繋がっていかないんだよ」
四.明治の色彩革命と、日本が誇る「真ん丸な真珠」の完成
「さて、最後の話だ。お前が捏ねてるその火薬……江戸時代は、何色だったと思う?」
「え、オレンジとか、赤っぽい色じゃないんですか?」
「オレンジと言えば聞こえはいいが、要は炭の火、焚き火の残り火みたいな色だ。炭素粒子が熱せられた赤橙色一色。当時はそれを『和火(わび)』と呼んだ。派手な色はないが、漆黒の闇に映える、あたたかくて儚い、日本の侘び寂びを感じさせる色だったんだ」
親父は、棚に並んだカラフルな火薬の瓶を指さした。
「それが、明治時代になって一変する。塩素酸カリウムなんていう強力な薬剤と、西洋から色んな金属粉末が入ってきた。炎色反応(えんしょくはんのう)ってやつだな。ストロンチウムで赤、バリウムで緑、銅で青……。夜空が一気にカラフルな洋火(ようび)の世界になったんだ」
「じゃあ、今の色んな色の花火は、全部西洋の技術なんですか?」
「いいや、ここからが日本人の真骨頂だ。西洋の花火はな、どちらかと言うと円柱形で、パッと広がるだけで色が変わるなんて発想はあまりなかった。それを、日本人は『打ち上げ花火は、完璧な球体(真ん丸)でなければならない』とこだわったんだ」
親父は、乾燥中の小さな「星」を手に取った。
「お前も毎日作ってるだろ。バウムクーヘンみたいに、中心核(芯)に何層も何層も、違う色の火薬をまぶして丸く育てていく『星』。外側が燃え尽きると、フッと内側の色が顔を出す。
これを、花火玉の中に隙間なく、完璧な計算で配置する。そうすることで、上空で爆発した瞬間、真ん丸な大輪が咲き、それが一斉に『赤から緑へ』『緑から黄へ』と色を変える。この高度な変色花火と真球形の技術はな、世界でも日本の職人しかできない、誇るべき芸術なんだよ」

親父は立ち上がり、弟子の肩を叩いた。
「どうだ? 中国の悪霊払いの竹から始まり、戦の道具、江戸の祈りとライバル争い、そして明治の色彩革命……。お前が今、捏ねている火薬には、2,000年の歴史と、先輩たちの執念、そして何より見上げる人たちの祈りが詰まってるんだ」
弟子は、親父の言葉に自分のゴツゴツとした手を見つめ、深く頷いた。
「……なんか、明日からの仕込みの手の重みが、変わる気がします」
「ハハッ、分かればよろしい! さあ、明日は和火と洋火の色の違いを、実際に試してみるぞ。メシ食って、早く寝ろ!」
(完)
