映画『浮雲』 デコちゃんは小豆島ばかりか屋久島もメジャーにした(のか?)

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ネタバレを含む可能性のある、気ままな感想文です。
どちらかと言えば、この映画を観た人向け。ご了承ください。
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どーでもいい基礎情報
成瀬の『浮雲』です。
カウリスマキの『浮き雲』(1996年)ではありません。
小津の『浮草』(59年)でもなければ、ジョージ秋山の『浮世雲』でもありません。当然、ギタリストの長岡亮介でもありません。
30数年ぶりの再鑑賞で初めて映画館で鑑賞。
デジタルリマスター版でした(たぶん)。
今回初めて気付いたけど、監督助手として岡本喜八の名前があったよ。
1954年(昭和29年)の制作で翌昭和30年1月に公開された作品。
制作時の成瀬巳喜男は49歳、
高峰秀子ことデコちゃん(<逆だ)30歳、
岡田茉莉子は21歳頃と思われます。
そして、有島武郎の息子=森雅之は43歳。
お前、原節子もお相手してたろ?モテモテだな。
(すいません。黒澤明『白痴』(51年)の話をしています。)
舞台設定は昭和21年から始まりますが、回想シーンは昭和18年の仏印(フランス領インドシナ=現ベトナム)。
その後、何年に渡る話なんだろう?
もしかするとリアル昭和29年頃までの話なんだろうか?
花の命は短くて・・・
花盛りを男に振り回された女性の話・・・という見方もできます。
デコちゃんと森雅之の出会いは22歳だと語られますが、その前に義兄に3年間弄ばれているそうなので、18歳か19歳くらいから、そうですね、20歳代半ばくらいまででしょうか。
不幸なデコちゃん。まるで溝口映画。
仏印現地のメイドや出会ったばかりの他人の若妻まで寝盗っちゃう森雅之。
まるでフランス書院。
劇中、「見栄っ張りで自分本意でウンヌン」と森雅之を詰る台詞があります。
この台詞は原作・林芙美子のものなのか脚本・水木洋子のものなのか分かりませんが、見事に「男のすべて」を言い当てています。
この森雅之は、見つめるだけで女を落とすという特殊能力を持っていますが、この特殊な男だけを詰った台詞ではない。
世の男性全てに向けられた言葉だと思うのです。
「女が男に振り回される」ということで言えば、戦争も同じです。
男が始めた戦争で女が泣く。
そういった意味では、非常に時代にマッチした作品だと言えます。
戦後という時代
今回、神保町シアターで「終戦80年 映画で振り返る――「戦後」を生きるということ」という企画上映で鑑賞したのですが、私はそんなこと全然意識しないで観に行ったんですね。
以前観て好きだったから、映画館で観たかったから、ただそれだけでした。
ところが結果として、リアルな「(東京の)戦後」を目の当たりにしました。
戦中もしくは終戦直後の「焼け野原」は最近の映画やドラマでも描かれますが、この映画では「復興期」の「混乱」がさりげなく描かれている。
例えば新興宗教。
今観るとコミカルに思えますが、戦後の混乱期はかなりあったんだと思うんです(戦前・戦中は制限されていたのかもしれません)。
信じていた神の国ニッポンが敗戦したことで、多くの国民は何を信じていいか分からなくなっていたんでしょうね。
新興宗教ではありませんが、頭のいい東大生が「これから信じられるのは金だ!」という人々を騙した「光クラブ」という闇金事件などもありましたしね。高木彬光『白昼の死角』のモデルになった実在の事件ね。
それと、デモ行進が背景に写ってるシーンがあるんです。
これ、意図的だと思うんですよ。
こうした戦後の思想が、共産主義の台頭であったり、50年代の学生運動に繋がったのでしょう。
学生運動っていうと60年代の安保闘争のイメージだったんですが、50年代にもあったんですよね。
大島渚『青春残酷物語』(60年)を観て気付いたんです。
あれは、京大生時代にガチ闘争で敗れた大島渚が、新たに勃興した60年安保闘争にエールを送った映画だったのです。当然、東大安田講堂事件(69年)やあさま山荘事件(72年)に至る結果を知る前の作品。
フワフワと定着しない浮雲
空に浮かぶ雲の如く、二人の生活も関係も定着しません。
それを象徴するように、この映画はよく歩きます。
とにかく二人は歩きます。
しかし、そんな二人が歩かなくなる。
列車に乗り、船に乗り、屋久島へ向かう。
二人が歩みを止めることが、この物語の終焉なのです。
もう少し言うと、屋久島へ向かうクダリが結構長い。
再鑑賞の私が結末を知っていたせいかもしれませんけど、長く感じたんです。
そして、長く感じた結果、逆にデコちゃんの「執着」を感じたんです。
やっと他の女と手を切ってくれた。やっと私だけの男になる。
なのに、ここで死ねるかっていう執着。
戦後の女性の生き様映画といえば、私は今村昌平『にっぽん昆虫記』(61年)を思い出します。イマヘイ作品はドッシリと「生命力」を感じる映画でしたが、本作はその真逆で、雲のようにフワフワした「精気のない」男女の物語のような気がします。
それが、昭和30年代と昭和20年代の空気感の違いなのかもしれません。

(2025.08.03 神保町シアターにて再鑑賞 ★★★★☆)

