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映画感想文『箱の中の羊』 理路整然とした禅問答。アンドロイドと羊はいい塩梅

監督:是枝裕和/2026年 日(2026年5月29日公開)

息子を亡くして2年、建築家の音々(おとね)と工務店の二代目社長を務める健介の甲本夫婦は、息子・翔(かける)の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることになる。
彼が到着した日、「おかえり」と駆け寄り喜びを隠さない音々と、戸惑いを隠せない硬い表情の健介。「パパだよね」と問いかけられた健介は、「おじさんでええよ」と答えるのだった。
少しずつ動き始める家族の時間。静かに広がっていく波紋。
ほどなく予期せぬ事態が起こり、夫婦がそれぞれに抱く息子の死への想いが露わになっていくのだった。
夫婦とは?家族とは?彼らは大きな決断に迫られる。
そんな中、ヒューマノイド翔は密かにヒューマノイドの仲間たちとつながり始める──。

公式サイトより

※ごく個人的な感想です。ネタバレあったらごめんなさい。


電気羊と箱の中の羊

私は、『空気人形』(2009年)を「是枝裕和の『ブレードランナー』」と評しているんですが、

『ブレードランナー』(1982年)の原作は言わずと知れたフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ですよね。『空気人形』の原作は業田良家ですけど。

というわけで(?)、アンドロイド(この映画ではヒューマノイドですが)と「羊」は相性がいい、いい塩梅あんばいなんだろう、と勝手に思っていました。
ところが、『星の王子さま』からの引用だったんですよ、「箱の中の羊」って。ご丁寧に映画の中で説明してくれます。
それが何を意味するのか……ということは、この映画の「柱」なので語りません。

あ、結論だけ言います。

話のレベルはめちゃくちゃ高い。
映画の完成度も高い。
でも、楽しくはない。

職業や名前で築く人物背景

人物背景がすごくよく作り込まれていると思うんです。
例えば、建築家の妻と工務店(二代目社長)の夫という設定。
おそらく住宅建設の現場で出会って、同郷ということで意気投合したのでしょう。音々から惚れて、結婚にこぎ着けたように思います。
ドライシャンプーのシーンに、そうした背景の意図を感じます。
大悟に対する綾瀬はるかの膝枕という「接待」ではありません。フジテレビ製作ですけどね。

これ、夫婦共に建築家だったら、思考が似てたと思うんです。
そうなるとたぶん、ヒューマノイドの受け入れに対する考え方も似ていて、話の幅が狭まっていたような気がします。

綾瀬はるかの役名もいいですね。音々(おとね)。
清野菜名演じる妹は亜利寿(ありす)。電話のシーンでちゃんと名前を言わせるんですよ、亜利寿の。ということは、脚本上とりあえずの名前ではなく、観客にその名前を聞かせる意図がある。
キラキラネームとまでは言わないかもしれませんが、親の自意識や主張が見え隠れします。その辺りにも、親との確執が透けて見える。「母親やめた」って言い出しそうな母親像が浮かんでくる。

事程左様に、登場人物キャラクターの背景が透けて見える抜群の設定が張り巡らされています。

その母親の余貴美子が、亡夫の物だと言って枝切りばさみとか持たせるんですよね。つまり音々の実家は造園業で、だから音々が「木」にこだわる理由も腑に落ちる。

親子関係禅問答という物語の「柱」

ほとんどの是枝作品は「家族関係」をテーマとしています。
もちろんこの映画も例外ではありません。
東京03角ちゃんと大人気女優・野呂佳代の登場から、「これは家族の物語です」宣言をしていると思うのです。

本作は、見た目は同じ「異物」を家族の中に放り込んで、真の家族の意味を問う「禅問答」だと思うんですね。

この話、筋肉少女帯『バラード禅問答』に似てるんですよ。
娘を失った夫婦が死んだ娘の代わりに少女人形を愛でるんですが、「本当は家内も私も解っているのです」「どんなに可愛くとも、ただの作りものだと」という歌。この話なんだろ?どういう意味だろ?

そもそも、『星の王子さま』だって禅問答みたいなもんじゃないですか。
昔から思ってるんですよ、『星の王子さま』。この話なんだろ?って。

だから、是枝得意の「家族関係」が柱であることは間違いない。
ところが、別の柱が出てきちゃうんだ。

もう一本の柱としての「テクノロジーの進化」

公式サイトのあらすじに「ヒューマノイド翔は密かにヒューマノイドの仲間たちとつながり始める──」とありますが、ある種の「反乱」がもう一つの柱になっていきます。

こうなってくると、押井守『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)ですよ。
まあ、仕方がない。レプリカントも人形使いも、『ターミネーター』(1984年)に至るまで、ロボットは当然のように反乱するものですからね。
猿が反乱してた頃が懐かしいな(『猿の惑星』(1968年)の話をしています)。

「ヒューマノイドの家族」と「ヒューマノイドの感情(人知を超えたテクノロジーの進化)」という二本の柱。
これが、この映画にとってよかったのかどうか、私には少々疑問があります。「あれもこれも」感があるんですよ。

この二本の柱を繋げるために、是枝は「はり」を用意するんですね。

梁としての「共存・共生」

「木材とガラスを繋ぐのが難しい」といったようなことを、しきりに言うんです。
要するに、自然とテクノロジーの「共存」あるいは「共生」。
これを繰り返す。

角ちゃんと野呂佳代の家もそうですよね。
元々雑木林だった小高い丘に建てる一軒家。夫の母親との同居(共生)目的で、和テイストと洋風の「共存」。

ヒューマノイド少年少女反乱団の中に、人間の子どもも混じっているじゃないですか。
その一人は、2025年マイベスト映画『ふつうの子ども』(2025年)の上田唯士くんこと嶋田鉄太くんですけどね。

いやいや、人間の子どもを森に置いてきちゃダメでしょ。児童相談所に連絡しましょうよ。
でも映画としては、ヒューマノイドと人間の「共生」という寓話のための道具ですから。物語の作りとして、共に住むしかないんです。

つまりこの映画は、「家族」と「科学」という柱を「共存・共生」という梁で結んだ物語と言えそうです。
話は理路整然としていてすごく筋が通ってるんです。

でも、要素が多すぎる。理屈過多。

カンヌ映画祭に出品したそうですが、カンヌの好みって(審査委員長にだいぶ左右されますが)冷静な理屈より「剥き出しの衝動」だと思うんです。
私は「内臓ゴロン系映画」と呼んでいるんですけどね。
いやスプラッターという意味じゃなくて、人間の内面のドロドロした感情を剥き出しのままゴロンと提示するような映画のこと。

そういう生々しい衝動は、この映画にはない。
むしろ、綺麗で上手過ぎる気がします。

ああ、そうか。ヒューマノイドだから、内臓や感情とは無縁なのかな?

(2026.06.07 吉祥寺オデヲンにて鑑賞 ★★★☆☆)

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