#37/台風が過ぎた朝、傘立てに残っていたもの/記憶の名残り
空はもう明るくなっているのに、廊下には雨の匂いが残っていた。
学校や駅や職場の入口に置かれた傘立ては、
台風そのものよりも、そのあとの静けさをよく覚えている気がする。
何本もの傘が並んでいて、
その先から落ちた水が床に小さな跡をつくっている。
誰かが急いで閉じた傘。
誰かが忘れていったような一本。
少しだけ曲がった持ち手。
昨日までは、あんなに騒がしかったのに。
窓を叩く音も、ニュースの音も、早めの帰宅も、
朝になると、みんな少しだけ遠くなっている。
入口のあたりに残る湿った空気や、
傘立ての周りに集まった静けさを見ると、
たしかに何かが通り過ぎていったことだけはわかる。
出来事よりも、そういう「終わった直後」に残っているものの方が、
あとから思い出になることもある。
あの日の朝も、
ただ濡れた傘が並んでいただけだったのかもしれない。
それでも、あの空気だけは、なぜか今も少し思い出せる。
傘立ての前で立ち止まったことがある人なら、
たぶんそれぞれに、少し違う朝を覚えている。




