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カーブドッチ物語 #04|一気にカーブドッチの設立まで

「新潟にワイナリーを作るんだけど、興味ない?」

そんな一本の電話から始まった私の新たな挑戦。よく考えたら雲をつかむような話ですが、時は1991年。バブルの残り香が漂っていたあの頃は、誰もが夢のような話を待ち望んでいたのです。


晴れてカーブドッチの設立

夢を形にするため、私たちはすぐに会社設立に動き出しました。

集まったメンバーは全国から総勢8人。まずは、ワインの造り手である落さん。落さんが連れてきた資産家の友人。さらに、設計士とそのアシスタント、デザイナー、プランナー、ゼネコンの営業さん、そして私。

北海道、長野、東京、埼玉、鎌倉、新潟と、この話に胸を弾ませて手を上げた全国各地の開拓者たち(?)です。

全員、本業がありつつも新しいワイン事業に加わりたいとやる気満々。集まるたびに、熱い議論を交わしたものです。


滑り出しは、順調そのもの

建物や機械、スタッフの給与。会社を立ち上げるには、設備資金も運転資金も必要ですが、まず欠かせないのが資本金の調達です。どうしたかって? もちろん、全員に出資の意思がありました。

ここで、資産家の友人が「僕がたくさん出すよ。家業がうまくいっているし、親父も賛成なんだ。運転資金も任せて」と力強く宣言。このひと言に、私たちの胸に安堵感が広がります。

資産家の友人が2,400万円、残りの7人が合わせて800万円を出資。この時点で3,200万円が集まりました。私の出資額はわずか200万円です。


新聞の一面が未来を変えた

ある日、どこで聞きつけたのか、地元新聞の記者を名乗る人から、ワイナリー取材の申し込みがありました。

これはチャンスと、仲間の設計士が建物のイラストを制作。すると数日後、新聞の経済欄に「新潟にワイナリーが設立」と大きな見出しが躍ったのです。完成イメージ図は、実にかっこいいワイナリーに仕上がっていました。まだ話だけなのに、記事の大きさに驚いていると話は急展開を迎えます。

なんと、新潟を代表するバス会社から、「話を聞かせてほしい」と電話をいただいた
のです。


思いもよらぬ急展開

不審に思いながらも、私と落さんの二人で本社ビルを訪れると、通された会議室の大テーブルには重役たちがずらり。正面には、まるでテレビドラマのワンシーンのようにオーラを纏った社長が構えていました。私も名前を知っているくらい、東京でも名の知れた有名な実業家です。

「どこにワイナリーを作るんだい?」と社長。手には、あの新聞記事がありました。

問われるままにベラベラと夢と熱意を語ると、「ふーん、面白そうだね」とひと言。なんでも、ワインに興味があって新潟にあるご自身の別荘地で、ぶどうを育てようと思っていたと言うのです。

後日、秘書から「ワイン事業に出資したい」と電話をいただき、思わぬ展開に戦慄しました。

相手は新潟一円のバス事業を運営する経営者で、新潟市中心部で大規模商業施設の開発をやってのけたカリスマ的な財界の雄。まだ会社もできていないのに、「乗っ取りじゃないの?」と震えたことをよく覚えています。


4,000万円が集まり、無事に設立登記

もちろんお断りなんてできず、資本金は4,000万円に膨れ上がりました。噂を聞きつけた地元の建設業者さんからも出資をいただき、内訳は以下の通り。この時点では、6割を出資する資産家の友人が会社のオーナーです。

【資本金の内訳】
・資産家の友人:2,400万円
・バス会社の社長さん:600万円
・地元の建設業者さん:200万円
・残りの私たち7人:800万円

無事にワイナリー会社の設立登記が完了。スタート時点の社長は落さん。会長はもちろんバス会社の社長さんでした。


いまも続く恩人との交流

この社長とのお付き合いは、最初の出資から30年以上も続いています。正直に話すといろいろ揉めたこともありましたが、今でもとても良くしてくださる恩人の一人です。

先日も奥様と一緒にワイナリーへ顔を見せに来てくださり、「頑張ってるね」とお褒め言葉をいただきました。社長のお気に入りはジャージー牛乳のジェラート。テラス席で角田山を眺めながらゆっくり味わっていかれました。

出会った頃は、鋭い眼光でまわりを震え上がらせる辣腕実業家でしたが、90歳を超えた現在は、ジャズの演奏を楽しむ上品で素敵な紳士です。


*こぼれ話|ぶどうの花は"あれ"がない

思わず、「え!どこが花なの?」と言いたくなりますが、こちらがぶどうの花です。

以前も書いた通り、ぶどうは「風媒花」なので、おしべとめしべだけで、花びらはありません。丸いつぼみが割れて、ふさふさの触角が風に揺れて自家受粉します。

開花から一週間ほどで受粉は完了し、すぐに小さな粒が現れます。最初はマッチ棒サイズで、徐々に小豆からパチンコ玉ほどの大きさへ。成長とともに段々と重くなり、垂れ下がっていきます。ぶどうの房が初めは上を向いているなんて、ご存知なかった方も多いでしょうね。

6月の雨を受けて、天に向かってグングン伸びていくぶどう。何と一日で20センチ伸びるともいわれ、その生命力には驚かされます。あっという間に私たちの背丈を超えますが、一番上の針金に合わせてきれいにカット。これで、2メートルの垣根仕立ての出来上がりです。

今のところ、生育は順調です。秋の収穫に期待が膨らみますが、この先には台風や日照りが待っていて…何があるかは分かりません。ですが、とにかく、秋には必ずぶどうが実ってくれるのです。


資本金が集まり、無事にワイナリー設立の目処がたちました。この時、私は41歳。「四十にして惑わず」と孔子が説いた年齢を過ぎ、「これが惑うことなき一生の道だ」と勝手に思い込んでいました。

3人の息子の世話は鎌倉に住む実母に、経営していた会社「ミズ・ファクトリー」はスタッフに任せ、新幹線で片道4時間以上をかけて、頻繁に新潟と鎌倉を往復する生活が始まります。

下の2人はまだ小学生。長男もやっと中学生になったばかりで、子どもたちにはずいぶん寂しい思いをさせたと思います。すっかり祖母に懐いた彼らは、母の日のプレゼントを私ではなくおばあちゃんに渡すようになっていました(笑)

次回もお楽しみに。

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