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カーブドッチ物語 #03|ワイン事業との出会い

さて、前回は鎌倉で専業主婦をしていた私が、38歳の時に株式会社を立ち上げたところまで話をしました。

今回はその続きから。いよいよ会社の求人広告を出します。資格も経験もない主婦にできることはあるのか。これから流行ることは何か。時代はどの方向に向かっているのか。ここにきて初めて、立ち上げた会社で何をするかについて考え始めたのです。



ハンディキャップを逆手に取って

ちょうどその頃です。私のアンテナがキャッチしたのは、1985年に起きた「NTTの民営化」でした。電電公社の名前がNTTに変わり、通信が自由化されると知り、「これだ!」と閃いたのです。

鎌倉と都心は電車で2時間近くかかるけれど、パソコン通信で結べば距離のハンディキャップが解消される。いちいち都心まで出向かなくても、地域を拠点に仕事ができると考えました。

朝日新聞の小さな求人広告には、「パソコン企画会社」と書きました。新しい感じがして、これなら何となく仕事も来るような気がしたのです。

すると、翌日から電話が鳴りっぱなしの状態に。湘南にいた高い学歴を持ちながらも、子育てがあってフルタイムが難しく、しかも遠くまで通えないという主婦が殺到。晴れて20人ほどを選びました。

「ひとり一台パソコンを持つ時代が来る」と予見していた私。スタッフの自宅にパソコンを用意させて、単純なワープロ入力やアンケート集計を請け負い、そのデータを東京に送る仕事から始めました。


最大の強みは、消費者目線

都内の企業への営業は私が一手に引き受けました。当時盛んだった異業種交流会に顔を出し、紹介をたどって挨拶まわりで企業を訪問。徐々に、市場調査やグループインタビューのテープ起こしへと業務の幅が広がり、大手広告代理店のプロジェクトにも関わるようになります。

そしてこの頃、自治体の街おこしブームに国の予算がつき、あちこちで企画のニーズが生まれるようになりました。大きなチャンスの到来です。私たちの売りは、暮らしに根ざした確かな消費者目線。その提案力が評価されて、どんどん仕事が舞い込んできたのです。

主婦とはいえ、高い学歴を備えた意欲的な女性たちの集まりです。大学院で学んだ経験や留学経験を持つスタッフもいて、学びへの情熱と行動力にあふれていました。

家事ではなかなか発揮できなかった力を試す絶好の機会とばかり、互いの知識を共有し合いながら成長。家庭で培ったタフさと負けん気を武器に、大企業を前にしても物怖じせず、堂々とプレゼンを成功させていったのでした。


主婦にしかできない柔軟な働き方

ハンディキャップだった「専業主婦」を逆手に取った私たちは、クライアントからの評判も上々。いつしか北海道から九州まで、全国各地から依頼を受け、常に5〜6のプロジェクトを抱えるほどになりました。

そして、地域振興やショッピングセンターの計画、観光開発プランニングまで、幅広く請け負うコンサルティング会社へと成長しました。

1988年の創業から、たった2年で登録スタッフは延べ100名常時30名以上がプロジェクトに参加する組織となります。スタッフの多くはフルタイムではなく、週3〜4日勤務。「コアスタッフ」や「フリースタッフ」など、業務に応じた働き方の区分を用意し、年に一回、契約を更新していました。

今でこそ当たり前になった柔軟な働き方を、ごく自然に実践していたのです。


ワイン事業との出会い

ミズ・ファクトリーの歩みは、時代の波に乗り順調でした。けれど、妙なことに、忙しくなればなるほど達成感は薄れていったのです。

私たちの役割は、あくまで市場調査や企画。どんなに良い提案をしても、プロジェクトが一旦始動すればそこでお役御免です。

計画がその後どうなったのか分からないまま、知らないうちに頓挫していることもありました。そんな現実に、手応えのなさともどかしさがつのり、請け負い仕事の限界を感じるようになっていったのです。

「これでは、専業主婦と変わらない。誰かの傘に守られて、最終責任を取らずに仕事をこなしているだけだもの」

「子育てみたいに、最初から最後まで見届けられる仕事がしたい」

「私たちが本当にやりたいのは、プロジェクトが始まった“その先”かもしれない」

スタッフたちの心に、そんな想いが少しずつ膨らんできたちょうどその頃、新潟のゼネコン営業さんから、声がかかりました。

「掛川さ-ん、新潟にワイナリーを作るんだけど、興味ない?」


想定外のスタートライン

最初は戸惑いました。ワインは好きでしたが、ワイナリーを作るなんて、これまでとは桁違いの規模、まったく質の違う仕事です。しかも、新潟には縁もゆかりもありません。それでも、心のどこかで「面白そう」と思ってしまったのです。

いずれは鎌倉でワインの販売でもできればいい。そんな軽い気持ちで、ミズ・ファクトリーを続けながらほんの片足で関わるつもりでした。

ところが、営業さんに詳しく聞いてみると、話は思っていた以上に厳しいものでした。

この時点では、土地もない。建物もない。製造機械も、ワインの製造免許もない。では何があるのかと尋ねると、「ワインを造る人はいるみたい‥」と。それだけです。

またしても、ゼロからのスタートでした。ですが、この出会いが新潟を舞台にした、本気の実業へと姿を変えていくことになるのです。


*こぼれ話|ぶどう畑の小さな助っ人

カーブドッチのぶどう畑は、10ヘクタールほど。小学校の校庭で言えばおよそ10校分というかなりの広さがあります。

初夏を迎えた今、一番大変な作業は草刈りです。カーブドッチは除草剤を使わないため、人の手ですべての草を刈らなければなりません。一日がかりで草刈りを終えて「やっと終わった」と振り返ると、もう最初の場所には次の草が生えているくらいですから、ホントに大変です。

今ではこの重労働を一手に引き受けているのが、強い味方の草刈りロボット「クロノスくん」です。

見た目はミニカーのように可愛らしいのですが、一日10時間以上、黙々と動き続ける頼もしい働き者。バッテリーが切れそうになると、自分で充電器に戻る賢さも持っています。「Chronos(クロノス)」は「時間の神様」を意味するギリシャ語。まさに、大いなる時間の節約をもたらしてくれました。

クロノスくんが通ったあとには、ふかふかの草が敷き詰められた小道ができます。雨の日も風の日も、朝から晩まで、文句ひとつ言わずに草を刈り続ける姿はとても愛おしく、「頑張って!もう少し!」と、思わずエールを送りたくなります。


今では、無くてはならない相棒

クロノスくんが来てから、ぶどう畑はいつ見てもきれいです。刈って粉砕した草のカスはそのまま畑に放置。回収の手間もありません。さらに、このふかふかのカスが砂地の乾燥を防ぎ、夏の暑さからぶどうを守ってくれるのです。

ミミズたちも畑に戻ってきました。ミミズは土を耕し、ぶどうの根に空気を届けてくれるだけでなく、土を食べて糞として有機物や微生物を作り出してくれる益虫。クロノスくんのおかげで、無機質な砂地だった畑に、少しずつ自然の循環が蘇ってきたのです。

ぶどうの栽培は、一年を通して続く仕事です。「芽かき」から春の作業が始まり、夏には草刈りと不要な葉を取り除く「除葉」。秋になったらようやく収穫、そして醸造へ。冬の間も休むことなく、ぶどうを剪定し、畑に堆肥を入れます。

昔から、ワインづくりの9割はぶどう作りと言われるように、畑での作業がすべての基盤。骨の折れる草刈りをクロノスくんが担ってくれるおかげで、私たちは他のことに集中できるようになりました。

人の手と、機械の力と、自然の恵み。すべてが一緒になって、今年もカーブドッチのワインが生まれてきます。


クロノスくんは、お客様の間でも人気者。畑で働く姿を見つけたら、ぜひ近づいてみてください。ぶどうの幹を上手に避けながら、器用に走り回る姿にはきっと心が和むはず。

次回もお楽しみに。

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