カーブドッチ物語 #02|専業主婦の頃はストレスのかたまりだった
カーブドッチを創業してから30年余り。ありがたいことに、今では年間30万人以上が訪れる新潟を代表する観光ワイナリーになりました。
人前で話す機会をいただくと、「なぜいきなりワインを始めたのですか」「なぜ新潟だったのですか」と必ず聞かれます。
確かに気になりますよね。15年子育てに専念していた専業主婦が、自己資金もないのに鎌倉から新潟に移ってワイナリーを立ち上げたなんて誰も信じない。なぜそんなことが出来たのか、正直、私も不思議です。
この行動力の源を、私も知りたいのです。偶然が重なり合って、考えてもみなかった方向に舵をきった人生ですが、改めて振り返り答えを見つけたいと思います。
専業主婦の起業物語
私の生まれは名古屋です。父の転勤で東京へと移り住み、高度経済成長期のまっただなか、人もうらやむ花形業種「総合商社」に就職します。私のキャリアはここから始まりました。
希望を胸に入社した憧れの職場でしたが、当時の商社で女性が任される仕事には限りがありました。昭和の時代は、女性はあくまで男性の補佐役。忙しく働いているのに何の期待もされず、男社会の中で理想と現実のギャップに不完全燃焼の日々。私は、あっという間に挫折しました。
もったいないと言われながらも、結婚を機にさっさと外資系企業へと転職。ところが今度は、男女お構いなしに能力重視で成果ばかりを求められる過酷な日々。
「男女平等とはこんなにも厳しいのか」と自分の甘さを知ることになりました。ちょっと疲れた私は、妊娠をきっかけにこの会社も退職します。
とりあえず仕事のキャリアは横に置いておこうと、ここから専業主婦生活が始まります。
専業主婦の15年と、胸の奥にあった違和感
3人の息子に恵まれ、移住先の鎌倉で家事と子育てに専念する毎日。三食昼寝付きと揶揄された「専業主婦コース」は私にとってはその通りで、居心地よく、あたたかく、幸せではありました。
でも、心のどこかには得体の知れない違和感があったのです。
仕事のキャリアどころか、自分探しという名の迷路に入り込んでしまいました。このままでは、子どもたちが巣立ったときに取り残されるという強迫観念。焦りにも似た気持ちが、胸の内にどんどん広がってきたのです。
もちろん、鎌倉にも主婦の働き口はありましたが、何かが違う。お金が手に入ればどんな仕事でもいいわけではありませんでした。
40歳までに、惑わない自分に
でも当時は親族のサポートもなく、行政の保育支援も乏しい時代。何かしたいと思っても、子育てに専念する以外の選択肢が本当に少なかったのです。
そこで、「自分なりにできることを」と、家事の合間に目を皿のようにして新聞を読み込み、映画や音楽、本を漁って、とにかく興味のアンテナを張り続けました。
そんな日々のなか、30代で出会ったのが論語の「四十にして惑わず」という言葉です。
「40歳にもなっても迷っているようじゃダメ。それまでには自分の行く道を決めるべし」と解釈しましたが、裏を返せば20代、30代は迷ってもいいんだ、遅くはないのだとも思いました。
40歳までに自分の道を決める。そう決意して、三男が小学校に上がり38歳になった年に会社を作ることにしました。
いきなり起業です。当時は何をしたいかも分からなかったので、とりあえず会社を作りました。長年ため込んだストレスを解放するため、「何かを始めること」が最優先だったのが正直なところ。それに、早く自分を追い込まないと、また易きに流れそうでした。
主婦だけの会社「ミズ・ファクトリー」を設立
夫から資本金200万円を借りて、会社を設立。信用が第一だと思い、「株式会社」にしました。名刺もかっこいいですし。

会社からは六国見山がよく見えました
何をするかが決まっていないけれど、やっぱり社員が必要かなと新聞に求人を出すことにしました。そこでまず、「自分だったら、どんな働き方がしたいか」を考えてみました。
私と同じように、日々モヤモヤを抱えながら過ごしている主婦は、きっと他にもいる。そんな人たちが集まれば、良いチームがつくれるのではないか。他のどの会社にもない、新しい働き方を実現しようと決めました。
採用の条件はこちら。
◎応募できるのは、子どもがいる専業主婦に限る(私がそうだから)
◎出社の義務はなく、在宅ワークでOK(これ、マストです)
◎給与はプロジェクトごと、成果に応じた出来高制(やる気につながる)
今では当たり前ですが、なにしろ37年前ですから、我ながら目の付け所が良いですよね。
会社名も、新聞の求人欄に載せるのに必須です。主婦だけの会社だからミセス? いや、男性と同様に配偶者の有無にかかわらず統一した敬称のミズ(Ms)を使おう。株式会社ミズ・ファクトリーに決めました。
会社名の次は、いよいよ業種。何を事業とするかです。私は主婦15年と長かったし、そもそも何も資格を持っていません。
でも、仕事内容が決まらないと求人も出せないし…と、世の中に新しいことが起きていないかを得意のアンテナを張って情報収集。そして、ついに見つけ出したのです!
当時の取材記事が残っているので、答えはこちらを読んでみてください。

4回目がワインと出会う回です
15年間の葛藤が原動力に
何よりも大きかったのは、「自分らしい生き方をしたい」という貪欲な気持ち。家族のために社会の枠の中で生きることが“正解”の時代でしたが、「このままでは終われない」と思いました。
私にとっての自分らしさは、「仕事がしたい!」でした。夫を支え、子どもを育てることだけでは、私は自分の人生に納得できなかったのです。
家族の付属品ではなく、一人の人として自立したいという強烈な渇望。専業主婦になってから溜め込んだ「15年分のストレス」が、私を突き動かした原動力でした。
そして、後先も考えずに会社を作り、キャリアアップどころか「人生は冒険だ!」と、無謀な旅に出ることになったのです。
*こぼれ話|ワインとバラの秘密
カーブドッチの建物群は芝生のお庭に囲まれていて、その先に広大なぶどう畑が続いています。
ワインの本場フランスやドイツも同様で、ワイナリーには必ずと言ってよいほどキレイなお庭があり、四季折々の美しい景観を作っています。
確かに、体力勝負の外仕事の合間にキレイなお庭を見れば、心が和みます。ワインづくりのモチベーションにつながるため、庭づくりにも一生懸命励むことになるのです。
カーブドッチは、立夏から梅雨入りを迎えるころがお庭の最盛期。主役はやっぱり色とりどりの「バラ」です。
一番咲きは「マリアカラス」。その名の通り、プリマドンナを連想させるゴージャスな赤いツルバラで、今年は例年より少し遅く、GW後に咲き始めました。

大輪のバラが次から次へと!
実は、バラとぶどう畑には、古くから“言い伝え”があるのです。
なぜ、ワイナリーにバラ?
ワイン事業を始める前、ヨーロッパのワイナリーを見て回りました。フランスやドイツ、イタリア、スペイン…。どこのワイナリーにも、ぶどう畑のはし杭にバラが植えられています。
理由を尋ねたところ、「バラは病気や虫のインディケーター(指標)なのさ」と教えてくれました。つまり、バラの異変にいち早く気づけば、ぶどうへの被害を防ぐことができるというわけです。
もっとも、この話はちょっと眉唾ものなのではと思います。なぜなら、醸造家はぶどうの様子を毎日くまなく見ているので、バラに頼らなくても異変はすぐに気づくはずですから。
でも、とにかくキレイなので「うちも植えよう」と思ったのがはじまり。20年ほど前から始めて、美しさに魅了されどんどん数が増えていきました。
視野を少し広げて、ぶどうの花を観察
ここで、花が咲く前のぶどうを見てください。可愛らしい房のようなものがもう出来ています。

この粒々が割れ、なかから雌しべと雄しべが出てきてフワフワに。
ですが、ぶどうには花びらはありません。なぜかと言うと、ぶどうは虫媒花ではなく風媒花だからです。
虫を寄せるためのキレイで香りのよい花びらはいらない。甘い蜜もいらない。風に揺られて自然に受粉するのがぶどうです。でも、花びらがなくてもちゃんとぶどうの甘い香りがするのですよ。
ワインをさらに楽しんでもらいたくて
お庭に植えてあるのは主に「イングリッシュローズ」と呼ばれる品種群で、現在は150種類、約400株が咲き誇っています。香りが良くて次から次へと長く咲く、アジサイのような株立ちのバラです。
あくまで「お庭」であって植物園ではないので、名前のプレートはありません。バラを引き立てる宿根草やハーブがその傍に植えてある、いわゆる「イングリッシュガーデン」です。

バラのアーチ
バラはものすごく手間がかかります。病気に弱くて虫もつきやすいし、肥料もたっぷり必要です。手をかけなければ、すぐに枯れてしまう繊細でやっかいな植物なのです。
カーブドッチには、バラが大好きなスタッフがたくさんいます。みんなからの愛情に応えるように、今年も美しく咲いてくれることでしょう。

私は、お庭を「カーブドッチの顔」だと思って大切にしています。それは、美味しいワインを味わう場所は、五感が心地よく満たされる環境であってほしいと思うから。手がかかるけれど、お庭のおかげで場の空気が和み、会話も弾む空間です。まだ来たことのない方は、ぜひお越しくださいね。
次回もお楽しみに。
