カーブドッチ物語 #23|温泉なのに「本の森」
ここまで、一気に30年の時を駆け抜けてきた「カーブドッチ物語」。
「いつも度胸で綱渡りしていて、思い立ったら吉日という展開だ」と、笑われているかもしれませんね。温泉施設「ヴィネスパ」のラウンジを書店に変えたのも、コロナ禍真っ只中のこと。
追い詰められた末の、いわば苦肉の策。けれど結果的に、「温泉」と「ワイン」と「本」の組み合わせは、思いのほか多くの人を引きつける力を持っていました。
ラウンジの壁面をすべて本棚に
初めて訪れた人をさらに驚かせるのが、建物がもつ構造美と本を楽しむための空間づくりです。
床面積が延べ700坪のヴィネスパの建物は、もともと少し変わった形をしています。中央に大きな中庭を抱え、その周りをぐるりとラウンジが取り囲む構造。このラウンジの壁面すべてを本棚に改造しました。
つまり、中庭の外側にぐるっと本のラウンジがあり、さらにその外側に「さまざまな愉しむための部屋」が潜んでいるのです。
湯上がりも心地よく、ワインを片手に本を読み、時にはそのまままどろむ…。ここは、静かに、深く、時間を過ごすための空間です。


「方行の庭」を抱え込む建物
では、建物の中心にある中庭に出てみましょう。
ドアを開けると空気が変わり、水音が響いてきます。設計を手がけた白鳥健二先生は、「方行(ほうぎよう)の庭」だと教えてくれました。
方行とは、禅宗・建築の世界で使われる言葉で、四方を建物に囲まれた四角い庭を指します。空間に秩序と余白、そして精神的な均衡をもたらす、静謐な庭。寺院や数寄屋建築の中で育まれてきた、伝統的な空間思想です。
一年を通して緑を絶やさない楠の木のが作る柔らかな木陰。中央には、リズミカルな水音を立て、くるくると回り続ける噴水。水しぶきが光を含み、空気にやさしい潤いを運びます。

イスやベンチやパラソルが
この噴水は、カリフォルニアのナパで見つけたものでした。電気を使わずに、水道の圧力だけで永久に回り続ける、不思議なエコ噴水です。
写真を撮って持ち帰り、金型の職人さんに「同じものを作ってほしい」と無理を承知でお願いしたところ「やってみよう」との返事。
それから幾度もヴィネスパに通っては、微妙なバランスを調整しながら改良を重ね、遂に完成。電力を一切使わずに回り続ける、究極のエコ噴水です。奇跡のような出来事でした。
さすがは燕三条。ものづくりの町が誇る高い技術です。

二階は、もっと楽しい
階段を上がると、二階にも中庭を見下ろせる空間が広がり、南棟と北棟で、それぞれが異なる表情をもっています。まず南棟へ。

ここには、長さ15メートルのダイナミックなカウンターがあります。
ノートパソコンを広げるシーンは、まさにリゾートワーク。壁一面の本棚には、ビジネス書をはじめ、社会や世相を読み解く本、そして思わず手に取りたくなるこだわりのマニア本が並びます。
本棚のあちこちに、くり抜かれた「おこもりスペース」を用意。すっぽりとはまり込みそのまま眠ってしまった人をよく見かけます。

この奥には、アヴェダスパの個室やヨガルーム。二階ならではの静けさの中で、ゆったりと自分の時間を過ごせる場所になっています。
反対側の北棟の階段を上がると、広々としたギャラリーが現れます。
絵画の展示会にも利用されるこの場所には、美術書や画集、写真集など、「見る」「眺める」ための本が揃い、中には手に入らない貴重な一冊も。
特設コーナーの「幅棚(はばだな)」には、選書家の幅さんがその時々のテーマに沿って選んだ本が並びます。今のテーマは「出汁と昆布」、前回は「歩きながら考える」でした。選書は年に4回、50冊ずつ。毎年200冊ずつ新しい本が増えていくのも楽しみです。
「選書がいいですね」と、よく耳にします。なぜ、幅さんの選ぶ本はこんなにも人を惹きつけるのでしょうか。説明はできないけれど、確かに引力がある。私たちは、それを「幅マジック」と呼んでいます。

そのすぐ横の中庭を臨む場所には、おとなの絵本や旅の本が並びます。
時間を遡って本の世界を行き来し、遥かな土地へと思いを馳せる。
そんな心の旅を楽しみながら、くつろげるスペースです。

ヴィネスパは、本の楽園
個性と表情を持つ色とりどりの表紙が「手に取って」と語り掛け、私たちを本の世界へと誘う…。本を並べたラウンジは、いつしか美術館のようになりました。

こうして生まれたのは、どこにもない本屋さんでした。
本に囲まれ、身を委ね、時間そのものを味わうための場所。今では本を目的に、日帰りで、あるいは泊まりがけで、日本中から本好きがはるばる訪れる書店になりました。


温泉に入り、ワインを味わい、本と出合う。これらが自然につながったとき、ヴィネスパは「本の楽園」になりました。
温泉施設に本屋が加わったことで、お客様の過ごし方は大きく変わりました。では次に、本屋として何を仕掛けるのか。
スマホが当たり前になり、電子書籍も広がり、「もう本屋は厳しい」と言われる時代です。どうすればもっと本が売れるようになるのでしょうか。
旅先のホテルで得たヒント
そんなことを考えていた頃、友人たちと那須高原のあるリゾートホテルに泊まる機会がありました。そこで出会ったのが、「アーティスト・イン・レジデンス」という考え方です。
そのホテルは那須の生態系を守ることを大切にし、その土地の水や木、生きものの循環など、自然の仕組みの保存に力を注いでいました。
ラウンジにはビオトープに関する本が置かれ、壁には絵画が点在し、庭には彫刻やオブジェが佇んでいます。
ひと目で「ここのオーナーはアートが好きなんだな」と伝わってくる空間づくり。そして驚いたことに、その絵画やオブジェは、すべてこのホテルで生まれた作品でした。
那須の「アーティスト・イン・レジデンス」では、アーティストの卵たちが、ホテルに滞在しながら作品を制作をします。無料で宿泊すできる代わりに、完成した作品のひとつをホテルに残していくのです。
ホテルは活動を応援しながら、その場に根づき、風景の一部になる作品を増やしていく。そんな循環の仕組みです。
「いいな」と素直に思いました。
那須の自然の中で生まれる作品は、喧騒な日常を離れ、自然の空気を纏って、きっと良いものになる。しかも、つくった場所に作品が置かれているというのも、また素晴らしい。その体験は、宿泊の満足度をぐっと高めてくれました。
本の世界には、もともとあった
空間が作品を生み、作品が空間の価値を育てていく。
「カーブドッチの本屋にも、こんな循環が根づいたら素敵」と思った時、ふと浮かんだのが「ライターズ・イン・レジデンス」でした。
アーティストではなく、ライターでやろう。カーブドッチには、泊まる場所があり、本を売る場所がある。ならば、作家さんに滞在してもらい、ここで生まれた物語を本にしたらどうかと。
よく考えたら、本の世界には似たような例が昔からありました。名だたる文豪たちが温泉宿に逗留し、旅籠に缶詰になって執筆に没頭してきました。
日常を離れて書くために泊まる。その濃密な時間が、数々の名作を生んできたのです。
川端康成が越後湯沢の旅館で書き上げた「雪国」。
夏目漱石が熊本の旅館で執筆した「草枕」。
外国に目を向ければ、「オリエント急行殺人事件」は、アガサ・クリスティが雪に閉じ込められたイスタンブールのホテルでの実体験から書いたと言われています。
カーブドッチを舞台に
「ライターズ・イン・レジデンス」では、カーブドッチに滞在しながら短編小説を書いてもらいます。
内容も自由、主人公も自由。だけれども、物語の舞台はカーブドッチにすること。それだけはお願いしようと決めていました。
できあがった物語は、自分たちの手で本にしてみたい。そんなふうに思った瞬間、「本屋を営む」から「本を出版する」へと発想が一気に飛躍。でも、それはさすがに私の手に余ります。
そこで、本屋づくりでお世話になった幅さんの助けを借りることにしました。幅さんなら、デザイナーやイラストレーター、紙屋さん、印刷所まで含めたネットワークを持っているはずだと思ったのです。
装丁は、幅さんとともに
相談すると、「ぜひやりましょう」という迷いのない言葉が返ってきました。本屋さんに並ばないような面白い本を知っているし、実際に作ったこともあるそう。めでたく出版までの道筋が整い、会社の定款に「本の出版と販売」を加えました。
販売方法は、最初から決めていました。他の書店には卸さず、カーブドッチのショップと通販のみ。ここでしか買えない本です。
旅のお土産として持ち帰るのもよし。自分への滞在の思い出として選ぶのもよし。なんとも、カーブドッチらしいではありませんか。
本屋の次の一手が「出版」だと腹落ちしたとき、誰も渡ったことのない川を、ひらりと越えてしまったような爽快感がありました。
カーブドッチでしか手に入らない本を出版する。そう考えただけで、ワクワクします。
さて、誰に書いてもらうか。できれば作家さんの卵ではなく、今まさに活躍中のピッカピカのベストセラー作家がいい。きっと素敵な物語になるはずと、妄想は膨らむばかりです。
もちろん、それが一番難しいことです。けれど思わぬことから「ライターズ・イン・レジデンス」は動き出します。
次回もお楽しみに。
