【小説】ホームズ #8 完結編
◯
「健太!健太!」
美子の声で、健太は目を覚ました。
「…お母さん?」
言うやいなや美子は健太に抱きついた。
「もう離さないわ。ごめんね、ひとりにして。」
そして宇治川のほうに向き直った。
「帰るわ。飛行機を出して。」
「…ちょっと待てよ。まだ舞が…」
「いい加減にして。」
美子は眉間にシワを寄せた。
「私にとって健太はなによりも大事なの。わかった?わかったなら早くして。」
なによりも、か。
宇治川は天をあおいだ。
結局私は、しょうもない欲求をこじらせていただけのアホだったということか。
「…健太は俺の息子だ。….でも、ここにいたら危険だ。すぐに飛行機を用意するから、空港に向かうんだ。」
「?わかったならいいわよ。」
もう間違えない。私は──。
そのときだった。
美子の顔がみるみる凍りついていった。
視線の先には──
◯
「…….詩織。」
そこに立っていたのは、黒い亡霊だった。その後ろには、舞の姿があった。
「悟。ずっとこの日を心待ちにしてた。この日のために、好きでもない男に尻尾をふったの。」
「さがれ詩織。まずは落ち着くんだ。」
「ねえ悟?あなた、なにか勘違いしてるみたいだけど。私は家族みんな愛してた。舞も、そしてあなたも。」
寝耳に水だった。
「…そんなバカな。君は、娘のために私にすり寄ってきたのでは…」
恍惚とした表情で、詩織は続ける。
「初めてキャバクラで会った日から、あなたのことが大好きだった。お店の営業のことなんて忘れて、ぜんぶあなたに尽くしたの。でも、あなたは来なくなっちゃった。」
詩織の目が見開かれていく。
「すぐにあなたを探したわ。そして見つけた。でも、今の私じゃあなたはまた去ってしまう。だからステータスを身につけることにしたの。」
「夫と死別して女手ひとつで娘を育てる凛々しい女。こういう設定なら、あなたも営業じゃないって分かってくれるって思ったの。」
宇治川はなんども首を横にふった
「まて、何を言ってるんだ?」
「客の中から、適当に選んだ男と子供を作った。これよ。」
詩織は舞の髪を掴んで前に出した。
「そして結婚して、すぐに夫を線路に突き飛ばしたの。端から見れば私は哀れな未亡人な女。娘まで抱えちゃってさあ。」
顔をときおり、くしゃくしゃに歪めながら、詩織は淡々と喋る。
「そして満を持してあなたと会った。頑張って喋ったわ。だってあなたのことが大好きだから。結婚して、幸せだった。3人家族。私がずっと望んでたもの。」
徐々に詩織の目のトーンが落ちてゆく。
「でもあなたは裏切った。しかもあろうことか、あなたはそこにいる女に舞を預けて、そしてこう言った。『舞は私が連れて行く。恨むのなら、私のためでなく舞のために結婚を選んだ、君自身を恨むんだな。』」
美子が信じられないという顔で宇治川を見た。
「私は出会ったあの日からあなただけを追い求めてきたのに。家族という要素を構成するひとつは、絶対にあなたでなくちゃならなかった。なのにあなたは私の元から2度も去ってしまった。」
「仕方ないから、私も一肌脱いだの。適当な客を夫にして、その裏であなたからすべてを奪う。楽しかったなあ。あなたは《怪盗》に惑わされてすべてを失って、そしてなにもかも失ったあなたを、私は優しく包み込むの。今度こそ、一生添い遂げる。私とあなた、そして舞の3人家族。どんな物より切れない絆。でもあなたは逃げちゃうから。」
ゆっくりと、詩織がこちらに近づいてきた。
「一生消えない首輪をつけてあげる。」
その目は、美子と健太に向いていた。
◯
ドアを蹴破り、武雄が事務所の中に入った。
今まさに、詩織が美子と健太に襲いかかろうとしている瞬間だった。
「詩織さん!ストップ!」
武雄の声に、詩織が振り返る。
「あなたは…ああ、探偵か。まだいたの?」
冷酷な声は、そう簡単に跳ね除けられそうもない。
「僕は《探偵》で、あなたは《怪盗》。あなたの罪を暴きます。」
「ふざけないで。あなたは偽りの探偵でしょ?そういう役割なの。これ以上私の物語に干渉しないで。」
「..役割とか、そんなに大事ですか?」
詩織は当惑した顔でこちらを向いた。
「家族って、もっと柔軟だと思うんです。母親、父親、妻、夫、息子、娘、兄、姉、弟、妹、こんなのはただの見てくれで、ホントに大事なのは、お互いに信頼し会える関係なんじゃないですか?」
武雄は、舞を抱き寄せた。
「この子は、あなたの道具じゃない。あなたの家族という物語を構成する娘役じゃ断じてない!」
「あなたに何がわかるの?離しなさい!その子から今すぐ!その手を!」
「絆っていうのは、恐怖で支配することじゃないですよ。もっと抽象的で、もっと愛にあふれたものだ。」
「あなたは違うわよね?舞。あなたはお母さんのこと、ちゃんと分かってくれるわよね?お母さん、人の愛し方がちょっとおかしいから。でも、ちゃんと舞のこと、愛してるわよね?」
舞は、すこし遠慮がちに、それでも大きな声で言った。
「….お母さんにずっと会いたかった。でもそれと同じくらい..怖かった。」
詩織の中で、なにかが音を立てて崩れた。
「…だめだわ。今度は舞なのね。わかった。舞の大事な物ぜんぶ奪うわよ。それでいい?」
「お母さん。」
「ほんとに聞き分けのない子ね。いい?あなたは私のとなりで、ニコニコ笑ってればそれで」
「お母さん!」
「それは、愛じゃないよ。」
絶望に彩られた詩織の目には、もうなにも写っていなかった。
◯
「詩織。すまなかった。私のせいだ。すべて私のせいだ。君の人生を奪ってしまったこと、心から詫びたい。すまなかった。」
宇治川の声はもう詩織には届いていなかった。
「…お願いだから。お願いだから私を愛してると言ってよ。
くれないから、欲しくなるんじゃない。」
詩織は大粒の涙を流した。
武雄から見れば、詩織もまた、被害者だ。宇治川という男によって狂わされたひとりの女性。もしかしたら、彼女は元から狂っていたのかもしれない。だがそれでも、トリガーを引いたのは宇治川だ。
ひとしきり泣いた彼女は、すくっと立ち上がった。
「…私も探偵になりたかったなあ。」
そう言うと彼女はバタリと倒れた。宇治川が駆け寄る。宇治川の脳裏には、たくさんの探偵小説を抱える、かつての詩織の姿が浮かんでいた。
◯
「お姉ちゃん!」
健太が駆け寄ってきた。
「探偵さんも!!!」
新幹線で離れ離れになってから、久しぶりの全員集合だった。正確には、廃工場で揃ってはいるが、あのとき健太は眠っていた。
「2人とも、よかった、よかった。」
思わず涙が溢れてきた。やりきったのだ。守りきった。自分の命よりも大切なものを。
「健くん。お姉ちゃんを大事にね。」
舞がハッとしてこっちを向く。武雄は静かに頷いた。
根岸も泣いていた。思わずティッシュを渡す。それでもおいおい泣いていた。
すべて、おわったのだ。
家族という呪いは、食い止められた。
《エピローグ》
10年後。
「…警察学校を卒業する諸君。おめでとう。」
来賓として招かれていたのは、福島武雄。10年前の警察庁幹部汚職事件の被害者であり、探偵ブランド終焉に立ち会った最後の探偵である。
その後の10年ですこしずつ汚名はそそがれ、ようやく今日、表舞台に立った。
「諸君らの中には、進むべき道が見えていない者もいるだろう。そんな時こそ、信頼できる仲間を頼ることだ。それは友人であり、家族であり、例え日本中が敵になっても味方でいてくれるような、愛に溢れた同士だ。」
「君たちの行く末が輝かしいものであることを、心から願ってやまない。」
晴天の中、卒業式を終え生徒が警察学校からぞろぞろと出て来た。
そして、その中に宇治川舞の姿をみとめた。
「やあ舞ちゃん。」
「武雄さん、どうも!いい祝辞でしたよ!」
敬礼をしあって、そのまま車に乗った。後部座席には、今年から高校に入る健太がいる。
「ふたりとも久しぶりだね。随分大きくなったなあ。」
「なんか、昔みたいじゃねえ?」
「なによその言い草」
舞と健太が笑い合う。
根岸マオと松野健介は、その後、日本映画界の一翼を担う名コンビとなり、今はハリウッドに挑戦している。
岩村さんは、定年退職後は故郷のだだっ広い土地で愛車を乗り回しているとのこと。
宇治川と美子は、鹿児島でひっそりと暮らしている。宇治川は毎月、東京の刑務所に面会に出向いている。詩織は面会を拒否しているが、これからも死ぬまで通い詰めるとのことだ。
坂本と柳はその後復職し、現在も警察官として勤務している。
真島や石田を始めとした面々は、現在も多くの裁判を抱えながら、服役中である。
3人の乗った車は東京駅を通り過ぎた。
「それで?舞ちゃんの希望は?」
「ストーカー被害にあってる人を、ひとりでも多く救う。」
神妙な面持ちで答える舞が、すこしおかしくて、でもとても嬉しかった。
日が差し込む中、車は都市高に突入した。これからふたりを空港まで送っていくのだ。
「ライングループの名前、変えようぜ」
「健太が決めなよ。」
「ええーじゃあ、、、、ホーム'ズとかは?」
「はは、なにそれ。家達?」
「家族たち!」
小さな笑いは、大都市の中に消えていった。
Fin.
《おまけ》
「宇治川巡査、この書類、整理しといて。」
書類を受け取った舞は、腕をまくってひとつひとつに目を通し始めた。
──これ。
《当初は凶器は判明していなかったが、捜査の結果、凶器はボールペンであったことが判明した。動機は、加害者が秘密裏に屋根裏で飼っていた犬を被害者が屠殺したことによる。》
これ、あの寸劇のやつじゃん。
舞はあの日の会話を思い出していた。
「おかしいでしょボールペンとか。犬の話も意味不明だし」
「ふふふ。そいつはどうかな。私は結構先見の明があるんだよ。」
「だってこれ実際の事件を脚色してるんでしょ」
「事実は小説よりも奇なりっていうじゃろ?」
舞は狐に包まれたような思いで、また書類を整理し始めた。
