見出し画像

【小説】ホームズ #6


舞と健太の母親である美子から、宇治川に連絡があったのは武雄たちが探偵事務所に到着してからすぐのことだった。
『どういうことよ!健太は無事に戻るって言ったじゃない!』
美子を必死になだめる宇治川を、武雄は応接間で待っていた。
根岸も岩村さんも同じように座っている。
舞は、美子とは会話したがらず、武雄の隣で座っていた。
「みんなすまん。」
席につくなり、宇治川は詫びた。
「なにはともあれ、まずはここまで来れて良かった。」
だが、今武雄が気になっているのはそんなことではなかった。
「宇治川さん。説明してください。」
「…何をだ。」
武雄はずっと引っかかっていたことがあった。ここで、宇治川に宮崎に行くよう依頼されたときから、ずっと。
「僕らが高速道路に乗ったら、検問が始まった。僕らが新幹線で東京に向かったら、駅には警察が待ち伏せしていた。」
「…それは。」
「東京駅に待ち伏せていたのは偶然かもしれません。でもあそこには、石田がいた。」
武雄は続ける。
「石田は僕らの後を追っていたはずです。だから少なくとも、彼が東京に先回りしていたのはおかしいんですよ。それに岩村さんの話だと、都市高の検問はいち早く終わったって。それは逆に言えば、もう高速道路を中止する必要がないからじゃないんですか?真島が….僕らが東京に来ることを、知っていないとこうはならないはずですよ。」
宇治川の顔がすこし揺らいだ。そして、大きく息を吐いた。
「宇治川さん。なぜ僕らに東京に来るよう言ったんですか。」
そう、わざわざ東京に来るよう命じた理由はわからないままやってきた。そのせいで、健太は捕まったと言ってもいいのではないか。
「….わかった。話そう。」
宇治川はスマホを取り出し、武雄に見せた。
「これは《怪盗》を名乗る者からのメールだ。」

しばらく皆、唖然としていた。いのいちばんに声を挙げたのは舞だ。
「じゃあ、お父さんは私をその、怪盗に渡すために戻ってこさせたってこと?自分の地位を守るために。」
鋭い指摘だった。
「…ちがうとは言えん。」
その言葉に、舞は顔に絶望を浮かべた。
「じゃあ、後手後手に回ってたのは、怪盗が、3人が東京に来ることを知ってたから?」
根岸が推察する。
「ああ。恐らくな。」
「宇治川さあん。ここの会話で、高速道路はおりた、って言っちゃってますよお」
岩村さんがメールを指差す。
合点が行った。宇治川の失言で、都市高の検問は解除されたのだ。
「すまなかった。」
宇治川は絞り出すように頭を下げ、言った。
「怪盗の正体、誰なんでしょうね。」
そこで初めて、武雄は口を開いた。
「宇治川さんだけじゃなく、僕さえも貶めて、そして舞ちゃんを要求してる。」
言いながら、思案する。根岸が言葉を継いだ。
「個人的な恨みかな。」
さらに舞が呟いた。
「….真島さんじゃないの?お父さんのライバルだし、今までの話でいちばん得してるのが真島さんだし。」
普通に考えれば、そうなる。
武雄はこの数日を振り返って、ずっと引っかかっていたことの正体を探っていた。
ずっとつきまとっていた、違和感。
「舞ちゃん。考えないようにしてるでしょ。」
「え、なにが?」
舞が不思議そうな顔を向ける。
「ずっと変だと思ってたんだ。最初に宇治川さんに依頼されたときも、あの隠れ家を脱出したときも、高速道路で喋っていたときも、ずっとそう。宇治川さんも、舞ちゃんも健くんも、みんな避けてた話題があった。」
「…話題?」
岩村さんも根岸もこちらを見ている。まるで本当に探偵が喋っているときのようだ。
「母親だよ。全員、母親の話をしたがらなかった。」
空気が変わった。
「宇治川さんは女性トラブルを過去に起こして、もう交際はしないと宣言してた。でも実際は、交際してた。そういう筋の依頼で、隠し子と宮崎で隠遁生活を送れっていう話だった。なのに、依頼する時、宇治川さんはひとこともその「隠し妻」の話をしなかった。」
「隠れ家から脱出する方法を考えたときもそうだ。熊本の実家に母親がいるのなら、助けに来てもらえるはずなのに、
僕が根岸さんを呼ぶ案を出すまで2人の口から母親を呼ぶという選択肢は出てこなかった。」
「高速道路で、健くんが初めて母親の話をした。でもすぐに舞ちゃんが話を継いで、その間健くんは黙ってた。そのときは、親のゴシップの話だから、気まづくて黙ってるのかと思ったんだ。」
武雄は息を吐くように続ける。
「でもちがうよね。本当は、母親の話題が触れにくいことだったんだ。宇治川さんが依頼するときに母親の話題を出さなかったのは、説明が難しいほど複雑だったからだ。単純な隠し妻じゃないから、出さなかった。そして、母親の話題は姉弟の間でも避けられてる。家族全員、僕に説明できない事情があるからだ。」
「舞ちゃん。怪盗の正体が真島、なんて、だれでも推理できるよ。舞ちゃんはもっと観察力が優れてるし、誰も気が付かないことに気がつく。」
舞の目には涙が浮かんでいた。宇治川は顔を下に向け、微動だにしない。
「舞ちゃん。本当は気づいてるんじゃない?正体に。僕はそれが、母親の話題と関係がある気がするんだ。」
ここまで言い切って、重い沈黙が場を支配した。
決して口には出さないが、武雄は初めて2人にあったときも違和感を覚えていた。健太は宇治川によく似ていたが、舞はまるで似ていなかったのだ。そのときは、かなり母親の遺伝子がつよいんだろうと思っていた。
だが、今は。
沈黙を破るように、舞が言葉を吐いた。宇治川は最早、止めることもせず小刻みに体を震わしていた。

「探偵さんの言う通りだよ。私は、美子さん──、健太の母親とも、お父さんとも血がつながってない。だって美子さんとお父さんが結婚したのは10年前。そして私は、15歳。」
「私はお父さんが美子さんよりも前に付き合ってた人の連れ子。その人とお父さんが別れて、私はお父さんに引き取られた。」
触れにくい話題だったのはそのためか。武雄は霧が晴れる思いだった。
先程、美子が電話口で健太の心配しかしていなかったこと、
そしてその美子と、舞が話したがらなかったこと。
5歳で母親が変わり、さらにその母親は新しく子供を生んだ。
想像すれば吐き気がするほど、少女には重い現実だ。
現に、美子は電話口でこう言っていた。
『どういうことよ!健太は無事に戻るって言ったじゃない!』

「私の、最初のお母さんはモーリス・ブラウンの「怪盗ルパン」が大好きだった。最後の日も、『私が必ず舞をあの人の元から盗みだしてあげるから』って言われた。だから《怪盗》の話を聞いて、最低の考えが浮かんだ。
でも考えたくないでしょ?今起きてることぜんぶ、お母さんの仕業だなんて。」
舞はそう言うと、膝を抱えるようにまるまった。
宇治川は憔悴しきっていた。だが当たり前の罰だ。すべての原因は宇治川にあるのだ。
「もしその宇治川さんの元妻?が怪盗だとして、目的はなに?」
根岸の質問に宇治川が答えた。
「う、うばうこと、いや盗むこと、だと思う。私の作り上げたもの全て壊して、ふ、復讐するためだ。」
「宇治川さん。いったいその元妻に、何をしたんですか?」
武雄の質問に、宇治川が俯く。
今、すべての核心に迫ろうとしていた。

宇治川悟が最初にその女性と出会ったのは、お忍びで行ったキャバクラだった。そこで働いていた女子大生の子を、宇治川は何度も指名するようになった。
彼女は名前を詩織、と言い、文学部で海外の古典ミステリを探求している、と楽しそうに言った。
どんな愚痴をこぼしても、詩織は包み込むような温もりで慰めてくれた。
宇治川は詩織の愛らしさに惹かれたが、キャバクラの営業に過ぎない、と自分を律し、徐々に行かなくなった。
それから数年後、駅のロータリーでバッタリ遭遇した。意外にも詩織は宇治川の事を覚えており、近くのカフェですこし話すことにした。
当時の宇治川は、幹部に昇格したばかりで、どうにか他の幹部と差をつけようと躍起になっていた。だが早急の課題であった警察の志願者数を伸ばす策をなかなか思いつけず、思い詰めながら毎日を過ごしていた。
詩織はあれから、在学中にひとりの男と結婚し、子供を作ったが、すぐに夫を事故で無くし、それからひとりで娘を育ててきたのだという。
結局大学は自主退学したとのことだった。
「宇治川さんはえらくなれたんですか?」
歯を見せて笑う詩織に、宇治川は自然とかつてのように愚痴をこぼしていた。
「どうも頭が回らなくてね、アイデアさえあれば、ってところで」
「警察官になりたい人を増やす方法?うーん、難しいですね。あ!私、昔は警察が名探偵みたいなことをしてるって信じてましたよ?子供の頃から読んでた憧れのシャーロック・ホームズみたいな人が、今は警察としてやってるんだって。」
「探偵?」
「そうです。だから私も昔、ちょっとだけ警察になりたいなーなんて思ってた時期もありましたよ?…でも、フィクションですしね。」
「いや…それだ。」
それからすぐに、探偵ブランドの初期案を立ち上げた。詩織のアイデアに助けられたこともあって、何度か密会を重ね、ついに結婚した。
と言っても、宇治川は詩織が本心で宇治川を好いているわけではないと肝に銘じた。
年齢差は30年以上。詩織はもうすぐ賞味期限がきれる。水商売ができなくなれば、娘を養うことが辛くなってくるだろう。
金を多く持っている宇治川と結婚することで安定した生活を手に入れようとしているだけ。
そう思いながらも、関係は続いていた。詩織の連れ子の舞にも、たくさんモノを買い与えた。
交際しない、と宣言してから、子供をもつことは諦めていたからだ。
そんなある日、宇治川は居酒屋で出会った、美子という女性と親密になった。詩織と同じくらいの年齢でありながら、美子は深く宇治川を愛してくれた。宇治川は自分の仕事を明かさなかった。だからこそ、色眼鏡をつけず、等身大で愛してくれる美子にぞっこんになった。
美子と結婚したい。だが、詩織が邪魔だった。
思えば、美子は宇治川のために結婚したいと所望したが、詩織は娘のためだ。
宇治川は、舞を美子に預け、詩織をあのカフェに連れていった。
「別れよう。」
そう告げたときの詩織の顔は、背筋も凍るものだった。
宇治川は続けた。
「舞は私が連れて行く。恨むのなら、私のためでなく舞のために結婚を選んだ、君自身を恨むんだな。」
それから数週間後、舞を連れて、宇治川は家を出た。窓から真顔で見下ろす詩織を一瞥し、美子の待つ車に乗りこんだ。

「あんた最低だよ。」
武雄自身、驚くほど自然にその言葉が出た。宇治川は武雄にとって恩人だ。だが今、宇治川が語った内容はその恩を薄れさせるほどのものだった。
こんな人間の地位や名誉を守るために、自分はわざわざ宮崎まで行ったのか。
宇治川は、なにを言おうと言い訳になる、と分かっているのか、黙っていた。
「間違ってると思う。」
そのとき、舞が口を開いた。
「反省してるんだったら、健太を助けるために尽くしてよ。」
舞の目には覚悟が見えた。
「私の大事な弟なんだよ!」
そう言い切ることに、どれほどの葛藤があったのか武雄にはわからない。だが武雄の感情は高ぶった。
「宇治川さん。全部終わらせましょう。計画を練るんです。健太を救いあげる方法を。」
岩村さんも、根岸も頷いていた。たとえ探偵ブランドの起源が、どす黒く汚れていたとしても。武雄はその中で生きてきて、そしてその中で仲間を作った。
信じ合うことで、荒野に道は拓けるのだ。

そこは薄暗い廃工場だった。手足を縛られた健太が、床に転がされている。
「真島さん!来ました。」
健太のすぐ近くに立っている石田は、真島に声をかけた。
入口を見ると、宇治川と福島が立っている。
「宇治川!怪盗から連絡が来たのか?」
真島はあえて手の内を明かした。怪盗の正体は誰も知らない。ならば、下手に心理戦を打つよりも、怪盗の思惑に沿ったほうがダメージが少ない。
「やはり怪盗はお前ではないんだな。」
宇治川はそう言うと、
「舞を連れてきた。おい、福島くん。」
「はい。」
武雄は答えると、入口の向こうに手招きした。まもなく、舞が現れた。
「私は怪盗の代弁者だ。怪盗によれば、健太と舞を交換するように、とのことだ。」
舞は素直に真島の元へやってきた。
「糞やろう。」
そう、睨みつけたと同時に、石田が舞を縛り上げた。
「健太はここに置いていく。好きにしろ。」
真島がそう言うと、石田と、石田に引っ張られる舞は廃工場の出口へ向かった。
舞がこちらを見る。武雄は、自分の姉、沙奈を思い出していた。健太のためにも、必ず救い出す──!
残った真島は不敵な笑みを浮かべて、こちらに近づいてきた。
「君が福島探偵か。直接喋るのは初めてかな。」
武雄も向かい合う。
「君のスキャンダルを聞いたときは残念だった。..いいかね?ほら腕を出しなさい。」
手錠がかけられた。
「福島武雄。21時46分….」
淡々と読み上げ、そして連行されていった。
残された宇治川は、健太の縄をほどいた。ねむらされているようだ。抱えあげると、そそくさとその場を離れ、外にとまっている岩村のパトカーに乗り込んだ。
「監督。これでいいだろうか。」
「ん、まあ、私は宇治川さんの事別に嫌ってないよ。プライベートのことなんてどうだっていいんだ私は。」
「とにかく、発信器を見てみましょう」
岩村の一声で、3人で画面を覗きこんだ。
発信器は、わかりやすいダミーを舞の髪に、本命を舞の奥歯の裏に取り付けている。位置は廃工場を離れ、やがて別の場所に停まった。
「宇治川さんここどこ?」
「…少なくとも、名のついた場所じゃない。恐らく怪盗が指示した受け渡し場所だろうな。」
「追いますかあ?」
「ああ。頼む。」
異変が起きたのは、後すこしでたどり着くというときだった。突然発信が途絶えたのだ。
「本命がバレた…!?」
「とにかく急ぐんだ、岩村さん、飛ばしてください。」
岩村のパトカーは、夜道をかっ飛ばしていった。

石田と、舞の乗った車はどこかの駐車場に停まった。周囲は森に囲まれ、静まり返っている。
後部座席に座る舞は、ひとことも喋らない。
「この俺に煮え汁を飲ませるような真似をしやがって。あのままあの家でくたばっておけば幸せだったんだ。」
そう毒つくが、特に反応はない。やがて、1台の黒いバンが、石田の車の隣に停まった。
運転席から、全身を黒い服で身を包んだ者が現れた。フードを深く被っているので、顔は見えない。石田は後部座席のドアを開けた。
冷たい空気が車内に流れ込む。
舞は、近づいてくる黒い人物に底しれぬ恐怖を抱いた。
その人物は、ライトで舞の体を隅々まで照らした。やがて、髪についたダミーの発信器をはずした。
舞は、自分の息が激しくなってきたことに気づいた。
純粋に、怖い。
その人物は、動けない舞の頬を挟み、口を開けさせた。ライトで口の中を探り、やがて、奥歯の裏の本命を発見した。
鈍い音とともに、摘出された発信器を、ライトで照らす。そこではじめて、黒い手袋をしていることに気がついた。発信器を握りつぶし、ライトをしまった。
そして、舞の体を抱きかかえると、黒いバンに運んだ。
石田の車は急発進し、闇に消えた。
駐車場に残された黒いバンの中で、舞は手足の拘束を解かれた。
そして、引き寄せられ、抱きつかれた。
強い力で肩をうずめられ、舞は軽くパニックになった。
その人物の口呼吸が段々と舞の耳に近づいてくる。
生暖かい息が耳をつんざく。
はあ、はあ、と過呼吸気味になった舞の耳に、その人物は囁いた。
私の手に入らないものなど、この世にない
柔らかい声だった。そして、この声に、この言葉に、舞は聞き覚えがあった。モーリス・ブラウンの作り上げた名キャラクター、アルセーヌ・ルパンの名言だ。
フードが脱いだその人物の顔が、だんだん舞の眼の前にやってくる。
「やっと手に入れた。」
その言葉が脳を揺らす。考えたくなかった。妄想だと断じてしまいたかった。
だが、そこにいたのは、誰でもない、

詩織その人だった。

ホームズ #6 fin.

#7に続く。


いいなと思ったら応援しよう!