プロフィール
こんにちは、Qと申します。
これから、海外留学の備忘録、絵を描く生活風景、自分の趣味など、思い出と生活の備忘録として残していきたいと思います。
その前に私を紹介します。海外留学と絵を描くまでの流れを書いてます。
長いです。笑
海外への憧れ
幼少期にテレビアニメのハイジを見て海外に憧れる。
白いパンとチーズ、暖炉のスープ。
一面の芝生と広い空。
見始めた時は夢の国だと思っていた。
年齢が重なると色々なことがわかってきた時、ハイジは『海外』にある、『スイス』という国での生活風景ということがわかる。
え、行けるの?
行きたい!
そこから少しずつ海外に興味を持ち始める。
特に勉強は好きではないが、英語だけは少しだけ成績が良かった。
初めての短期留学 イギリスのファームステイ?!
好奇心は旺盛だったため、中学生の頃に町の支援制度であったイギリスへのファームステイにいけるというプログラムに参加する機会を得る。
ホームステイは知ってたけどファームステイとは。
私はイギリスのロンドンから離れた場所でおばあちゃん一人でファームをしているお家にお世話になった。
朝5時からバギーに乗って馬に餌をあげる仕事のお手伝いをした。
この経験が最高だった。
夏に行ったからその頃のイギリスは白夜で22時頃まで明るい。朝も早い時間から明るい。今思うと夜がほとんどない時期だった。
こんな経験、日本では到底味わえない。
初めての海外旅行。
初めて3週間という長期間、家族と離れての生活。
初めての飛行機、初めての建物、初めての英語での生活。
どこを見ても可愛い建物、可愛い家具、可愛い雑貨。
『海外』は私に興味をくれた。
日本食もそこまで恋しくならなかった。
イギリスで食べた朝食の薄い食パンとはちみつがあまりにも美味しかった。
寂しくなかった。家族とも仲は良かったが、近くの人と仲良くなることや私はいつもの生活ではなくなっても大丈夫なんだ、とわかった。
ほんの少しだけだけど、海外を近くに感じることができた。
小学生中学生、習い事をしながら色々な経験もさせてもらい、何不自由なく生活を送らせてもらった。
そんな中でも海外へのあこがれは人一倍あった。
海外に行くなら英語が話せた方が良さそうだ。
国際科学科がある高校へ通い出す。
2度目の短期留学 オーストラリアへGO!
私の通っていた高校の国際科は2年生のタイミングでオーストラリア研修という名で、オーストラリアのロックハンプトンという街の高校へ2週間留学をするプログラムがあり、その間はホームステイを行う。
二回目の海外。
そこでも新しい発見はたくさんあった。
日本と違う空気、プール付きの広い家、道幅の広い道路。
海外で出会った日本人大学生。
大きいスーパーマーケット。見たこともない色のシリアル。
その当時はスマホもないので、ホームステイ先のパソコンを借りてパソコンから両親にメールを打ったのを覚えている。
長期留学への憧れ
関西の外語大へ進学する。長期留学をしたいと思っていたからだ。
留学をしても単位が取れ、就職にも影響がないとのこと。
というのは建前で、一人暮らしをしてみたかったし、行ったことないところに行くのが好きだったため未知の地域、関西へ進出する。
同じ高校から行く人はいなかったし、自分の地元から来ている人も少なかった。
話し方も育った地域も違う人が集う大学は刺激がたくさんあった。
その中でも留学への興味は消えず、今か今かと留学の機会を待つ。
だが、リーマンショックと重なるタイミングでの大学生活では仕送りも止まる始末。
長期留学のタイミングを掴めずそのまま三回生に。
留学は親のお金で行けるものだと思い込んでいた私は、『自分で貯金をして留学に行く』ことここで決意。
(頭の中がどんだけハッピーなんだ)
その後も留学への思いは変わらずありつつも、『新卒』という特権も捨てられず、悩みに悩んで4回生の11月という就活を諦めてもおかしくない絶望するような時期に動きだした就活だったが、
なんとか滑り込みでブランドアパレルの新卒として採用してもらった。
正直、私は運がいいと思う。
元々ファッションは好きだった。ファッションとはなんなのか今もよくわからないが、服をコーディネートをすることが好きだった。
そこで、3年間の社会人生活を送った後にワーキングホリデー制度を使って留学にいこう、と決めて就職。
自分勝手な都合というのは重々承知だったが、この機会を逃してしまったら一生後悔すると思ったからだ。
ありがたいことに職場の方にも恵まれて、心に留めていた留学の話も話せる先輩上司もいて、応援してくれていた。
その後、職場の方の応援もあって退職し、地元の静岡で留学準備と親孝行という名のもと、1年間フリーターをする。
まずは貯金。一人暮らしでの貯金は少し難しいところもあったので実家でバイトをしながら留学の準備。
バイトでも、リゾートバイトで北海道に一か月行ったり、地元の単発バイトで蛍光灯作ったり。笑
ビザをとったり、情報収集をしたり。
初めて自分で買ったPCは黄色のクロームブック。安くて最高でした。
なんやかんや調べていたら、2カ国語学留学という情報を得る。
ワーホリビザを消耗しないで語学留学ができるということだった。
3回目の短期留学 楽園フィジーへ
選択肢としてはフィリピンのセブ島かフィジーが有名。
私はフィジーに3週間いくことを選ぶ。
なぜならとてつもなく安かったからだ。
運がいいことに高校の同級生も同じくオーストラリアにワーキングホリデーを考えていたのでフィジーに一緒に行くことに。
これがまた壮絶な経験になる。


今となればいい経験だが、サイクロンで洪水になったり

謎の伝染病が流行りみんなの目が真っ赤になったり。忘れちゃダメなのがベットバグ。もうみんなボツボツ。
私は何にもかからず元気に過ごす。ラッキー
とはいえ怖かった〜
最後にフィジーでできた友人とビチレブ島一周して帰国。
ところで、語学の上達は?というと。
あんまり上達しなかった。笑
だが、英語を話す『自信』はついたと思う。

その後、無事帰国し、本命のワーキングホリデー留学に向けて最後の準備。
紆余曲折?もないが、蓋を開けたら貯金が30万円しかない。笑
一年間、何してたの笑
でももう行かないと!!と言うことで、所持金30万円で渡航を決意。
(みんな100万円くらいは持ってきていたみたい。)
タフ決定!!カナダ生活、どうなる!
ついに!ついにカナダのトロントへ!


お金がないのでまずは仕事探し!
カナダについてすぐに見つけた美容院の清掃をクビになったり、古着のピッカーの仕事をしたかったがことごとく落ちたり。
うずうずしながからも、日本人用の老人ホームのレストランの配膳の仕事をいただきそこで半年ほど働く。
シェアメイトやレストランのスタッフと仲良くさせてもらって良いカナダ生活を送る。
とはいえ、ピッカーの仕事が諦められず受け続けたある日、お仕事をもらえることになりやっとこさ古着のピッカー業務に就く。
古着をたくさん見た。
そこで安く売られていてもいいデザインの服、高級ブランドでも量産されている服。
いい服とそこそこの服。何が違うのか、なんでいいと感じるのか。
デザイン、アート、色、形…この辺りから自分の好きなデザインや色が何かを考え始める。
この会社で帰国まで、そして帰国後もお世話になり、合計5年ほど働く。
カナダにいる間は『ラグ』と呼ばれる、古着が集まる倉庫で8:00~16:00までみっちり古着をピッキング。
その他に、バリュービレッジというスリフトストアを市内のバスや電車で回ってレザーシューズ集め。
慣れてきた頃にはカナダで車の運転もするようになる。
過酷だったけど、楽しかった。
帰国してからも3ヶ月に一度カナダへの90日間のバイヤー業務。日本にいる間は古着の卸営業を行った。
トロントの生活とアート
トロントの生活では美術館が近くにあった。
トロントの美術館は無料で入れる日がある。
その日を狙って無料で美術館に行く。
何回行ったことだろう。
西海岸で出会った現代アート
『現代アート』に触れる。
絵を描くことはモネのように細かくて綺麗だったり、ピカソのように少し特徴的で刺激的だったり自分からは表現ができないようなもののイメージがあった。
だが、現代アートの中にはもう少しシンプルなもの自分の捉え方次第で何にでもなりそうなものもあった。
現代アート。現代アート・・・ ほ〜
ワーキングホリデーから帰国の際に西海岸へ旅行する。
1人で10日間、なかなかタフな旅だ。笑
ロサンゼルスの美術館は無料だった。
そこは現代アートの宝庫だった。
でっかい椅子、みたこともない絵、色合い、
そこでトロントでも出会った草間彌生のインフィニティミラー再開する。
なんじゃこりゃ。こんな表現もありなのか?(!)
刺激刺激刺激。
転職とアート
帰国後2年もしないうちに、コロナという未知の病が流行り出す。
ここから色々と考えて、この辺りで企業の一般職への就職をしようと決意。
コロナ禍にも関わらず、一社内定をいただけることになり文具メーカー兼輸入雑貨を扱う会社へ営業職として就職。
社長がデザイナー、エンジニア、経営もしている会社。
ここでみっちりしごかれる。
新設部署でのBtoBの新規開拓営業や、名古屋出張でのルート営業など経験を積んでいる傍ら
家で絵を描き始める。


事務所があるビルには、デザイン雑誌の出版社、デザインインテリアなどを扱う企業が多く入っており、刺激を受けていた。
デザインやアートに触れる機会も多く、頭の片隅で私ならどう表現できる?と思いはじめた。
そこで昔から絵を描くことが好きだったため、絵を描いてみようと思った。
器用ではなかったが、図形と色の組み合わせが好きだったこともありまずは表現してみようと思った。
そんなある日、エルズワース・ケリー、バウハウスと出会う。
私、この人の絵が好きだ!バウハウスのデザインが好きだ!
ミッドセンチュリーってなんぞや!
ここからデザインを知ることや絵を描くことが生活の一部になっていく。
長文になりましたがここまで読んでくれてありがとうございます。
海外への留学経験に至るまでの感情と絵を描き始めることになるまでの気持ちの流れを書きました。
ここから、カナダ留学編、アート編にて備忘録として書いていきます。
