20年PMが見てきた。「もうどうでもいい」が増えてきたら、それは能力ではなく、脳の防衛反応である
プロローグ
正直に言う。
最近、
こんな言葉が、
自分の中で増えていないだろうか。
「なんでうまくいかないのか分からない。」
「細かいことを言われても、そんなのどうでもいいだろ。」
「もっと本質的な話をしようよ。」
もし、
この三つのいずれかが、
最近、自分の口から出ていたら、
少し立ち止まってほしい。
それは、
かなり危険な信号かもしれない。
20年以上、
コンサルとPMの現場を見てきた人間として、
断言できることがある。
「どうでもいい」が増えるのは、
能力不足ではない。
ほぼ間違いなく、
疲労と認知資源の枯渇である。
しかも厄介なことに、
この状態に陥るのは、
優秀な人ほど多い。
本記事では、
その仕組みを構造として解体し、
「今、自分はどの段階にいるのか」を、
自己診断できるフレームを提示する。
本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。
第一章 本当に雑な人は、細かい指摘を気にしない
意外な事実から始めたい。
20年見てきて、
最も意外だったのはこれだ。
本当に仕事が雑な人は、
細かい指摘に動じない。
「はいはい、わかりました」で終わる。
直す気もない。
理解する気もない。
次の日には忘れている。
だから、
ストレスも溜まらない。
ある意味、
最強の精神構造である。
一方、
責任感が強い人は、
細かい指摘を受けると、
最初はこう反応する。
「直そう。」
「理解しよう。」
「相手の期待に応えよう。」
これが、
健全な反応だ。
ところが、
疲労が蓄積してくると、
同じ人物の脳が、
少しずつ変化していく。
ある時、
突然こう思い始める。
「もう、どうでもいい。」
「そんな細かい話して、何になる。」
「本質じゃないだろ、それ。」
ここで重要なのは、
この変化が、
「やる気の低下」ではない、
ということだ。
これは、
脳の防衛反応である。
脳は賢い。
メインメモリが枯渇してきたことを、
自分で察知している。
そして、
これ以上情報を処理すると壊れる、
と判断した時、
優先度の低いタスクを、
自動的にシャットダウンする。
その時に切られるのが、
「細かい指摘への応答プロセス」だ。
つまり、
「どうでもいい」と感じ始めたのは、
あなたが雑になったのではない。
脳が、
あなたを守ろうとしている。
第二章 細かい指摘は、確かに本質ではない場合がある
ここで、
もう一つの事実を書く。
責任感が強い人を擁護するためでもある。
実際、
顧客や責任者の指摘の中には、
成果にほとんど関係のないものが、
かなりの割合で混ざっている。
例えば、
言葉遣いの細かな修正。
メールの順番。
資料の配色。
表現の癖。
ハンコの押し方。
「お世話になっております」の改行位置。
挙げ始めるとキリがない。
20年見てきたが、
優秀なクライアントほど、
こういう指摘はしない。
優秀なクライアントは、
本質的な問題を、
本質的な言葉で指摘する。
逆に言えば、
細かい指摘ばかりしてくるクライアントは、
実は、
別の本音を隠している場合がある。
「フォントがおかしい」
という指摘の本音は、
往々にして、
「不安だ」
「この人を信用していいのか分からない」
「自分の上司に怒られないか心配だ」
という、
別の感情である。
これは、
PM心理学の基礎だ。
人間は、
本当に怖いものを直接言葉にできない時、
別のものに不満をぶつける。
家庭内でも同じである。
「最近、洗濯物の畳み方が雑じゃない?」
という妻の発言の本音は、
おそらく洗濯物の畳み方ではない。
何か別の、
もっと根本的な不満が、
「畳み方」に着地している。
夫がそれを「畳み方の話」として受け取ると、
事態は悪化する。
これと同じ構造が、
仕事の現場でも起きている。
だから、
細かい指摘を、
100パーセント真に受ける必要はない。
ただし、
ここで誤解してほしくないことがある。
「だから無視していい」
という結論にはならない。
無視すべきなのではなく、
分類すべきなのだ。
これは第四章で詳述する。
第三章 「どうでもいい」の四段階モデル
20年見てきた中で、
「どうでもいい」が増えてきた人には、
ある共通の進行パターンがある。
それを四段階モデルとして整理する。
第一段階は、
「腹が立つ」である。
細かい指摘に対して、
「なんでそんなことを言うんだ」と腹が立つ。
これは、
まだ感情が動いている状態だ。
つまり、
メインメモリにまだ余裕がある。
第二段階は、
「どうでもいい」である。
腹も立たない。
ただ、
「もう、どうでもいい」と思う。
ここで、
脳の省エネモードが起動している。
第三段階は、
「何も感じない」である。
指摘を受けても、
感情が動かない。
理解もしない。
ただ「はい」と返事をする。
しかし、
その「はい」に意味は乗っていない。
これは、
危険水域だ。
第四段階は、
「全部投げ出したい」である。
仕事も、
会社も、
人間関係も、
全部投げ出して、
どこかに消えたい。
ここまで来ると、
医学的な介入が必要な段階に近い。
第一段階から第四段階までの進行スピードは、
人によって違う。
数年かかる人もいれば、
数ヶ月で進む人もいる。
しかし、
進行方向は、
ほぼ全員が同じだ。
「腹が立つ」から「どうでもいい」への移行は、
特に静かに起きる。
ある朝、
ふと気づくと、
腹が立たなくなっている。
「あ、自分、大人になったな」
と勘違いする人もいる。
しかしそれは、
大人になったのではない。
防衛モードに入っただけだ。
第四章 疲労のピークで結論を出さない
ここまで読んで、
もしあなたが第二段階や第三段階にいると気づいたなら、
最も重要なことを伝えたい。
今、結論を出さない。
これである。
「転職失敗だった。」
「この会社、ダメだ。」
「自分には、この仕事は向いてなかった。」
「もう、また転職するしかない。」
これらの結論は、
疲労のピークで出しやすい。
しかも、
疲労のピークで出した結論は、
後から見ると、
ほぼ確実に極端である。
20年見てきた経験から言うと、
疲労の谷で「もうダメだ」と思った人が、
3ヶ月後に少し回復した時、
「いや、あの会社、思ったほど悪くなかったかも」
と言い始めるケースを、
何度も見てきた。
これは、
その人が薄情なのではない。
脳が、
正常な情報処理能力を取り戻したから、
判断が変わっただけだ。
だから、
今やるべきことは、
結論を出すことではない。
データを集めることだ。
具体的には、
三つの作業がある。
第一の作業は、
「何を言われたかを、ログにする」ことだ。
感情ではなく、事実として記録する。
「上司にひどいことを言われた」ではなく、
「上司に、〇月〇日、〇〇という発言があった」
と書く。
これだけで、
脳のメインメモリから、
その情報が一時的に解放される。
書き出した瞬間に、
少しだけ呼吸が楽になる。
第二の作業は、
「指摘を、四つに分類する」ことだ。
第一カテゴリは、
「本質的な問題」。
成果物の品質、納期、要件定義など、
成果に直結する指摘。
第二カテゴリは、
「相手の好み」。
色、フォント、表現の癖など、
成果に直結しないが、相手の趣味の範囲。
第三カテゴリは、
「顧客の不安の代理表現」。
細部への指摘の形を取った、本質的な信頼関係の問題。
第四カテゴリは、
「社内の作法」。
会社固有の暗黙ルール。
四つに分類すると、
「全部ダメ」だったはずの指摘が、
実は、
本質的な問題は20パーセント、
相手の好みが40パーセント、
不安の代理表現が30パーセント、
社内作法が10パーセント、
くらいの分布になっていることが多い。
これに気づくだけで、
メインメモリの使用率が下がる。
第三の作業は、
「上司を観察する」ことだ。
意外かもしれないが、
今あなたが観察すべきなのは、
顧客ではない。
自社の上司と、
その組織だ。
具体的な観察ポイントは、
四つある。
一つ目は、
「一緒に戦ってくれるか」。
顧客との交渉で、
あなたの側に立ってくれるか。
二つ目は、
「丸投げするか」。
問題を全部、
あなたに押し付けてくるか。
三つ目は、
「話を聞くか」。
あなたの状況や疲労を、
理解しようとする姿勢があるか。
四つ目は、
「全部、お前の責任にするか」。
何か起きた時、
最初の発言が「これ、どうするんだ」なのか、
「一緒に考えよう」なのか。
この四点で、
会社の質が、
ほぼ正確に見える。
20年見てきたが、
これは外れない。
第五章 最初の半年は、成果を出す期間ではない
転職した直後の人に、
特に伝えたいことがある。
転職直後の最初の半年は、
「成果を出す期間」ではない。
「環境を観察する期間」である。
これは、
PMの世界では常識だ。
新しい案件にアサインされたPMが、
最初の月から成果を出そうとすると、
ほぼ確実に空回りする。
なぜなら、
その案件の利害構造、
人間関係、
暗黙ルール、
地雷の位置、
これらを知らないからだ。
優秀なPMは、
最初の月は、
ひたすら観察する。
会議で発言を抑える。
議事録を取る。
人間関係を地図化する。
地雷を見つける。
その上で、
二ヶ月目から、
少しずつ動き出す。
これと同じことが、
転職にも当てはまる。
転職直後に、
「成果を出さなければ」
と焦ると、
地雷を踏みやすい。
地雷を踏むと、
「自分には向いてないかもしれない」
と思い始める。
「向いてないかもしれない」が、
「どうでもいい」に変わる。
「どうでもいい」が、
「全部投げ出したい」に変わる。
この進行を防ぐ最良の方法は、
「最初の半年は、観察期間だと自分に許可を出す」
ことである。
成果を出そうとしないこと。
これが、
最も合理的な戦略だ。
第六章 疑うべきは、能力ではなくメモリ使用率
ここまでの議論を、
一文に凝縮する。
細かいことを言われて、
「もうどうでもいい」と思うくらい疲れているなら、
あなたの能力を疑う前に、
まず、
「今、自分のメインメモリの使用率は何パーセントか」
を疑った方がいい。
これは、
精神論ではない。
脳科学的にも妥当な問いだ。
人間の認知資源には、
明確な上限がある。
その上限を超えると、
優先度の低いタスクから、
自動的にシャットダウンされる。
「細かい指摘への丁寧な応答」は、
優先度が低いタスクに分類される。
だから、
そこから先にシャットダウンが始まる。
これは、
あなたが悪いのではない。
人間の脳が、
そう設計されているだけだ。
20年見てきた中で、
最も悲劇的なケースは、
「メモリ使用率が95パーセントの人が、
自分の能力を疑って、
さらに頑張ろうとする」
ケースだ。
これは、
CPU使用率100パーセントのパソコンに、
さらに重いソフトを起動させるようなものだ。
結果は、
フリーズか、
強制シャットダウンしかない。
優秀な人ほど、
壊れる直前まで、
「もっと頑張れば、何とかなる」
と思ってしまう。
その時、
必要なのは、
「もっと頑張る」ではなく、
「メモリの解放」だ。
メモリの解放方法は、
人それぞれだ。
睡眠かもしれない。
休暇かもしれない。
タスクの返却かもしれない。
案件の変更かもしれない。
いずれにしても、
「頑張る方向」ではなく、
「降ろす方向」の動作が必要だ。
エピローグ
20年PMが見てきた。
結論から言う。
「もうどうでもいい」が増えてきたのは、
あなたが雑になったのではない。
あなたの責任感が薄れたのでもない。
あなたが、
優秀で、
責任感が強く、
長く頑張りすぎた結果として、
脳が、
あなたを守るために、
省エネモードに入っただけだ。
これは、
機能不全ではない。
正常な防衛反応である。
しかし、
防衛反応が長く続くと、
その人本来の優しさや、
繊細さや、
集中力までもが、
ゆっくりと失われていく。
だから私は思う。
「もうどうでもいい」と感じ始めたら、
それは、
頑張りが足りないサインではなく、
頑張りすぎたサインだ。
その時に必要なのは、
自分を責めることではない。
ログを取ること。
指摘を分類すること。
上司を観察すること。
そして、
最初の半年は観察期間だと、
自分に許可を出すこと。
何より、
疲労のピークで、
重大な結論を出さないこと。
優秀な人ほど、
壊れる直前まで、
自分の能力を疑う。
しかし、
疑うべきは能力ではない。
メモリ使用率である。
人を責めるより、
構造を見る。
自分を責めるより、
メモリ使用率を見る。
それが、
長く、
優しいまま、
壊れずに生きていくための、
技術である。
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