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50代で気づいた「完璧な人生設計」の限界。20年PMが教える、スコープクリープ地獄からの脱出論

正直に言う。

完璧な人生設計を手に入れることは、もはや不可能だと気づいた時、私は少し自由になった。

20年PMをやってきた習性で、人生も「計画→実行→検証→改善」というPDCAサイクルの中に無理矢理納めようとしていました。

5年後のキャリア。

10年後の資産。

50代での立場。

60代での準備。

全部、計画を立てていた。

でも、40代後半を過ぎたあたりで気づきました。

その計画を完成させることに費やされるエネルギーの方が、人生そのものを生きることよりも大きくなっていたということに。

そして、ある転換点が来ました。

経営層からの期待、顧客からの要求、部下の成長、自分の成果。

全部を満たす「完璧な人生設計」など、存在しないのだという、当たり前の事実に直面したのです。

その瞬間、変わったことがあります。

人生を「完成させる」ことから「続ける」ことへ。

計画を「完璧に実行する」ことから「その時その時で修正する」ことへ。

その小さな視点の転換が、人生全体を変える。

本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。

第一章 完璧な計画ほど、人間を支配するものはない

PMの専門用語に「スコープクリープ」というものがあります。

要件が次々と追加されて、本来の目的が膨らんでいく現象です。

プロジェクトがスコープクリープに陥ると、納期は延びて、予算は増えて、チーム全体が疲弊します。

人生もこれと同じです。

人間は「完璧な人生設計」を立てた瞬間から「スコープクリープ地獄」に入ります。

達成すべき項目が増え、完成させるべき時間が縮まり、自分の人生が「計画の奴隷」になっていく。

若い頃の私は、これに気づきませんでした。

むしろ「計画を立てることが大人だ」と思い込んでいました。

キャリアパスを計画する。

給与を計画する。

昇進の時期を計画する。

結婚の時期さえ計画していた時期がありました。

その計画に沿って人生が進んでいくうちは、充足感がありました。

「自分の人生は自分でコントロールしている」という幻想を持つことができたから。

でも、40代を過ぎた時点で、その幻想は音を立てて崩れました。

なぜなら、人生というのは「計画通りに進むもの」ではなく「計画を立てた本人さえ、その計画の奴隷になるもの」だったから。

第二章 「完璧」を求める人ほど、なぜ壊れるのか

組織心理学には「完璧主義パラドックス」という考え方があります。

完璧さを求める人ほど、ストレスが高く、うつ病のリスクが高いという統計的事実です。

その理由は、シンプルです。

完璧さは、実は達成可能な目標ではなく「無限に続く失敗のリスト」だからです。

人生設計を完璧にしようとした瞬間、あなたは「できていない部分」に目を向けるようになります。

キャリアが予定通りに進まない。

給与が期待値に届かない。

人間関係が思った通りにならない。

子どもが期待通りの人生を歩まない。

妻とのコミュニケーションが計画通りではない。

全部が「計画との乖離」として認識されるようになる。

その乖離が、ストレスになる。

そして、そのストレスを減らすために「もっと計画を細かくしよう」と考える。

つまり、完璧さを求める人は「より細かい完璧さ」の中に自分を埋め込んでいく。

これは、人生を生きるのではなく「人生を管理する」という行為そのものです。

20年PMをやってきて、何度見てきたことか。

完璧な計画を立てた優秀なプロジェクトマネージャーが、その計画の奴隷になり、チーム全体を疲弊させ、最後には自分自身を壊す。

その人は「失敗した」わけではなく「完璧さを求める構造そのものに支配された」のです。

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第三章 人生に「完成系」など存在しない――その解放感

ここから先が、50代の最高の学習です。

人生に「完成系」など存在しないという気づき。

これは、絶望ではなく、実は最高の解放です。

なぜなら「完成系がない」ということは「失敗もない」ということだからです。

これは、単なる楽観論ではなく、統計的な事実です。

人生というものは、複数の変数が複雑に絡み合っているシステムです。

その変数は、あなたがコントロールできない部分がほとんどです。

経済情勢。

健康状態。

人間関係の変化。

社会的な立場の変動。

予期しない出来事。

あなたが計画したその瞬間から「その計画を無効にする要因」が動き出しています。

だから、完璧な人生計画など、成立しないのです。

しかし、その「成立しなさ」こそが、自由です。

完璧さを求めなくていい。

計画通りにならなくていい。

期待値を完全に満たさなくていい。

その瞬間、人間は何ができるようになるか。

「その時その時を、全力で生きる」という選択肢を手に入れるのです。

20代の私が立てた人生計画は、ほぼ外れました。

予定していた昇進は来ず、期待していた給与にも達さず、想定していたキャリアパスも歩まなかった。

でも、その「外れ」の中で、予期しない出会いが生まれました。

予想していなかった学習が起きました。

5年先の自分が「こんなことになるとは思わなかった」と笑える経験が、積み重なった。

その「予期しない豊かさ」の方が、計画通りの人生よりも、よっぽど価値があったのです。

第四章 完璧な人生 vs. 続く人生――どちらが長期残存価値か

ここで、短期評価と長期残存価値の話が出てきます。

完璧な人生計画を遂行すること。

これは、短期評価としては「優秀だ」に見えます。

計画通りに昇進する。

期待通りの給与を得る。

人生というプロジェクトを「成功裏に終わらせる」。

これは、社会的には「勝ち」として認識されます。

でも、長期残存価値で考えたら、どうか。

50代で「自分の計画を完璧に実行した」という自信を持つことと、50代で「その時その時の選択肢の中で、最良のものを選んできた」という柔軟性を持つことでは、長期的に見て、どちらが価値があるか。

前者の人は「完璧さからの逸脱」が起きた時、脆い。

なぜなら、その人のアイデンティティが「計画通りに人生を運用できる人」に紐付いているから。

その紐付きが外れた瞬間、その人は自信を失う。

一方、後者の人は「その時その時で最適な判断をしてきた」という履歴を持つから、新たな状況が来ても対応できます。

つまり、短期的には「完璧な計画」が優秀に見えても、長期的には「不完璧でも続いている人生」の方が、よっぽど強いのです。

第五章 組織で学んだ「未完成のシステム」の強さ

これは、組織のマネジメントでも全く同じです。

完璧なプロセスを作ろうとした組織は、往々にして脆い。

なぜなら、完璧さを求める瞬間「例外処理」が組織から消えるから。

完璧なプロセスには「想定外」という言葉がない。

想定外が起きた瞬間、そのプロセスは機能停止する。

一方、「これで完璧ではないかもしれないが、続いていく」という前提で組織を運用する企業は、何度でも甦ります。

経営危機が来ても「では、ここから何ができるか」という思考が生まれる。

顧客からのクレームが来ても「では、ここから直そう」という改善が生まれる。

つまり、未完成さが、組織に「学習能力」を与えるのです。

完璧さは、組織を「固定化」させます。

未完成さは、組織を「進化」させます。

人生も同じです。

完璧な人生計画は、人生を「固定化」させます。

未完成な人生は、人生を「進化」させます。

その「進化の選択肢」を手に入れることが、50代の最高の財産です。

第六章 妻との「完璧さからの解放」

これは非常に個人的な話ですが、妻との関係が変わったのは「完璧な夫でありたい」という執着を手放した時です。

若い頃、私は「完璧なパートナーでいたい」と思い込んでいました。

十分に稼ぎ。

十分に家事をし。

十分に子どもを育て。

十分に妻を理解する。

その「十分」を全部満たそうとしていました。

でも、40代も半ばを過ぎた時点で気づきました。

その「完璧さ」は、妻にとって、むしろ負担だったということに。

なぜなら、私が「完璧でありたい」と思うと、妻も「完璧であるべき」というプレッシャーを感じるから。

二人の間に「完璧さの競争」が生まれます。

それは、一見、理想的に見えますが、実は二人ともを疲れさせます。

その競争を手放した時、何が起きたか。

「完璧じゃなくてもいいね」という会話が生まれました。

「失敗してもいいね」という了解が生まれました。

「その時その時で、できることをしよう」という暗黙の契約が生まれました。

その瞬間から、夫婦関係が「完璧さを求める競争」から「共に続く物語」に変わったのです。

これは、夫婦に限った話ではありません。

親子関係も。

友人関係も。

職場の部下との関係も。

全部が「完璧さからの解放」の瞬間に「続く関係」に変わります。

第七章 人生に「第二部」も「第三部」もない理由

ここで、人生を「章立て」するという概念そのものを問い直す必要があります。

多くの自己啓発は「人生を複数の段階に分ける」という考え方をしています。

第一部:成長期

第二部:実績期

第三部:完成期

この分け方は、人生を「何かに向かって進む一本の矢」として捉えています。

つまり「最終的には完成する」という前提を持っている。

でも、本当の人生は違う。

人生というのは「完成しない物語」です。

その完成しない物語の中で、私たちは何度も何度も「新しい第一部」を始めます。

50代でも「新しい学習」が始まります。

60代でも「新しい出会い」が始まります。

その都度「新しい第一部」を生きるのです。

つまり、人生に「第二部」も「第三部」もないのではなく「ずっと第一部が続いている」ということです。

だから「完成を目指す」という思考そのものが、人生を矮小化してしまう。

本当は「完成しないまま続く」という前提で生きた時、人生は最大化するのです。

第八章 「後悔」の再定義――未完成だから、また挑戦できる

人間は、人生の後半になると「あの時、こうしておけば」という後悔を感じます。

それは、人間が「完璧さ」の中に生きているからです。

完璧な人生計画があれば「あの時の選択は間違っていた」と後悔します。

でも「完璧さなど存在しない」という前提に立つと、後悔の意味が変わります。

その選択は「間違い」ではなく「その時点での最適解」だったのだ。

その時点では、その情報しかなかった。

その時点では、その判断力しかなかった。

その時点では、その人生経験しかなかった。

だから、それが最適解だったのだ。

その解釈が、後悔を「学習」に変えます。

そして、さらに重要なことが起きます。

「完璧な人生計画」がないということは「まだやり直せる」という選択肢が残されているということです。

50代の今から、新しいことを始めることができます。

新しい学習ができます。

新しい人間関係が作れます。

新しいキャリアさえ、可能性として残されています。

それは「計画の外側」の出来事かもしれません。

でも「計画の外側だから価値がない」わけではなく「計画の外側だから自由」なのです。

その自由が、50代の最高の贈り物です。

第九章 死を前にした時「完璧な計画」は何の役に立つのか

ここで、最も本質的な問いを立てます。

人生の終わり近くで「完璧な計画通りに人生を過ごしたこと」は、本当に幸福だったのか。

あるいは「完璧さを手放し、その時その時の選択肢の中で生きたこと」は、本当に充足感があるのか。

これは、統計的なデータではなく「人間の終末期の証言」から読み取るしかありません。

しかし、緩和ケアに携わる医療従事者の証言は、一貫しています。

人生の終わりに「完璧な計画を実行した」という人は、むしろ「その他の可能性を見ることができなかった」という後悔を感じることが多いのだという。

一方「完璧さを手放し、その時その時で全力を尽くした」という人は「自分の人生を生き切った」という充足感を持つことが多いのだという。

この差は、何か。

前者は「計画の奴隷」として人生を過ごした。

後者は「主人公」として人生を過ごした。

その主観的な充足感の差が、人生全体の価値を決定するのです。

第十章 統合――「未完成のまま」を選ぶ勇気

だから、私は50代で「人生を完璧に設計する」という目標を手放しました。

その代わりに「人生を続ける」という目標を持ちました。

その差は、一見小さく見えます。

でも、実は人生全体を変えます。

完璧な人生設計を目指せば、あなたは「計画に基づいた行動」をします。

人生を続けることを目指せば、あなたは「その瞬間に応じた行動」をします。

前者の人は「計画の外の出来事」に苦しみます。

後者の人は「計画の外の出来事」も「人生の一部」として受け入れます。

前者の人は「完璧さからの逸脱」を失敗と見なします。

後者の人は「完璧さからの逸脱」を進化と見なします。

前者の人は「人生を管理する」ことに時間を使います。

後者の人は「人生を生きる」ことに時間を使います。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。

でも、その構造の中に「完璧さ」という名の牢獄を作ってはいけない。

人を責めるより、構造を見る。

その構造が「完璧さを求めるシステム」になっていないか、見直す。

自分を責めるより、構造を見る。

その構造を「完璧に遂行する構造」から「続ける構造」に変える。

優しいまま、壊れないこと。

完璧さを求める限り、人間は壊れる。

完璧さを手放した時、人間は初めて続く。

誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。

その光は「完璧さ」からは生まれない。

「未完成のまま、続こうとする」という意志からのみ生まれる。

短期評価ではなく長期残存価値。

完璧な人生は「短期評価」では高い点を取る。

でも「長期残存価値」では、実は低いのだ。

なぜなら、それは「一度きりの完成」を目指しているから。

人生という物語が完成した瞬間、その物語は終わる。

一方、未完成のまま続く人生は、その人が死ぬまで「続く物語」として存在し続ける。

その「続く」こと自体が、最高の価値なのです。

エピローグ

本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。

20代の私が「完璧な人生設計」を立てた時、その設計図は机の上に「理想」として美しく描かれていました。

30代で、その設計図通りに進もうとして、何度も挫折しました。

40代で、その設計図を「正しい答え」として握りしめ、それ以外の選択肢を否定していました。

50代に入って、ようやく気づきました。

その設計図など、最初からなくてもよかったのだ。

あるのは、ただ「その瞬間の選択」と「その選択から生まれる物語」だけ。

その物語が「完璧さを求めるもの」ではなく「続く物語」として描かれた時、人間は初めて自由になる。

そして、その自由の中でのみ「本当の充足感」が生まれるのだ。

人生は、完璧に完成するものではない。

人生は、未完成のまま続く物語だ。

その未完成さの中に、全ての価値がある。

その未完成さの中に、全ての自由がある。

その未完成さの中に、全ての愛がある。

だから、今この瞬間、あなたが「人生をやり直したい」と思っているなら、朗報です。

完璧な人生計画など存在しないから、何度でもやり直せるのだ。

今から、新しい第一部を始められるのだ。

その新しい第一部の中で、また学び、また失敗し、また選択する。

その繰り返しの中に、本当の人生がある。

本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。

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