【前編】運命を左右した「4時間」の話
これは、高校3年生のとき、
大学受験の真っ只中にいた、あの頃の話だ。
私が通っていた高校は、いわゆる普通校だった。
特別に進学校というわけではなく、国立大学に進学できれば、
「すごい」「レジェンド」
そんな言葉が飛び交うようなレベル感の学校。
そんな場所から、私はかなり背伸びをした大学を目指していた。
校内では、これまで一度も合格者を出したことのない大学。
客観的に見れば、どう考えても無謀な挑戦だったと思う。
それでも、不思議と迷いはなかった。
その大学には、私がやりたいがすべて揃っていた。
地元には存在しない、グローバルな学科。
広くて、綺麗なキャンパス。
実家を出て、都会で学生生活を送りたい。
一人暮らしをしてみたい。
そうした憧れが、いくつも重なって、
気づけば答えは一つになっていた。
「ここ以外は考えられない」
それくらい、気持ちは固まっていた。
高校3年生になり、クラス替えがあった。
このときはまだ、このクラスが
私の受験生活をここまで苦しいものにするとは思っていなかった。
配属されたのは、まさかの就職クラス。
進学希望を出していた私は、当然のように進学クラスに入るものだと思っていた。
進学クラス以外の選択肢があるなんて、
その発想自体が、頭の中になかった。
40人のクラスの中で、大学進学を目指していたのは、たった3人。
残りは短大、専門学校、就職。
夏の段階で進路が決まる生徒も多く、
実際、年内にはほとんどの人が受験から解放されていった。
気づけば、ただでさえ大変な試験勉強に加えて、
私は「孤独」とも戦わなければならなくなっていた。
高校生活、最後の1年。
周囲は「もう最後だから」と口にしながら、
少しずつ遊びへと気持ちを向けていく。
いつも一緒にいた友達の中にも、進学者はいなかった。
気を抜けば、簡単に流されてしまいそうになる。
「もし進学クラスだったら、
こんな思いをしなくて済んだのではないか。」
何度も、頭をよぎった。
けれど、どれだけ不満を並べても、
この環境が変わることはない。
怒りを向けたところで、時間が戻るわけでもない。
それに何より、
「環境」を言い訳にしてしまう自分だけは、
どうしても許せなかった。
結局、自分に残された選択肢は一つしかない。
この場所で、やるしかない。
楽しそうに笑う周りの声を遠くに感じながら、
私は感情を押し殺し、ただひたすらに机に向かい続けていた。
そんな日々が、しばらく続いた。
経済的な事情もあって、
予備校や塾に通うという選択肢は、最初からなかった。
たまたま進学クラスの担任と話す機会があり、
そのことを正直に打ち明けると、
『就職クラスで、かつ、塾にも行かないなんて....』と、やはり心配された。
それでも不思議と、
「自分なら大丈夫だ」という、根拠のない自信だけは消えなかった。
実際、憧れていた先輩が、塾にも予備校にも通わずに、国立大学へ進学したと知っていたからだ。
あの人にできたのなら、
きっと私にもできる。
私もあの人のようになるんだ。
そう何度も言い聞かせながら、
私は今日も机に向かっていた。
夏休みが近づくにつれて、
友達からの誘いが、少しずつ増えていった。
みんな、最後の高校生活を楽しみたかったのだと思う。
それは、とても自然なことだった。
それでも私は、すべての予定を断った。
今振り返れば、あのときの友達には「ごめんね」と思う。
きっと、寂しい思いもさせていたはずだ。
それでも当時の私は、
自分を律することで、精一杯だった。
一度気を緩めたら、もう戻ってこれない気がしていたから。
そんな中で、模試の結果が返ってきた。
模試の判定は、A(合格可能性:高)からE(合格可能性:低)までの五段階。
私の結果は、そのE判定だった。
誰が見ても、
「志望校を下げたほうがいい」と言われる成績だった。
この結果を知った進学クラスの先生からは、
専門学校を勧められた。
正直、腹が立った。
というより、
これまで積み重ねてきた時間や覚悟を
一瞬で否定されたような気がして、悔しかった。
それでも、
自分のクラスの担任と、親だけは違った。
「お前なら、絶対大丈夫だ」
その言葉に、私は何度も、何度も救われた。
自信が揺らぎそうになるたび、
その一言が、踏みとどまらせてくれたのだ。
やがて、滑り止めの大学を決めなければならない時期がやってきた。
けれど私の視界には、
相変わらず第一志望しか映っていない。
行きたくもない大学の試験対策をすること自体が、どうしても無意味に思えてしまっていた。
それ以上に引っかかっていたのは、
「行くつもりのない大学に、親にお金を払わせること」だった。
ただでさえ余裕のある家庭ではないことを、わたしはよく知っていた。
だったら、最初から一本で行くべきじゃないか。
そうすれば、無駄なお金もかからない。
気づけば、私はその考えに、静かに傾いていた。
当時の私は、今の私とは違い、
先のことよりも「勢い」を信じるタイプだった。
親はその逆で、
最悪の事態を想定して動く人だった。
当然、親からは反対され、何度か話し合いを重ねた。
その末、最終的に
一校だけ滑り止めを受験することになった。
当初は、納得しきれなかったが、今なら分かる。
あれは、受験戦争から私を守るための「盾」だったのだということが。
結果的に、この決断が安心材料となり、気持ち的にも少し余裕が生まれた。
経済的に余裕のない状況の中、
それでもこの選択肢を残してくれたことが、本当にありがたかった。
――ただ、この時の私はまだ、この「盾」が、
思いがけない一撃を受けることになるとは、
知る由もなかった。
......【中編】に続く
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