PLANET LAND ー 彗星から惑星へ ー 第21話 あーし。
第21話 あーし。
「峯岸さん?」
メッセージが読み上げられた瞬間、峯岸の様子が明らかに変わった。
ハンドルを握る手が固まり、目は一点だけを見据える。
そして、うわごとのように、呟き始めた。
「フタバ……」
「フタバ……」
助手席で、杏奈がスピードメーターに目をむけると、針がじわじわと上がりはじめる。
「峯岸さん……」
「峯岸さん、スピード出し過ぎです」
130km/h
140km/h
150km/h
「峯岸さん!」
「フタバ……フタバ……」
後部座席で、ユズが身を乗り出す。
「海斗、やばいって」
空気が一瞬で張り詰めた、その時だった。
杏奈の声が、車内に響く。
「落ち着きんさい!」
その一言で、峯岸の肩がびくりと揺れて、はっとしたように目を瞬く。
メーターを見て、慌ててアクセルから足を離すと、速度がゆっくり落ちていき、峯岸は深く息を吐いた。
「……スマン」
その時、聡志が穏やかな声で言うと、峯岸はゆっくり答えた。
「次のサービスエリアで、運転代わろうな」
「ああ、それがええな」
次のサービスエリアの駐車場に停まると、全員が誰も口を開かず、車を降りる。
ベンチに腰を下ろしても、さっきまでの緊張は簡単には抜けなかった。
その空気を少しでも変えようとしたのか、宮坂とミナが売店のほうへ向かい、しばらくして人数分のソフトクリームを手に戻ってきた。
ミナはそのうちのひとつを、峯岸の前に差し出す。
「はい、海斗」
「すまんな、おおきに」
ユズが呆れたように肩をすくめる。
「あんたなあ、彼女が心配なんは分かるけど、こっちを巻き込まんといてな」
「ほんまに、迷惑かけたな」
そのやり取りを見ながら、杏奈が遠慮がちに口を開く。
「あの〜、フタバさん……て?」
聡志と宮坂が、杏奈の問いに答える。
「杏奈は知らなかったか」
「あいつ、休学してからチャットに顔、出さないから」
「山根双葉、僕らのもう一人のメンバーだよ」
「いま休学して療養中なんだ」
ミナも、少しだけ表情を和らげて頷くと、ユズも言葉を重ねた。
「そして、うちらの看板女優」
「高校時代は新体操の国体選手でね、身体表現が抜群でさ」
「あれは、凄かったな」
「見惚れてしもうて」
杏奈は小さく息を呑むと、聡志が答える。
「そして、峯岸さんの――」
「そ、彼女」
その一言のあと、視線が自然と峯岸へ集まると、峯岸は何も言わず、ただ手の中のソフトクリームを見つめていた。
しばらく黙って言葉を探していたのだろう、やがてぽつりと口を開いた。
「ギラン・バレー症候群ちゅうたかな?」
「急に全身が麻痺して、長いこと集中治療室におったわ」
「今は、なんとかリハビリを始めたらしいが、なかなか難しい病気らしい」
杏奈が静かに尋ねる。
「連絡したり、会ったりはしてなかったんですか?」
「連絡はしとるよ」
「お見舞いは……なかなかな」
「コロナ以降は時間とか人数が制限されて、どうしても家族優先になるからな」
「リモート電話は、しとるけど」
その時、聡志が思いついたように顔を上げた。
「それだ!いまかけちゃおうよ」
ミナが間髪入れずに首を振る。
「やめといた方が良いね」
「なんで?」
ユズが呆れたように肩をすくめた。
「デリカシーないな〜」
「この文面見てわからんか?」
聡志はスマホの画面を見て、はっとした。
「あ、そうか」
「私も……そっとしておいた方が良いと思います」
峯岸は何も言わず、静かにスマートフォンを取り出すと画面を開き、写真フォルダをスクロールする。
そして、ひとつの写真で指が止まった。
「……フタバ」
画面の中では、球場のスタンド席でユニフォーム姿のフタバが、楽しそうにピースをしている。
その横で、峯岸も少し照れたように笑い、しばらく、その写真を黙って見つめていた。
杏奈が、ふとスマホの画面を指さす。
「この“あーし”って言うのは?」
フタバから届いたメッセージ。
短い文章の頭に、その言葉が何度も出てくる。
ミナが少し笑って答えた。
「あの子の一人称だよ」
「あたしって言ってるんだろうけど、早口でね」
ユズも思い出したように、くすっと笑いながら続ける。
「うちらが真似しとったら、自分でも文字にし始めてな」
「言葉も、意地でも土佐弁を直さへんの」
峯岸は、フタバとの画像を静かに見つめたまま、指でそっとスクロールした。
神戸市内の、とある病院の病室の表札には、「山根双葉」と書かれている。
その部屋を、志織が軽くノックをしていた。
コンコン。
すぐに中から声が返ってくる。
「お待ちしてました、どうぞ」
扉を開けると窓際のベッドの上に、ノートパソコンに向かっているフタバが座っていた。
志織は穏やかに微笑む。
「具合はどう?フタバちゃん」
「まだ、痺れも取れんし、思うように動きません」
そう言って、ノートパソコンの画面をくるりと志織に向けた。
「これ、今回の分です」
志織は身を乗り出して画面を覗き込み、目を丸くする。
「凄いじゃない、フタバちゃん」
「なんでもすぐ覚えちゃうんだね」
「私も若い時、そんなふうにパッと覚えられたら、あんなに回り道せずに済んだかもしれないな」
「羨ましいよ」
フタバは苦笑する。
「お世辞はえいですよ」
「それに、お手伝いさせて貰いゆうき、入院費もだいぶ助かってます」
「指先とか、手首のリハビリにもなってますき」
志織はすぐに眉を上げながらも、口調は優しく諭すように返した。
「こら」
「こう言う時は、素直に“ありがとう”だけで良いんだよ」
フタバは小さく頷き、志織はさらに続ける。
「うちの会社だって、おかげで助かってるんだよ」
「本当は正社員のお給料、出したいくらいだよ」
フタバは少しだけ背筋を伸ばした。
「ありがとうございます」
「そうそう、若者は素直が一番だよ」
「けど……なんだか元気ないね?」
フタバは少しだけ視線を落とし、それから、何気ないふうを装って口を開いた。
「あの『PLANET LAND』の台本書いた新入生」
「田澤杏奈って子、どんな感じですか?」
志織はその問いに、ふっと目を細めた。
「気になる?」
「とっても素直で可愛い子よ」
「ただ、色々気負い過ぎちゃってるね」
「仲間の期待とか、家族への恩とか」
そこで一度言葉を切り、フタバの顔を見る。
「あなたに、似てるかもね」
フタバはすぐには笑わず、ノートパソコンのキーを眺めながら、ぽつりとこぼした。
「けんど、杏奈ちゃんは、ちゃんと応えゆう」
「『ローストビーフの詩』も、『PLANET LAND』も」
「……フタバちゃん」
フタバは、その声を遮るように続けた。
「動画もバズって、この前の久羽乃のお祭りの動画も、みんなあが楽しそうに、どんどん上手うなって行きゆうし……」
言葉は途切れ途切れなのに、そこに込められた思いだけが、かえって生々しく伝わってくる。
唇をきゅっと結んだ。
「あーし、どんどん置いてけぼりで……」
「チャットも……もう、あーしは入り込めんがです」
「もう皆んな、あーしの知っちゅう演劇サークルやない」
フタバの視線が、病室の白い棚の上に飾られている、小さなフォトスタンドに目が止まった。
仲間たちと演じた舞台後、みんなと揃っている写真。
それを眺めながら、声を震わせる。
「あーしの知らん、プラネットランドになってしもうたがです」
「……あの子達が、あなたを除け者にすると思う?」
「あなたが勝手に、自分から線を引こうとしてるだけに見えるけど?」
真剣に向き合うように、一言一言に重みのある志織の言葉に、フタバは言葉を詰まらせた。
「そうやけど……そうながやけど」
「いい?フタバちゃん」
「私みたいなオバちゃんだから、言えることだけど」
「若いうちは、苦しい状況に陥った時、今より辛いことはないって思うかもしれない」
「でもね、もっと辛いことは、次から次へと来るものだからね」
フタバの眉がわずかに寄る。
「志織さんは……あーしの苦しさを知らんから」
「裏切られて、一人で子育てして、会社作って日々戦ってきた私も、苦労自慢なら負けないからね」
「はい……すみません」
フタバが小さく頭を下げると、志織は軽く手を振った。
「まずは、しっかり療養に専念すること」
「あと、これだけは言っとくね」
フタバが顔を上げると、志織は静かに続けた。
「行動に移す前に、まず深呼吸して」
「自分がやろうとしていることが、本当に正しいことなのか……」
「よく考えなさいね」
「辛くて苦しい時に出す決断は、大抵がロクな結果を生まないからね」
「……分かりました」
フタバが目を伏せると、志織は立ち上がる。
「うん、じゃあ、お大事にね」
そう言って、静かに病室を後にした。
病室の扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
静けさが戻ると、フタバはしばらくそのまま動かなかった。
志織が座っていた椅子。
閉じたノートパソコン。
仲間たちとの思い出の写真。
それらを、ぼんやりと見つめる。
やがて、掠れた声がひとりでに漏れた。
「そう言うたち、そう言うたちよ」
唇が小さく震える。
「いつ退院できるかも分からんがやに」
窓の外は明るいのに、その光が自分のところまでは届いてこない気がした。
「もう、待たせれん、言うか……もう皆んな、待ちやあせんか」
胸の奥がきしむように痛かった。
志織の言葉が、頭の中でゆっくり反芻される。
――辛くて苦しい時に出す決断は、大抵がロクな結果を生まないからね。
フタバはその言葉をなぞるように、目を閉じて低く呟いた。
「苦しい時の決断は、ロクな結果を生まんか……」
「けど、あーしは……ちょっとでもラクになりたいが」
ゆっくりとスマホを取り出す。
震える指で画面を開き、グループチャットの一覧を見つめた。
PLANET LAND
その文字を見ただけで、喉の奥が詰まりそうになる。
フタバはしばらく画面を見つめたあと、静かに操作した。
グループを退室しますか?
躊躇いは、ほんの一瞬だった。
画面が切り替わり、フタバはそのまま峯岸との個人チャットを開いた。
何度も、何度もやりとりした履歴。
たわいない言葉。
短い通話のあとに残ったメッセージ。
その一番下の入力欄に、指を置く。
「……ごめんで、海斗」
小さく呟いてから、打ち込んだ。
【海斗、もう、あーしのこと、待たんでえいき、もっとえい人見つけてよ】
【別れて下さい】
送信した瞬間、張りつめていたものが切れたように、フタバの目から一筋の涙が落ちると、それを拭いもせず、しばらく画面を見つめていた。
そして――
スマホを握る手を、もう一度ゆっくり動かす。
今度は、別の人物の名前を開いた。
下宿の机の上に置いたタブレットの前で、杏奈は腕を組んだまま考え込んでいた。
画面には、書きかけの台本の文字。
「おじいちゃん……」
「音楽が好きじゃった」
キーに手を伸ばし、指を動かし始める。
「若い時に頑張って買うたステレオで、クラシックも、ビートルズも、演歌も、なんでも聞いとった」
少しだけ笑みが浮かぶ。
「おばあちゃんは、おじいちゃんの肩を揉んであげたり……」
「縁側で、おじいちゃんの髪の毛を切ってあげたり」
キーを打つ指が止まることはない。
「けど、好奇心が強うて、色んな習い事しとった」
思い出を辿るように、ゆっくりと文字が増えていく。
部屋の中は、タブレットのキーを打つ音だけが、規則正しいリズムで続いていた。
その時。
ピコン。
メッセージの通知音が鳴ると、手を止め、スマホの方の画面には、メッセージが表示される。
【田澤杏奈さんですか?】
続けて、もう一通。
【あーし、フタバ。山根双葉です】
第22話はこちらから↓
↓マガジンに全話収録されてます
