PLANET LAND ー彗星から惑星へ ー 第18話 ハッピーアイランド〜瀬戸の花嫁大作戦〜 後編
第18話 ハッピーアイランド〜瀬戸の花嫁大作戦〜 後編
劇中劇三部作 今回がフィナーレです。
語り)
島を直撃した、猛烈な台風。
夜の港では、青年団と島の客人たちが力を合わせ、門扉を閉め、水門を下ろし、島を守るための作業に追われていました。
唸る風、打ちつける雨。
それでも誰一人逃げることなく、嵐の中で踏ん張り続けます。
やがて水門は閉じられ、全員は港の納屋に身を寄せ、長い夜をやり過ごすことになりました。
そして――
翌朝。
台風は過ぎ去り、静かな海が戻っていました。
しかし港に出た一同が見たのは、信じがたい光景でした。
巡航船の船着場となっていた浮桟橋が、きれいさっぱり流されてしまっていたのです。
こうして御美島は、外の世界との行き来を一時的に失うことになりました。
そして物語は、ここから新しい局面を迎えます。
港に立ち尽くしたまま、聡志が空を見上げた。
「ついてねえ……なんでこうなるんだよ」
壊れた浮桟橋の残骸が、波に揺れている。
その横で、峯岸と宮坂が声をかけてきた。
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「どこ行くんだよ」
「和尚さんのお寺の畑です」
「手伝ったら野菜分けてくださるそうで」
峯岸が軽く笑う。
「チーフも行きませんか?」
「俺はやだよ、土まみれになるなんて」
宮坂が肩をすくめる。
「働かざるもの、食うべからずですよ」
「うるせえよ」
「行くならさっさと行けよ」
二人はそれ以上何も言わず、港を離れて歩き出した。
聡志は深く息を吐く。
「はあ……」
「全部ばらしちまうなんて……」
「こんな所まで来て、お蔵入りかよ」
頭を掻きながら、ぶつぶつと呟いた。
「とりあえず、局に連絡しねえと……」
「けど携帯使えねえし」
ふと目を上げると、港の端に古びた緑の電話ボックスが立っていた。
「……あった」
聡志はポケットを探り、十円玉を取り出して中へ入る。
受話器を上げ、番号を押した。
「はい、TVテレビですが」
「あ、多辺ですが。沢渡デスクお願いします」
「少々お待ちください」
受話器の向こうで、保留音が流れ始める。
♪――
だが、その途中で。
ピーー、
ガチャン。
回線が切れた。
聡志は受話器を耳に当てたまま、しばらく固まる。
「あれ?」
「切れた? なんで?」
受話器を握ったまま、聡志が首を傾げていると……
「すみません」
背後から声がした。
振り返ると、電話ボックスの入口に杏奈が立っている。
「私も社長に電話しますので、先にいいですか?」
そう言いながら、杏奈はポケットからカードの束を取り出し、それを、まるでトランプのように、ぱらぱらとめくる。
目を丸くする聡志。
「な、何? それ」
「テレホンカードですよ」
「それが噂の……初めて見た」
杏奈は少しだけ首を傾げた。
「さっき切れる前に、ピーって鳴りませんでした?」
「そう言えば……」
杏奈は一枚を選びながら、淡々と続けた。
「十円で東京だと、十数秒しかもちませんよ」
「そうなの?じゃあ、それ一枚ちょうだい」
カードの束を胸元に引き寄せて首を振る。
「だめです」
「私のコレクションなんで」
一瞬だけ名残惜しそうに眺めてから、ぽつりとこぼした。
「本当は穴を開けたくなかったんですが……仕方ないですね」
駐在所では、秀然と健作、そしてミナが語らっていた。
秀然がぽつりと呟く。
「愛別離苦(あいべつりく)……」
「なんですか?それ」
ミナが首を傾げると、秀然は穏やかな顔のまま答えた。
「この世のあらゆるものは、愛するものと必ず別れなければならない、ということです」
「卒業や転居」
「破局、そして死別」
「確かに、そうですね」
ミナが素直に頷くと、健作が横から大きな声で割って入った。
「まあ、ミナちゃん、そんな難しいことはええから」
「ええもんやるわ、これ」
そう言って差し出したのは、一本の襷だった。
「健作さん、またですか?」
「ミナさん、受け取ったらいけません」
「まあまあ、そう言わずに、今この時間、潮が最高なんよ」
健作は得意げに言うと、びしっと敬礼した。
「田澤健作巡査部長、ただいま逮捕状が出ましたので、カンパチ容疑者、スズキ容疑者を逮捕して参ります!」
そう叫ぶなり、釣竿を抱えて勢いよく駆け出していく。
ミナは襷を手にしたまま、ぽかんとその背中を見送った。
「……なんだったんでしょう?」
秀然がため息まじりに言う。
「開いてごらんなさい」
「まったく、あの人は」
ミナが襷を広げると、そこには、「一日駐在所長」と書かれていた。
「こんなん、ありなんですか?」
「だって、あの人が唯一の法の番人ですから」
「だからって、馬鹿正直に聞くことありません」
「よくある事ですから」
「島の治安が心配ですね」
「でもないか」
ミナが襷を見つめたまま言うと、秀然は静かに頷いた。
「そう言うことです」
「では、私はこれから野良仕事です」
「峯岸さんと宮坂さんも手伝って頂けるそうなんで」
「私も行っていいですか?」
「もちろん」
秀然は穏やかに答える。
けれどミナは、そのまますぐには動かなかった。
「あと、さっきの愛別離苦?」
「あの話、引っかかってて」
「お別れして、辛い方がいらっしゃるんですか?」
「はい……昔の……ユズです」
秀然は何も急かさず、ただ静かに頷いた。
「私で良ければ、道すがらお話を伺いますよ」
島の最も高い丘、360度の海が見える場所。
青年団の三人が、番組に応募した場所だ。
台風一過の眩しい日差しが、一面の海原を輝かせていた。
「……うわぁ」
雄大な景色に圧倒されるユズ。
丸太をくり抜いたベンチに座ると、雄吾もその隣に腰を下ろし、ユズと視線を合わせる。
「……あんたに、この景色、見せたかった」
「え?」
「な、なんで……ですか?」
雄吾は、遠くを見て目を細めた。
「ずいぶん疲れた顔、しとったからな」
「わしらには想像もつかんもんを、色々抱えとるんじゃろ」
「あなたには関係ないです」
少し強くなったその声に、雄吾はかすかに笑った。
「そらあ、そうじゃ」
「ほうじゃから、わしに言えることは、なんもない」
ユズの胸の奥が、ざわつく。
雄吾は、潮風に身を任せて、青空を仰いだ。
「この場所はな、わしら島の人間には、珍しゅうもなんともない場所や」
「悲しい時とか、悩んだ時とか、みんな、なんとなくここに来る」
「私には……珍しいです」
「こんな一面の海」
「珍しゅうもないが、島の人間はみんな知っとる」
「ここに来たら、ちょっとだけ楽になるってな」
そして、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
「……あんたに、この景色、見せたかった」
その瞬間、ユズの目の奥が、急に熱くなった。
次の瞬間には、涙がぶわっと溢れていた。
言葉に出したら、もう止まらない。
「小さい頃からの憧れだったんです」
「だけど、いざ入ったら、メンバー同士の競争で……騙し合いとか、足の引っ張り合いばっかりで」
「……ほうか」
感情の赴くまま、ユズは続けた。
「この前も、控室の扉の向こうから、他のメンバーが私の悪口言ってて、聞こえたんです」
「私が扉を開けたら、何もなかったみたいに笑って、『お菓子あるよ』って」
「もう……人が信じられなくなってて」
「ミナさんもか?」
その一言に、ユズは息を呑む。
「あの子は、同期で入って、一緒に住んでます」
「一番信頼してるつもりなんです」
「ずっと一緒に頑張ってきたし……」
そこで言葉が詰まった。
「だけど、正直、疑ってしまってる自分もいて」
「じゃったら、直接話したらええ」
ユズは口元を緩めた、そして、肩の荷を下ろしたみたいに軽やかな口調で
「ですよね、何でそんな簡単なこと、気づかなかったんだろう」
雄吾は何も返さず、海原の煌めに視線を置いていた。
寺の畑では、秀然、ミナ、峯岸、宮坂、そして杏奈が並んでクワを振っている。
峯岸が息をつきながら言う。
「難しいもんですね」
秀然は手を止めず、穏やかに答えた。
「腕の力で、振り下ろすのではありませんよ」
「クワの先の重みに、任せればよいのです」
「木魚のバチのように」
宮坂が首をかしげる。
「その例えは分かりませんが……ゴルフのヘッドを効かせる感覚かな?」
峯岸が「ああ」と声を漏らした。
「なるほど、そういうことか」
その横で、目を丸くするミナ。
「杏奈ちゃんは凄いね」
一人だけ、ザクザクと小気味よいリズムで土を耕していく杏奈。
秀然がその様子を見て、ふと笑う。
「ずっと島にいてほしいなあ、杏奈さん」
そこへ、丘からの帰り道らしい、雄吾とユズが並んで歩いてきた。
先に気づいた雄吾が、畑の面々に向かって声を上げる。
「お、皆んな、ええ感じに泥だらけやの」
その言葉に峯岸が苦笑し、宮坂が鍬の柄に手をかけたまま軽く会釈した。
秀然は穏やかな顔で二人を迎える。
その時だった。
ユズとミナの目が、まっすぐに合う。
雄吾は自然な仕草でユズの肩にそっと手を置くと、少しだけ目を細めて微笑んだ。
収穫した野菜を、ユズとミナが並んでしゃがみ込んで井戸水で洗っていると、ミナがぽつりと口を開いた。
「こないだのあれ、地味にショックだったよ」
「うん……酷いこと言ったよね」
「仲良い時、いっぱいあったじゃん」
「……ごめん」
「ま、あんた単純だからさ」
「悪口とか、溜め込んでたんでしょ?」
「感受性が強いって言ってよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
ミナが、少し優しい声で手を差し出すと、ユズは笑顔でその手を取る。
「おかえり……ほんとのユズ」
「ただいま、ミナ」
少し離れたところで、その様子を見ていた杏奈が、珍しくふっと笑った。
その時……
「見てみい!見てみい!」
健作が大声を上げながら走ってくる。
手には巨大な鯛がぶら下げられ、それを見て表情が固まる峯岸。
「凄いですね」
「優勝力士が持ってる奴よりでかい」
「ほうじゃろう?」
「これだけのもんプロでも、なかなか釣れんで」
その横で、雄吾が悔しそうに唸った。
「ぐぬぬ……」
秀然が微笑んで手を合わせる。
「では、青年団の臨時定例会、皆さんも交えて開きましょうか?」
宮坂が首をかしげると、健作が即座に答えた。
「臨時だと、定例会じゃないのでは?」
「この島では、これでええんじゃ」
宿舎の縁側では、聡志は一人、足を投げ出して座っていた。
手の中のスマホの圏外の表示は相変わらずだ。
ふと、局との電話のやり取りを思い出す。
――まあ、しょうがないよ。
――有給扱いにしてやるから、ゆっくりして来たらいい。
――最近妙にカリカリしてたからさ。
――良い薬だよ。
聡志は小さく鼻で笑った。
「用済み……ってことか?」
「数字出せねえから」
その時だった。
縁側の向こうに、ぞろぞろと人影が現れた。
雄吾、健作、秀然。
その後ろにユズとミナ、杏奈、峯岸、宮坂までいる。
聡志は思わず顔を上げた。
「え? 何?」
雄吾が聡志に声をかけてくる。
「あんたも、どうや?」
「どうって?」
穏やかな調子で口を開く秀然。
「私たち、いつも三人だけですから」
「たまには、人が多い方がよいのです」
聡志は、しばらく何も言わなかった。
縁側に並んだ顔を、順番に見ていく。
そして、ふっと鼻で笑った。
「何だよそれ」
「こっちはな、そんなのんびりした世界で生きてねえんだよ」
指先で、縁側の板を軽く叩く。
「テレビってのはな、数字なんだよ」
「視聴率何パー取ったか」
「前回より上がったか下がったか」
「企画出して、通らなきゃ終わり」
「ロケ行っても、絵が弱けりゃ終わり」
「放送して、数字出なきゃ……もっと終わり」
聡志はゆっくり顔を上げた。
「だからさ」
「余裕なんて、あるわけねえんだよ」
「お前らみたいに」
「畑耕して」
「魚釣って」
「青年団とか言って集まって」
「……そんな世界じゃねえんだ」
縁側に一瞬沈黙が落ちたが、それを破ったのは、峯岸だった。
「じゃあ、あなたはそこで座ってて良いですよ」
宮坂も続けた。
「僕たちは、僕たちで楽しみますから」
淡々とした声だった。
峯岸は軽く肩を回しながら言う。
「畑もあるし、魚もあるし、酒もある」
「こんなロケ、滅多にないですよ」
宮坂も頷いた。
「数字は出ませんけどね」
その言葉に、ミナがくすっと笑う。
健作は真鯛を肩に担いだまま胸を張った。
秀然が静かに手を合わせる。
「人が多い方が、楽しいじゃないですか」
雄吾は縁側の柱に手をつき、聡志を見た。
「……まあ、気が向いたらでええけ」
縁側で杯を傾けながら、聡志がふと口を開いた。
「なあ、あんたらは、何が楽しくて生きてんの?」
健作が即答する。
「毎日楽しいで」
「キャバクラも、カラオケも、パチンコも、ゲーセンもねえこんな所で?」
秀然が穏やかに答えた。
「最初からありませんからね」
「それがどれだけ楽しいものか、分かりません」
聡志はまた酒をあおる。
「どれだけ頑張っても」
「這い上がっていかないのに」
「何をしても誰にも評価されない」
「そんな生き方……何が楽しいんだよ」
雄吾が、力強い口調で告げる。
「生きとる」
「え?」
雄吾はゆっくり続けた。
「わしらは生きとる」
「何が楽しいか、考えたことはない」
「けどな」
「朝起きて」
「飯食って」
「漁に出て」
「仲間と笑うて」
「酒飲んで寝る」
雄吾は、聡志の目を見つめた。
「その毎日が楽しい」
「生きとることが、楽しいんじゃ」
「たまに」
「……あんたらや」
「ユズさんにも会えたり、できるけえの」
聡志はやがて、力なく自嘲気味に笑う。
「……上司がさ」
「最近、妙にカリカリしてたから、良い薬だって」
「有給扱いにしてやるから、ゆっくりして来いって」
「俺はもう、お払い箱だよ」
その言葉に、宮坂が静かに返した。
「本当にそうでしょうか?」
「何?」
峯岸が続ける。
「本気で、チーフのことを心配してると考えられませんか?」
ミナも真顔になって言った。
「この島に来てから、分かるようになりました」
ユズが聡志を見る。
「相手の本気の言葉は、はっきり受け止めた方が良いですよ」
杏奈も、静かな声で続けた。
「あなたを、充分評価して、心配しているからこそです」
聡志の顔が、少しずつ歪み、唇が震える。
「んだよ……」
「なんなんだよ……」
次の瞬間、聡志はうつむいたまま、ぼろぼろと泣き出した。
雄吾が、静かに言う。
「そうや」
「泣いたらええ」
聡志の肩が小さく震える。
縁側に並ぶ皆は、ただ黙ってその姿を見守っていた。
夜の風がゆっくりと庭を通り抜け、遠くで波の音が、静かに寄せては返している。
ミナが、ぽつりと言った。
「明後日には帰るのか」
「なんか、寂しいね」
ユズも小さくうなずく。
「うん……正直、帰りたくないよ」
ミナは遠くの海を見る。
「それに、島の皆さんにいっぱい良くしてもらって」
「なんか、恩返しできたらな」
その時、杏奈が少し呆れたように言った。
「何言ってるんですか? 二人とも」
ミナが振り向く。
「杏奈ちゃん?」
「あなた達にしか、できないことがあるじゃないですか?」
ユズが首をかしげる。
「どういうこと?」
杏奈は持っていた荷物を開けた。
中から現れたのは、二人のステージ衣装。
そして、楽曲の入ったCD。
「……!」
二人の表情が変わる。
杏奈は、少しだけ誇らしそうに告げた。
「梨夏社長から、言づてです」
「あなた達は、グループから独立して、デュオになります」
息を呑んだまま立ち尽くすミナとユズに杏奈が続ける。
「ユニット名は――」
「めいリン」
その時、聡志たちが歩いてきた。
「俺たちも、乗るよ」
「音響は任せてください」
「良い画、撮りますよ」
ミナとユズは顔を見合わせた。
「やるっきゃないね」
「うん」
「うちらの、目一杯の気持ち、込めよ」
杏奈が一歩前へ出て、眼鏡の奥の目が、まっすぐ二人を見つめる。
「できます」
「今のお二人なら」
「めいリン、デビューライブです!」
翌日。
港には漁で使うコンテナを積み重ね、その上に板を渡しただけの即席の特設ステージが組まれていた。
その前には島の人たちがほとんど集まっている。
おじいさん、おばあさん、青年団。
皆、楽しそうにざわめいている。
マイクを手に、聡志が一歩前に出た。
少し照れくさそうに咳払いをする。
「えー……」
「今回、俺たちはテレビのロケでこの島に来ました」
客席の島民たちを見る。
「正直、最初は仕事のつもりでした」
「いや、仕事“だけ”のつもりでした」
「でも」
「この島で、いろんな人に会って」
「一緒に働いて」
「一緒に笑って」
「生き方を、教えてもらった気がします」
島民たちの間に、静かな拍手が起こり、聡志は照れたように頭をかいた。
「なので、明日帰る前に、どうしても、皆さんにお礼をしたくて」
「今日、特別なライブを用意しました」
「島、初ライブです」
声を張る。
「ユニット名――」
「めいリン!」
ステージの袖で、ユズとミナが向き合う。
二人はしばらく見つめ合ってふっと笑った。
ミナが小さく言う。
「行こ」
ユズが頷く。
「うん」
二人は手を繋ぎ、そのままステージへ飛び出した。
「皆さーん!」
「こーんにちはー!」
「ユズと!」
「ミナで!」
二人同時に声を上げた。
「めいリンでーす!」
港に拍手が広がると、ユズがマイクに向かう。
「私たち、今日がデビューです!」
ミナが続ける。
「皆さんにお世話になった、感謝を込めて――」
二人は目を合わせ、声をそろえた。
「歌います!」
「ときめきのスケッチ!」
イントロが流れ始め、ユズとミナがゆっくりと息を合わせた。
♪パステルカラーの風が吹く 放課後のテラス
――こんな場所で歌うなんて、思ってなかった。
♪右手に持ったスケッチブック まだ真っ白なまま
――でも今なら、描ける気がする。
客席の端で、杏奈が小さなボトルを取り出すと、輪っかをくぐらせると、大きなシャボン玉が港の空に浮かび上がった。
ユズが、少し笑いながらミナを見る。
――あんたと歌うの、やっぱ楽しい。
――うん、やっと戻ってきたね。
健作がそれを見て、声を上げた。
雄吾がぎこちなくシャボン玉を吹き、秀然も静かに輪をくぐらせる。
峯岸はカメラを構えたままだ。
「うわ……いい画だ」
宮坂が笑う。
「音も最高です」
港の上に、シャボン玉が増えていった。
ユズの声が、少しだけ弾む。
――あの丘の景色。
雄吾が、客席の後ろで腕を組んで見ている。
ユズは一瞬だけ、その姿を見る。
――ありがとう。
ユズがそっと掌を突き出した。
♪ときめきスケッチ シャボン玉
ミナが大きく腕を広げる。
♪青空高く シャボン玉
港には、数えきれないほどのシャボン玉が、夕日の光を受けて、虹色にきらめく。
♪はじけずあなたへ飛んでゆけ
ユズの胸が、少しだけ熱くなる。
――この歌、ちゃんと届いてるかな。
♪『好き』と言えない 臆病な私の代わりに
ミナが、ユズを見て少しだけ声を震わせる。
――でも今日は、ちゃんと言える。
♪そっと届けて この純情
二人の声が重なった。
シャボン玉が、港いっぱいに舞い上がり、島の人たちの笑顔の上を、ゆっくり、ゆっくり漂っていった。
翌朝。
修復された浮桟橋に、巡航船がゆっくりと近づいてきた。
聡志が桟橋を見つめながら言う。
「いよいよか」
峯岸が腕を組む。
「寂しいですね」
宮坂も頷いた。
「本当に」
ミナが深く頭を下げる。
「秀然さん、健作さん」
「本当にありがとうございました」
健作は高らかに笑い、秀然はそっと手を合わせる。
「こっちこそ、楽しかったわ!」
「これぞ、まさに愛別離苦(あいべつりく)です」
その横で、ユズが雄吾に向き直る。
「……雄吾さん」
雄吾は照れくさそうに笑う。
「そんな顔せんといてくれ」
「いつでも遊びに来たらええ」
「必ず来ます」
その時だった。
杏奈が、少し遠慮がちに手を挙げる。
「あのー……そのことなんですが」
皆が振り向くと、杏奈は平然と言った。
「私たち、帰りませんよ」
ユズとミナが同時に声を上げる。
「え?」
杏奈は続ける。
「瀬戸内海って、この御美島みたいに」
「人が少ない島が、たくさんあるんです」
「めいリンのお二人は」
「そんな島を回ってライブをして」
「元気づけるんです」
少し誇らしそうに。
「それが、梨夏社長の意向です」
ユズとミナは、まだ状況を飲み込めない。
杏奈が続けた。
「今回のロケも」
「その目的で、お二人が選ばれたんです」
「島のアイドル――」
「島ドルとして」
二人がぽかんとすると、杏奈がさらっと付け加える。
「寮の荷物は、全部送ってくれるそうです」
峯岸がカメラを軽く叩きながら笑った。
宮坂も機材を抱えたまま頷く。
「たっぷり、良い画、撮れてますよ」
「録音もバッチリです」
聡志が、少しだけ得意げに笑った。
「島ドル、めいリン誕生ドキュメント――」
「良い番組になりそうだな」
その横で、健作が大きく手を振る。
「ミナさーん!」
全力でポージングを決めると、秀然も負けじと前に出る。
「ミナさん」
そう言いながら、頭をタオルで磨き始めた。
ミナが吹き出し、島の人たちもどっと笑う。
その少し離れたところで、ユズが雄吾を見る。
「……雄吾さん」
「これから、宜しくな」
「はい」
杏奈が、その様子を見ながら微笑み、客席に向かって一言告げた。
「御美島は、今日も平和である」
第19話はこちらから↓
↓マガジンに全話収録されてます
