PLANET LAND ー彗星から惑星へ ー 第19話 永遠のふたり
第19話 永遠のふたり
久羽乃町民文化会館の舞台の幕が、静かに下ろされていく。
客席から、大きな拍手が広がり、会館全体を包み込んでいった。
最前列で、由美加がハンカチを目元に当てており、隣の梨夏も涙をこらえきれない様子で舞台を見つめている。
その拍手の中で、幸弘は客席後方に立ったまま、まだ舞台の余韻から抜け出せずにいた。
そこに、横から静かな声がかかる。
顔を向けると、久保崎が腕を組んで客席を見渡していた。
「どうだい? 良いものだろ?」
「自分が作ったものが、他者の手になって形になるのは」
客席からは、まだ鳴り止まない拍手、立ち上がる観客、その姿を見渡す幸弘の胸に、様々な感情が込み上げて、溢れ出す。
「本当ですね……」
「これ程とは思わなかった、想像以上です」
「久保崎さんや、澄水座の皆さん、杏奈の仲間たちのおかげです」
久保崎は、ふっと口元を緩めた。
「欲が出てきたんじゃないか?」
「あの時言ったじゃないか」
「懐かしい暖かいものになるって」
幸弘は少し照れくさそうに笑った。
「お恥ずかしい限りです」
「彼らなら……できますか?」
久保崎は顎に手を当て、客席の拍手を聞きながら考えるように言った。
「う〜ん……出来ないことはないだろうが」
「もう数度、場数を踏んでからかな」
幸弘が小さく首をかしげる。
「場数……?」
「映像にするなら、ね」
幸弘の目が、わずかに見開かれる。
「映像……」
「まさか……彼らに?」
久保崎は、舞台をもう一度見つめ、ゆっくりと口を開く。
「言ったろ?」
「私は、まだ諦めていないと」
幕の下りた舞台の上では、誰もすぐには動けなかった。
互いの顔を見合って、そして一人、また一人と笑い出す。
その中で、雄吾が皆のほうを振り返った。
「皆さん、ありがとうございました」
そのひと言に、舞台にいる全員から拍手が起こる。
大きく息を吐きながら、肩を回す健作。
「ゆき兄、すごいわ」
「わしら、こんな本格的な芝居、初めてじゃったけえ、緊張したわ」
すると杏奈が、笑って言った。
「健作にいちゃん、ノリノリじゃったよ」
「いやいや、そりゃお前、やるしかなかったけえ」
秀然は穏やかな顔で手を合わせるようにして、杏奈たちに目を向ける。
「君たちも、本当にありがとう」
「しっかり役に入っていたから、私たちもやりやすかったですよ」
その言葉に、すぐさま反応したのは峯岸だ。
「住職さん、あんまり普段と変わらんようにして、逆に凄かったです」
「それは褒められているのか、どうなのかな?」
横で宮坂も、ふっと肩の力を抜いたように言った。
「僕も役だけって初めてだったんで、いつもは裏方も兼務だったから」
「不思議な感じですよ」
終演まで張りつめていた糸が、そこでようやく切れたのだろう。
その場でへなへなと膝から崩れ落ちるミナ。
「恥ずかしかった……」
「新しい何かを手に入れた代わりに、何かを失った気がする……」
聡志が吹き出す。
「やな奴やるのも、意外と気持ちいいっすね」
ユズの潤んだ瞳の先にいるのは、雄吾だった。
「雄吾さん、雄吾さん」
「うわ」
雄吾が一歩引くより早く、ユズはそのまま飛びついた。
「ほんまに、ほんまに……ありがとうございます〜!おおきにです〜!」
勢いよく抱きつかれた雄吾は、苦笑して受け止めるしかない。
「うん、ありがとね、ユズさん」
ユズは頬を染めながら、雄吾の顔を覗き込むように視線を上げた。
「……ちゅーしてくれても、ええんですよ」
「いや、それは流石に、はは……困ったな」
舞台の上は一気に爆笑の渦に包まれた。
プラネットランドの面々、澄水座の役者、裏方、舞台演出のスタッフ。
そこにいる者みな、ひとつの舞台を共に走り抜き、作り上げた一体感を噛み締めて、底知れない感動を共有する空間となっていったのだった。
いずみ亭の前では、弓と矢筒を担いだ河瀬が、「本日閉店」の札の前で肩を落としている。
「……お休みか、残念じゃのう」
「久羽乃に行くんなら、言うてオススメされたんじゃけど……仕方ないか」
そこに、一台の車が停まり、運転席から幸弘が降りてきた。
「すみません、今日はお休みを頂いていて」
「また、別の日にぜひ来てください」
丁寧な幸弘に、河瀬は恐縮して背筋を伸ばした。
「こちらこそ、調べんかったけぇ、申し訳ないです」
「明後日から、兵庫に帰らんといけんので、後期日程が終わったら、また来させて頂きます」
幸弘は、河瀬と弓を交互に見た。
「君……大学生?」
「うちの娘も今年から、兵庫の大学におるんよ」
「弓道か、武道やっとるだけあって礼儀正しいのう」
腕組みをして、感心するように頷く幸弘に河瀬は照れ臭そうに視線を落とした。
すると、いつの間にか店内にいた由美加が、保冷バッグを下げて現れる。
「家……遠いん?」
「横多です、車なんで30分くらいですね」
すると、由美加はその保冷バッグを差し出した。
「なら大丈夫じゃね」
「これ、冷凍で悪いんじゃけど、ローストビーフ」
「お詫びじゃけえ、持っていきんさい」
「いや……そんな、悪いですよ」
幸弘も笑顔になって、両手を広げる。
「気にせんでええ、気に入ってくれたら、また来てくれたらええから」
「ありがとうございます!」
「必ずまた来ます!」
深々と頭を下げた河瀬が振り返ると、二人はその背中に手を振った。
「ほんまに、礼儀正しい若者じゃの」
機嫌良く呟く幸弘を横目に、由美加が怪訝な表情になる。
「どこかで……見たことある子じゃね」
由美加の記憶の中に、教室の制服姿の杏奈の後ろ姿が思い浮かんだ。
「……杏奈の……参観日じゃったかいね?」
「確か……インターハイで準優勝やったとか……」
「準優勝!?」
「そらすごいな!」
「あなたは初戦で、瞬殺やったんじゃろ?」
「競技が違うじゃろう?」
「それに、わしの相手はプロになったけえの」
「まあ、彼じゃないかも知れんし、それより早うご飯届けんと、あの子らお腹空いとるよ」
二人は頷き合いながら、いそいそと店内へと駆け込んだ。
車に乗り込んだ河瀬は、シートベルトを締めて、助手席の保冷バッグに視線を移す。
(……うちの娘も今年から兵庫の大学におるんよ)
「……まさかな」
ポツリと呟いたあと、エンジンを始動させた。
翌日、詮覚寺の墓所では、秀然の読経がゆっくりと響いている。
読経が終わると、順番に線香を供えた。
幸弘が墓石の前に立ち、そっと手を合わせる。
「杏奈、帰って来とるよ」
「ちゃんと見守ってくれて、ありがとうな」
その横で、杏奈も手を合わせた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ただいま」
「来るの遅うなって、ごめんなさい」
幸弘がふと横を見て眉をひそめる。
「で、なんで君がいるんだい?」
「みんなは観光に行ったのに」
言われた聡志は、頭の後ろをかきながら苦笑した。
「いや、はは……自分でもなぜなのか」
すると、由美加が楽しそうに言った。
「聡志くんは、うちの息子になったんじゃもんね〜」
「お義父さんと、お義母さんにも紹介せんと」
すかさず梨夏が声を上げて、聡志の腕にしがみついた。
「そうよ、うちのお兄ちゃんじゃもんね〜」
その様子を見て、幸弘が顔を引きつらせた。
「ぐぬぬぬ……」
杏奈が顔を真っ赤にしてうつむくと、秀然がくすりと笑う。
「あはは、お二人とも、賑やかで喜んでいらっしゃいますよ」
「……方丈(ほうじょう)さんまで」
「これも、ご縁です」
杏奈が、少しためらいがちに口を開いた。
「あの、和尚さん?」
「どうしましたか?」
「祖父母は今、どこにいるんですか?」
「誰かに生まれ変わってるんですか?」
秀然は、すぐには答えなかった。
墓石の並ぶ先へ静かに目をやり、それから小さく笑う。
「よく聞かれます、私も知りたいことです」
「仏教では、命は六つの世界を巡るとされています」
「六道輪廻(ろくどうりんね)といいます」
「六道……輪廻?」
「天界、我々の人間界、争いしかない修羅界、動物の世界、欲に囚われた餓鬼界、そして……地獄界……この六つの世界が六道です」
杏奈は、墓前の線香の煙を見つめた。
「じゃあ……おじいちゃんも、おばあちゃんも、そのどこかに?」
「そう考えてきた人は多いでしょうね」
秀然の声は、どこまでも穏やかだった。
「でも、どの世界も永遠ではありません」
「命には限りがあり、また巡っていく」
「天の世界でも、ですか?」
「ええ、天界にも寿命はあるとされています」
杏奈は小さく息をのんだ。
「その輪廻の輪から抜けることを、解脱(げだつ)といいます」
「そして、その先にあるものを、仏の境地と考えるんです」
「仏の……境地」
「永遠の存在、と言ってもいいかもしれません」
「永遠の……存在?」
秀然は、少しだけ笑った。
「宇宙、です」
「あ……」
「曼荼羅はご覧になったことがありますか?」
「写真では」
「本堂にありますよ」
「金剛界と胎蔵界(たいぞうかい)、二つの曼荼羅があります」
「どう違うんですか?」
秀然は杏奈を見て、やわらかく言った。
「どちらも宇宙を表していますが……」
「金剛界は、無限に広がる大宇宙」
「では、胎蔵界は何だと思います?」
杏奈は少し考えて、首を振る。
「もう一つの宇宙……想像がつきません」
「お母さんの、お腹の中です」
「胎児にとっては、そこが世界のすべてでしょう?」
「あ……そうか」
杏奈は思わず由美加を見た。
自分は、そこから始まったのだ。
祖父母から父へ、父と母。
母の中の宇宙から自分へ。
命は、途切れず自分に届いているのだと思った。
本堂に掛けられた二つの曼荼羅の前で、杏奈はひとり、正座をしてじっと眺める。
さっき秀然が言っていた言葉が、まだ胸の中に残っていた。
金剛界は無限に広がる大宇宙。
胎蔵界は、母の胎内。
杏奈は、そっと曼荼羅を見上げた。
(おじいちゃん)
(おばあちゃん)
(二人とも、この世界の中におるの?)
(ちゃんと会えて、一緒におるの?)
ふいに、病室の白い光が胸の奥によみがえった。
細くなった祖父の手。
それでも、杏奈が顔を見せると、いつも穏やかに目を細めてくれた。
祖母の顔も浮かぶ。
そっと肩を叩くと、祖母は顔を上げ、たちまち笑顔になった。
「なんや、杏奈ちゃんかね〜」
その声のあとに、必ずその掌は杏奈の頭を優しく撫でてくれた。
杏奈は、目を閉じる。
去来する祖父母への想いが、胸を詰まらせて、涙をこぼさせた。
(永遠に、一緒におるの?)
(……また、会いたい)
(子どもの時じゃのうて)
(今の、うちの話、聞いてほしい)
今の自分が、どこにいて、誰と出会って、何に泣いて、何に怯えているのか、ちゃんと聞いてほしいと思った。
(今の私に、話してほしい)
(おじいちゃんは、うちに何て言うじゃろう)
(おばあちゃんは、どんな顔で笑うんじゃろう)
会えないから、終わったわけじゃない。
見えないから、いなくなったわけでもない。
父の中に祖父母がいて、母のぬくもりの中に家族の時間があって、自分はそこから生まれてきた。
もし命が巡るのだとしたら、二人はどこか遠くへ消えたのではなく、こうして今の自分の中にも、確かに触れているのかもしれない。
杏奈は、もう一度だけ曼荼羅を見上げた。
無数の色と形が重なり合いながら、ひとつの宇宙になっている。
その前で、杏奈は小さく微笑んだ。
二人が今どこにいるのかは、わからない。
ほんとうに会えているのかも、永遠に一緒にいるのかも、わからない。
それでも、もしこの世界のどこかで、二人がまた並んで立っているのなら。
それだけで十分だった。
杏奈はそっと手を合わせた。
(おじいちゃん)
(おばあちゃん)
(うち、少しだけ前に進めそうじゃけえ)
永遠の詩
おじいちゃん
私が大きくなるころにはもう
病院にいることが多かった
お父さんとお母さんは
お店と看病で
きっと大変だったと思う
でも
二人とも
あんまり大変そうな顔は
しなかった
私が病院に行くと
おじいちゃんは
いつもにこにこしてた
⸻
おばあちゃん
おばあちゃんも
優しかった
でもお店の帳簿を見る時だけは
ちょっと怖い顔をしてた
今のお母さんと
少し似てる
いろんな話を
たくさん聞かせてくれた
⸻
ふたりとも
もういない
今
どこにいるんだろう
空なのかな
風の中かな
それとも
私たちの知らない
どこか遠い場所かな
⸻
二人と
もう一度だけ
話がしたい
ちょっぴり
大人になった今なら
あの頃
わからなかったことも
少しは
聞ける気がする
⸻
おじいちゃん
おばあちゃん
今の私に
二人は
どんな話を
してくれるかな
杏奈の口から、言葉が漏れる。
涙を頬に、伝わせながら。
「おじいちゃん、おばあちゃん」
「……新しいお話、二人のこと、書いてもええかいね?」
第20話はこちらから↓
↓マガジンに全話収録されてます
