リハビリの視点を社会へ! 理学療法士が公衆衛生を学ぶ意義
私は、理学療法士として、主に脳卒中リハビリテーションの現場で働いてきました。私は、すでにリハビリテーション学の修士課程を終えていたのですが博士課程には進まず、キャリアの途中で「公衆衛生大学院」に行くことにしました。
まだ、公衆衛生学と理学療法士・リハビリテーションとの接点が見出しにくいと思い、記事にすることにしました。
🔸脳卒中のリハビリテーションからみた「公衆衛生学」入り口
脳卒中による突然死は年々減少しています。その一方で、多くの方が後遺症を抱えながら生活しています。

また、脳卒中は要介護状態になる原因の第2位(1位は認知症)であり、特に重度の寝たきりレベル(要介護4〜5)では1位です。また、他の疾患と比較してリハビリ・入院期間が長いことが知られています。

リハビリや入院期間も長く、医療費や社会保障費の増大、社会復帰の困難さ、介護離職といった問題を通じて、病気の影響は個人にとどまらず社会全体に広がっていきます。
🔸「予防できたはずの病気」とリハビリの現実
リハビリの現場で繰り返し直面するのが、「本来はもっと早い段階で介入できたのではないか」と思わされるケースです。
リハビリの現場には、脳卒中だけでなく、骨折、壊疽、外傷による切断など、さまざまな疾患を抱えた患者さんが入院してきます。その多くに、糖尿病や高血圧といった生活習慣病が深く関わっています。
脳卒中や心不全、下肢切断は、ある意味で「生活習慣病の行き着いた先」と言える状態です。長年にわたる生活習慣病や併存疾患を十分に管理できないまま、脳卒中や心筋梗塞の発症を繰り返す人も少なくありません。
「リハビリを頑張る」という言葉はよく聞かれますが、現実には全身状態の安定が最優先されます。状態が悪ければ、運動負荷をかけることも難しく、結果として十分なリハビリを提供できない場面もあります。努力や意欲だけでは乗り越えられない限界が、そこにはあります。
🔸さらに難しい、退院後の生活
長期間にわたってリハビリに取り組み、ようやく回復の兆しが見えた患者さんが、退院時にこう話すことがあります。
「家に帰ったら、まずはタバコを吸って、酒でも飲んでゆっくりしたい」

その言葉を聞いたとき、正直なところ落胆を覚えます。
せっかく機能が改善しても、再発リスクの高い生活に戻ってしまう人は少なくありません。そして、実際に再発し、再び入院してくるケースも現場では珍しくないのです。
🔸健康を維持するには、社会全体の仕組みが必要
個人の意思や努力だけで、健康的な生活を続けることは簡単ではありません。障害を抱えながら復職を目指しても、十分に活躍できる環境は限られています。健康が大切だと分かっていても、世の中には不健康な選択を後押しする誘惑にあふれています。
そうした現実を前に、「何かが決定的に足りない」と感じていた時期がありました。
そのとき、ある方からかけられた言葉があります。
「それを解決したいなら、公衆衛生を学ぶといい」
目の前の患者さんを診るだけではなく、その人が病気に至った背景や、健康を左右する社会の仕組み全体を見る必要がある。
この言葉が、公衆衛生という学問に私を向かわせる大きなきっかけとなりました。
🔸公衆衛生学とは?
「公衆衛生」と聞くと、どんなことを思い浮かべますか?
ワクチン接種
食中毒の防止
大気汚染(公害)対策
私も最初はこのようなイメージでした。
実際、公衆衛生学とは「人間社会の健康問題に集団的に対応する学問」です。
「でも、理学療法士は目の前の患者さんを見るのが仕事でしょ?」
「公衆衛生って行政がやることじゃないの?」
そんなツッコミが聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。
「公衆衛生」という言葉を分解すると…
公衆 = みんなの
衛 = 守る
生 = 生命・生活(つまり健康)
つまり、「みんなの健康を守る学問」と捉えられます。
そう考えると、目の前の患者さんの健康を支える理学療法士の仕事と、決して遠い領域ではありません。
🔸医療の上流と下流
大学院進学を迷っていた頃、決定打となったのが、私がお世話になった大学院の講師が、入学説明会で教えて下さった「医療の上流と下流」という考え方でした。


私は回復期リハビリテーション病院という、いわば医療の「川の下流」で働いてきました。下流では、すでに病気や障害を抱えた人に対して、治療やリハビリ、介護が行われます。
しかし、日々の臨床の中で、「なぜこの人はここまで重症化したのか」「もっと早く介入できなかったのか」「そもそも発症しない仕組みは作れないのか」と考えるようになりました。
大学院では、公衆衛生学・疫学を学び、さまざまな視点を得ました。
特に、厚生労働省が発表している「生活習慣病対策」「メタボリックドミノ」の概念は、私が日々考えていた問題を整理するのに役立ちました。


川の上流、つまり病気が起こる前の段階で対策ができていれば、下流に流れてくる人を減らせるのではないか。公衆衛生は、まさにその上流に働きかける学問でした。
上流では、生活習慣の改善を促す取り組みや、予防接種、健康に暮らしやすい社会環境の整備、政策や制度づくりが行われます。一方で下流では、診断、治療、リハビリテーション、介護が担われます。
どちらが重要かではなく、どちらも不可欠です。ただ、下流で苦しみ続ける現場を減らすためには、上流への視点を持つ医療者が必要だと、私は強く感じるようになりました。
🔸過去・現在・未来の公衆衛生的課題
公衆衛生が扱う健康課題は、時代背景とともに大きく変化してきました。
その変遷を振り返ることで、現在なぜ理学療法士と公衆衛生が結びつくのかが、より明確になります。
🔵戦前から戦後、高度経済成長期にかけての公衆衛生
主な役割は、生活環境そのものを改善することでした。
安全な住環境の整備
上下水道や道路といったインフラの整備
ワクチン接種の普及
食品衛生の向上
感染症対策
そしてそれらを支える法制度の整備が中心でした。

この時代の公衆衛生は、まさに「生命を守るための基盤づくり」であり、公衆衛生の王道とも言える取り組みだったといえます。
一方で、この時代の課題に、理学療法士が直接関与する余地は多くありませんでした。医療や福祉の専門職として活躍する以前に、まず社会全体の衛生環境を整えることが最優先だったからです。
🔵現代の公衆衛生
現在の公衆衛生が直面しているのは、
高齢化の進行と健康寿命の延伸
糖尿病や高血圧、肥満といった生活習慣病の増加
経済格差や貧困に伴う健康格差
メンタルヘルスの問題
慢性的な運動不足や生活習慣の乱れ
喫煙や過度の飲酒
加糖飲料の摂取
性感染症

このような行動や社会構造と深く結びついた問題が多く含まれます。
現代の公衆衛生の中心的なテーマは、「病気にならない社会をどうつくるか」「健康寿命をいかに延ばすか」です。
これは、日々リハビリの現場で向き合っている課題と重なります。身体機能の回復だけでなく、その人が長く自立した生活を送れるかどうかを考える理学療法士の視点は、まさに現代公衆衛生のアプローチと一致しています。

🔵未来の公衆衛生
より複雑で予測の難しい公衆衛生課題が増えていくと考えられます。
新興感染症の流行
大規模な自然災害が人々の健康に及ぼす影響
戦争やテロによる医療システムへの負荷
情報格差や誤情報が健康行動に与える影響など、

健康問題は医療の枠を超えて社会全体と密接に結びついていきます。
確実に言えるのは、社会が変化すれば、公衆衛生の課題もまた変化するということです。
公衆衛生は、一度学べば終わりの学問ではありません。時代に応じて更新され続け、その知見を現場で実践できる人材が、今後ますます求められていく分野だといえます。
🔸公衆衛生を学ぶためのKey Word
公衆衛生を学ぶ上で、大学院で使用した書籍やおすすめの本を紹介します。
疫学(Epidemiology)
生物統計学(Biostatistics)
医療政策(Health Policy)
行動科学(Behavioral Science)
健康増進(Health Promotion)
産業保健・労働衛生(Occupational Health)
予防医療(Preventive Medicine)
いずれも、公衆衛生大学院において体系的に学ぶ中核的な分野です。
もし、この中に「もっと知りたい」と感じる領域があるなら、それは公衆衛生に向いているというより、リハビリテーションを「社会の中で生きる営み」として捉えている証拠かもしれません。
理学療法士の仕事は、身体機能を回復させること自体が目的ではなく、その人が社会の中で、よりよく生きていくことを支えることにあります。公衆衛生は、そのために社会や環境、制度をどう整えるかを考える学問であり、リハビリテーションの視野を自然に広げてくれる領域だと言い換えることができます。
🔸まとめ
公衆衛生の分野において、理学療法士が担っている役割は、現時点では決して多いとは言えません。しかし、リハビリテーションの本質を考えると、その関係性は本来きわめて近いものです。
リハビリは、病気や障害が起きてから対応するだけの営みではありません。本来は、できるだけ病気にならず、たとえ障害を抱えても社会の中でその人らしく生き続けられるよう支えることを含んでいます。
「できればリハビリと関わることなく、健康に生きてほしい」という視点を持つなら、公衆衛生は自然な延長線上にある学問だと言えます。
公衆衛生を学び、理学療法の専門性と組み合わせることで、個人の身体機能だけでなく、生活環境や社会の仕組みを含めた、より広い視点から健康を支えることが可能になります。
それは、リハビリの下流で積み重ねてきた経験を、上流へと還元していく試みでもあります。
もし、臨床の中で「この人が病気になる前に、何かできなかったのか」と考えたことがあるなら、公衆衛生という視点は、その問いに向き合うための一つの手段になるはずです。
これからも健康を脅かす要因は形を変えながら現れ続けます。だからこそ、臨床の現場を知り、社会とのつながりを大切にしてきた理学療法士が、公衆衛生というフィールドで果たせる役割は、これからさらに広がっていくはずです。
「治す」だけでなく、「起こさない」「繰り返させない」ことに関わりたい。そんな思いが少しでもあるなら、公衆衛生はきっと視野を広げてくれる学問です。
ぜひ、興味をもって、この世界をのぞいてみてください。ここには、これまでの経験が生きる、新しい関わり方が待っています。
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↓↓ 公衆衛生大学院の後は、こちらに行きました
↓↓ 公衆衛生のキャリアを活かして、理学療法士は辞めました
✒️筆者紹介
理学療法士/修士(リハビリテーション学・公衆衛生学)
回復期リハビリ病院では病棟主任・教育主任を歴任。脳卒中後の機能回復と栄養管理の臨床・研究に携わる。
リハビリテーション医学の科学的根拠を追求すべく、大学院にてリハビリテーション学の修士号を取得。さらに、臨床研究・疫学・統計解析の実力を体系的に習得するため、公衆衛生学修士(MPH)を取得し、医療データの分析にも軸足を置く。
現在は、 医療リアルワールドデータ活用人材プロジェクト 東京大学履修コースで、医療の現場から得られる大規模データを用いた実証研究に取り組む。
臨床と疫学をつなぐ視点から、介入効果の可視化と医療政策への応用を目指している。
臨床現場を離れ、医療研究開発センターのプロジェクトマネージャーとして新たな挑戦を始める。
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