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レコード男子│KinKi KidsからDOMOTOへ 二人が別々に築いた記録を携えて、再び東京ドームに立つ

※この記事には、プロモーションが含まれています。※記事の作成・構成には生成AIを使用しています。内容は筆者が確認し、加筆・編集しています。


先日、テレビの音楽番組で堂本剛君を見かけたことをきっかけに、「.ENDRECHERI.」という名前に込められた意味や、現在の音楽活動について書いた。

自分の感覚や身体と向き合いながら、独自のファンクミュージックを掘り下げてきた剛君。

一方の堂本光一君もまた、長い間、舞台という場所で自分だけの道を切り開いてきた。

そんな二人が、かつての「KinKi Kids」から「DOMOTO」へと名前を変え、再び同じステージに立っている。

今回は、その流れを少し振り返ってみたい。

KinKi Kidsという、不思議な名前の二人

KinKi KidsがCDデビューしたのは1997年。
「硝子の少年」と『A album』の同時発売だった。
二人とも「堂本」という同じ苗字でありながら、血縁関係はない。出身地も近畿地方だったことからKinKi Kidsと名付けられたが、考えてみれば、かなり不思議な偶然から始まったデュオである。

若い頃の二人には、どこか対照的な印象があった。

剛君には、感覚や感情を内側へ掘り下げていくような繊細さがある。

光一君には、舞台の構造や演出を組み立て、完成度を高めていく職人気質がある。

同じ曲を歌っていても、声の質も、表現の方向も違う。それでも二人の声が重なると、KinKi Kidsにしかならない。

似ていないからこそ成立する、絶妙な組み合わせだったのだと思う。

「解散」ではなく、表札を掛け替える

KinKi KidsからDOMOTOへの改名が発表されたのは、2024年12月31日から2025年1月1日にかけて行われた京セラドーム大阪からの生配信だった。

二人は改名について、活動そのものが変わるのではなく、「表札が変わったようなもの」と説明していた。

これまで歌ってきた曲を大切にしながら、二人の活動を続けていく。そのために、新しい名前と活動の土台を用意する。

そんな前向きな選択だった。

2025年7月21日、デビュー28周年の日に東京ドームから生配信を行い、翌22日の午前0時51分に正式にDOMOTOへ移行した。

「51」は光一、「24」は剛。

二人の名前を数字に読み替える遊び心も、いかにも彼ららしい。

そして新しいグループ名として選ばれたのは、二人に最初から共通していた「堂本」という苗字だった。

KinKi Kidsという看板を外したあとに残ったのは、結局、二人自身の名前だったのである。

それは改名というより、長い旅をした二人が、原点の場所に戻ってきたようにも感じられる。

DOMOTOとして、東京ドーム70公演へ

2026年7月15日、16日には、改名後初となる東京ドーム公演「DOMOTO Concert 2026 ~Stay with me~」が開催された。

続いて7月22日、23日には京セラドーム大阪でも公演が行われ、東京と大阪を合わせて全4公演のドームツアーとなった。

この東京公演によって、二人の東京ドーム公演数は通算70回に到達。

単独アーティストとしての東京ドーム最多公演記録を、さらに更新した。

東京ドームでの総動員数は、コンサートやイベントを含めて385万3000人に達したという。

1998年に初めて東京ドームに立ってから、およそ28年。

東京ドームは二人にとって、特別な晴れ舞台であると同時に、毎年帰ってくる巨大なホームグラウンドのような場所になった。

多くのアーティストにとって、東京ドームは一度立つだけでも大きな目標だろう。

そこに70回立った。

これは単に人気が長く続いたというだけではない。

ファンが毎年足を運び、二人も毎年ステージに立ち続け、その関係が途切れなかったことの記録である。

一夜の爆発力ではなく、積み重ねられた信頼の数字なのだ。

光一君が帝国劇場で築いた、もう一つの記録

東京ドームでDOMOTOとして記録を築く一方、光一君は舞台でも途方もない数字を残している。

2000年に『MILLENNIUM SHOCK』として始まった「SHOCK」シリーズは、その後『Endless SHOCK』へと発展した。

光一君は主演だけでなく、作・構成・演出も担い、作品そのものを育て続けてきた。

2024年4月には単独主演2000回を達成。

同年5月には、国内演劇における単独主演回数の歴代1位となる2018回に到達した。そして2024年11月の大千穐楽までに、シリーズの上演回数は全2128回となった。

25年間、同じ作品の中心に立ち続ける。

しかも毎回、歌い、踊り、フライングを行い、階段落ちまで演じる。

若い頃に始めた舞台を、年齢や身体の変化と向き合いながら更新し続けた記録である。

『Endless SHOCK』は、単なるアイドルの主演舞台ではなかった。

光一君自身が演出家となり、座長となり、後輩たちを率い、日本の商業演劇を代表する作品の一つに育てていった。

剛君が音楽の奥へ、奥へと潜っていった人だとすれば、光一君は舞台の上に巨大な建築物を造り続けた人なのかもしれない。

二人が別々に歩いたから、DOMOTOがある

KinKi Kidsの活動が以前より少なくなった時期、二人の距離が離れてしまったように見えた人もいたかもしれない。

だが実際には、それぞれが別の場所で、自分にしかできない表現を育てていた。

剛君は自らの音楽を追求し、独自のファンクサウンドと世界観を築いた。

光一君は『SHOCK』を通じて、舞台人、演出家、座長としての道を極めた。

二人は同じ方向を向いて走り続けていたわけではない。

それぞれ別の道を進み、それぞれの場所で記録を作った。

そして、その二人が再び並ぶ時に生まれるのがDOMOTOなのだろう。

若い頃のように、いつも一緒にいなければならないわけではない。

それぞれが自分の世界を持ったまま、必要な時に二人の場所へ戻ってくる。

長く活動してきたデュオだからこそ可能になった、新しい関係の形である。

名前は変わっても、二人の間に流れるものは変わらない

KinKi Kidsという名前には、青春のきらめきがあった。

DOMOTOという名前には、二人が歩いてきた時間の重みがある。

どちらが良いという話ではない。

KinKi KidsがあったからDOMOTOがあり、DOMOTOという名前の中にも、これまで歌われてきた曲や、コンサートの記憶がそのまま息づいている。

東京ドーム70公演。

『SHOCK』全2128公演。

数字だけを見ると巨大すぎて、現実感が薄くなる。

しかし、その一回一回には、会場へ足を運んだファンがいて、スタッフがいて、ステージに立つ二人がいた。

記録とは、数字の塔ではない。
人が集まり、時間を共有した記憶の総量なのだと思う。

KinKi KidsからDOMOTOへ。

看板は掛け替えられた。

それでも二人がステージに立ち、歌い始めれば、そこには長年変わることのなかった二人の声がある。

「Stay with me」というツアータイトルは、二人からファンへの言葉であると同時に、ファンから二人への言葉でもあるのだろう。

これからも、二人はそれぞれの道を歩く。

そして時々、DOMOTOという家に帰ってくる。

その家の玄関には、まだ新しい表札が掛かっている。



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