境界線の在りか。
数ヶ月前の私は、
A子との距離を見つめ直しながら、
ようやく静けさを取り戻していました。
そのことについては、前の記事に綴っています。
前章は、こちら↓
けれど、心の境界線とは、
一度描いたら終わりではないのかもしれません。
あの日――
また新しい気配が、私の世界へ近づいてきました。
境界線の在りか。
A子から連続して届いたアクション。
新しいInstagramのメインとサブ。
別ブログへのコメント。
そしてその返信を書いたその日のうちに、ブログのフォロー。
外から眺めれば、
まるで「もう一度、距離を近づけよう」と手を伸ばしているようにも見える。
けれど、私の心には少し違う重さで響いた。
あの頃、楽しい時間が“まったくなかった”わけではない。
笑った日もあって、共有した思い出も確かにある。
それでも心に残っているのは、
その裏側に静かに積み重なっていった“無理”や“息苦しさ”の記憶だった。
昨日のブログコメントに添えられていた、
数え切れないほどのカラフルなハート。
華やかな色が並んでいるのに、
私の心は少しも軽くならなかった。
思い出したのは、かつて彼女がふと漏らした言葉。
「スタンプ送っとけばご機嫌になるでしょ」
「嫌いな人には絵文字使わない」
その瞬間に垣間見えた“計算”の気配が、
昨日のハートたちと重なってしまったのだ。
礼儀としてフォローを返すべきなのか。
大人として、それが自然なのか。
そんな考えがぐるぐると巡った夜、
私はふいに呼吸を失った。
深く息が吸えない。
胸の奥だけが沈んでいく。
前にも一度あった、あの怖い感覚。
隣で夫が静かに言った。
「身体が嫌だって言ってる。
もう戻りたくないって。」
その言葉に、私はそっと頷いた。
心はとっくに答えを持っていたのに、
“優しさ”や“習慣”がそれを覆い隠していただけだった。
――私はフォローを返さないことにした。
音も立てない、小さな選択。
けれどそれは、誰かを拒むためではなく、
自分の境界線を守るための決断。
心が軋むとき。
身体が呼吸で訴えるとき。
その声に気づけたなら――
きっとそれは、
ほんの少し前に進んだ証なのだと思う。
そして、決断から数日後。
さらなる出来事が起こった。
つづく。
