「数億円稼いでも扶養」という違和感
本記事は、その違和感を「誰かの不正」や「制度の欠陥」として断じるのではなく、
社会保障制度が長く前提としてきた「将来は見通せる」という感覚から、静かにたどり直してみる試みです。
否定でも告発でもなく、制度と感覚のあいだに生まれたずれを、生活者の視点から言葉にします。
第1章|「専業主婦 × 数億円」に感じた、あの違和感
「専業主婦の私が、投資で数億円稼げました」そんな広告を見かけると、理屈では分かるのですが、気持ちの上では、どうしても納得しきれないものが残ります。
専業主婦、という言葉と、数億円。並んでいること自体が、どこか噛み合っていないように感じるからだ。
もちろん、株式投資で利益が出れば、税金はきちんとかかる。源泉徴収もされるし、違法な話ではない。
それでも、「数億円稼いでいても、社会保険の扶養に入れる場合がある」と知ったとき、なんとも言えない引っかかりが残った。
第2章|なぜ「数億円稼いでも扶養」が成立するのか
この違和感は、「誰かがずるをしている」から生まれるものではない。
社会保険の扶養判定で重視されるのは、収入の多さではなく、それが将来にわたって継続するかどうかだ。
株式投資による収益は、大きな額であっても、来年も同じように得られるとは限らない。
そのため制度上は、会社員の給与のような「恒常的な就労収入」とは扱われにくい。
結果として、多額の投資収益があっても、扶養の範囲にとどまるケースが生まれる。
違法ではない。だけれども、どこか腑に落ちない感覚が残り続ける。
勤労として評価されていないから、扶養の枠に残っている。
(補足)「違法ではない」理由と制度の背景
もっとも、「数億円稼いでも扶養に入れる」というのは、違法でも抜け道でもない。
投資の利益や不動産の売却益などは、一時的に大きな収入が発生しても、それが「恒常的に続く」とはみなされないため、社会保険の扶養認定の基準では「一時的収入」として扱われる。
つまり、制度上は“今後も安定して得られる収入かどうか”が重視されるため、「翌年以降の収入見通しが立たない=恒常的収入とは言えない」と判断されると、扶養のままでも違法ではない。
この仕組みは、もともとサラリーマン家庭を前提に設計された制度の“想定外”を映し出しているとも言える。
いわば「将来の安定性」を軸に制度が動いているため、一時的な成功や偶発的な利益は、まだ“働いた結果”として評価されにくい。
だからこそ、「数億円稼いでも扶養」という現象は、制度の隙間ではなく、“制度の思想そのもの”が見えてくる瞬間なのだと思う。
第3章|生活保護と、同じ「判断軸」
実は、この構造には既視感がある。
生活保護の制度もまた、将来の収入や就労の見通しが立てにくい状態を、どう制度に組み込むか、という難しさを抱えている。
投資で巨額の利益を得た人と、生活に困窮している人。置かれている状況はまったく違う。
それでも制度は、どちらに対しても同じ問いを投げかけている。
「この先、継続的な収入の見通しは立つのか」
重要なのは、収入額でも、立場でもなく、将来をどこまで予測できるか、という一点だ。
だからこそ、直感的に「おかしい」と感じる人がいるのも、ごく自然なことなのだと思う。
第4章|社会制度が前提にしてきたもの
社会制度は、「将来の見通しが立つかどうか」を、重要な判断軸にしてきた。
これは偶然ではない。
日本の高度経済成長を支えていた産業や働き方は、いずれも、先の見通しが立てやすいものだった。
需要は拡大していくと見込め、技術の改良方向も比較的明確で、品質基準は共有され、長期雇用のもとで技能を積み上げていくことができた。
勤勉に働き、積み重ねていけば、将来は安定する。その感覚が、社会全体で共有されていた。
雇用や扶養、社会保障の制度は、そうした前提の上に組み立てられてきた。
第5章|前提が変わり始めている、という話
奇跡的な成長を遂げられたのは、日本が特別に優れていたからというより、見通しの立ちやすい世界と、制度設計がうまく噛み合っていたからだったのではないか。
だとすれば、いま私たちが感じている違和感は、誰かが得をしているからでも、制度が間違っているからでもない。
社会が長く前提にしてきた「将来は見通せる」という感覚と、現実とのあいだに、ずれが生まれているだけなのかもしれない。
制度が変わり始めているのは、理想が先にあるからではない。
すでに、変わってしまった現実が、そこにあるからだ。
次回は、「選択と集中」によって削ぎ落とされてきた、評価軸の定まらない分野について考えてみたい。
それは研究や産業の話であると同時に、私たちの働き方や生き方とも、深くつながっている。
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