弁護士が考える『ラヴ上等』×法務省「更生上等!!」炎上問題―更生とは何か
Netflixの恋愛リアリティ『ラヴ上等』のシーズン2に、出演者の一人が、過去に人に火をつけたことがあると告白する場面があります。その配信の直後に法務省がタイアップすることが問題視されて炎上し、最終的にタイアップが中止になりました。
ラヴ上等は犯罪者を使って数字を稼ぐ劣悪なコンテンツなのでしょうか。法務省はそんなコンテンツとコラボしない方がよかったのでしょうか。
先日は『みいちゃんと山田さん』について露悪的なコンテンツの話を書きました。『ラヴ上等』も、基本的には同じ種類のコンテンツです。僕たちはこの種の露悪的作品と呼ばれる類型の問題とどう向き合うべきなのでしょうか。
僕が見ていて引っかかったのは、番組の内容や出演者の過去そのものではありません。この番組が何を撮って、何を撮らなかったか、ということです。
今回は『ラヴ上等』という作品と炎上したこのタイアップ問題について、法律家の視点からきちんと考えていきたいと思います。
『ラヴ上等』はどんな番組で、何が起きたのか
『ラヴ上等』は、いわゆるヤンキーと呼ばれるような、少し柄の悪い人たちが共同生活をするという恋愛リアリティショーです。喧嘩をしたり、友情を育んだり、その中で恋愛をしたりします。
共同生活の中で、出演者たちはいろいろな施設を訪れてその土地の人たちとふれあったり、出演者同士で自分の過去を語り合う場面もあります。そこで出演者は自分の過去を後悔したり、親への感謝の気持ちを思い出したりしながら、少しずつ変わっていく。そういう番組です。
法務省は、更生保護という取り組みを広く知ってもらう機会にしようと、この番組とタイアップしたポスターを作りました。ポスターには「更生上等!!」「立ち直りって、ラヴだ」という言葉が使われ、全国の保護観察所などに配布されました。
その後、番組の中で出演者の一人が自分の過去について語った場面が批判の焦点になり、SNSで広がって、タイアップへの批判につながりました。法務省は2026年8月21日、タイアップの取りやめを発表しました。
『ラヴ上等』が教えてくれるもの
そもそも、恋愛リアリティショーの醍醐味は、誰が誰と付き合うか、という恋愛模様です。誰が誰のことを好きなのか、その恋愛が上手く行くのかを視聴者はハラハラしながら見守るのです。
他人の恋愛を見ながらそれを応援したり、反対したりする僕たち視聴者の関心というのは、その人たちはどんな人で、その人と付き合いたいか、その人の恋愛事情を応援したくなるか、というその人の背景事情に向いています。実際に人と恋愛するうえでも、その人がどんな人かということは一番大事なことです。
『ラヴ上等』に出てくるのは、暴走族、暴力、犯罪、刺青といった経歴や見た目です。そういう経歴や見た目だけを見れば、怖い人、関わりたくない人です。
しかし、恋愛リアリティショーなので、その人たちの人となりを自ずと見ることになります。『ラヴ上等』は彼らを単なる怖い人として見せるだけでなく、そこから先を見せてくれる側面もあります。
その人たちが、なぜそういう価値観を持つようになったのか。どういう経験をして、どういう人間関係を築いてきたのか。そして、そういう人たちがどういう形で友情や愛情を表現するのか。
たとえば出演者の中には、親が片方いなかったり、親から虐待を受けて育ったり、学校にうまくなじめなかったり、家庭や学校でいろいろな問題を抱えてきた人がいます。それを本人たちが、自分の口で吐露します。怖い人たちが弱さをさらけ出す側面を僕たちは目にします。
MCも、出演者を外から客観的に論評するMEGUMIさんと永野さんだけでなく、当事者に近いところから「こういうことがあるから、こういうふうに考えるのだ」という形で、一般の視聴者に橋渡しをしてくれる役の人がいます。出演者と、見ている側とを接続してくれるわけです。
社会が見ないようにしている人たち、理解する前に遠ざけている人たちを、まず画面の真ん中に連れてきて、こういうことがあるんですよ、と伝えてくれる。これによって、僕たちは見ないようにしていた「怖い人」たちの新しい側面が見えるようになったり、同じ人間として感じられるようになるわけです。僕はそこに、一定の価値があると思っています。
シーズン1の第1話で、「ヤンキーは一度喧嘩してから仲良くなるんだ」というMCの解説が、意味が分からなさすぎるのに本当にそうなっていて面白かったです。
それでも引っかかったこと
前提として、『ラヴ上等』は更生をテーマにしたドキュメンタリーではなく、あくまで恋愛リアリティーショーです。だからこそ更生を描くのに限界があるのはその通りです。ただ、それにしても、もう少し描き方があったのではないかというのが、僕の正直な感想です。
今回いちばん批判を集めたのは、出演者の一人が過去についての話の中で、人に火をつけたことがあると告白した場面でした。
僕が見ていて引っかかったことは、二つあります。
一つは、その告白のあと、話が、今いちばん謝りたいのは自分の父親だ、という展開に流れていったことです。
本人の中では、たぶんつながっているのでしょう。最大限善意解釈すれば、火をつけてしまった相手には、もう十分に謝罪をしていて、申し訳なく思っているのかもしれません。だから、今自分が謝りたいのは、その人ではなくお父さんなのだ、ということなのかもしれない。
ただ、番組の中では何も描かれていません。人に火をつけたという告白から、父親に謝りたいという話へ、一気に進む。見ている側が「まず火をつけた相手に謝れよ」と反感を持つのは当然です。
もう一つは、火をつけられた人がその後どうなったのか、そのことについて本人が今どう思っているのかが、番組の中にまったく出てこないことです。
これは炎上するだろうということは、作る側も事前に予想できたはずだと僕は思います。むしろこの番組は、そういう過激な要素を、コンテンツをより強くするための材料にしています。こんなに悪いことをした、こんな修羅場を経験した、という告白が、その人物のキャラクターを強くしているわけです。番組は、そのように出演者の過去を使っているのであれば、その使い方には気をつけないといけなかったと思います。
そもそも、この番組は出演者たちの恋愛リアリティーショーなので、番組の構成上、出演者側の視点しか映りません。そうなると、実際に傷つけられた被害者の人たちが、ごっそり抜け落ちてしまいます。
でも、せめて出演者たちが、その被害者の痛みをどう感じているかは、きちんと出さないといけなかったのではないでしょうか。
それがなければ、彼らの話は、武勇伝として番組に残ることになります。そうなると、犯罪を助長しているように聞こえる人もやはり出てくるのではないでしょうか。
悪いことをした人たちにも、そこに至る歴史があって、それで今その人がいる。そこをきちんと描かないといけないのに、刺激的なところ、悪かったところ、武勇伝の部分だけが切り取られてしまった。批判が集まったのはそこだったと僕は見ていますし、そう批判されるのも当然だと思います。
本人の過去の罪への向き合い方や、被害者の視点がないまま、「更生」の物語として語られたからこそ視聴者は違和感を抱き、炎上したのだと思います。
では、更生とは何なのでしょうか。
更生は簡単に終わらない
まず、更生は、本人や番組が、この人は更生しました、と判定や表明をするものではありません。
その人を許すかどうかは、第一に被害を受けた人が決めることです。そして、更生した人を社会が許すかどうかも、更生とはまた別の話です。
だから、本人や番組が「自分たちは更生しました」と言えばそれでオーケーという問題ではありません。番組側の考える「更生」と視聴者のそれのギャップが、今回の炎上の原因だと思いました。
「更生」とは、一度やってしまったことの責任の重さを背負いながら、同じことを繰り返さず、社会の中で生きていくことだと僕は考えています。
施設を訪れて人の話を聞いたり、その人の思いを知ったり、グループワークのようなところで自分の反省を話したりすれば完成する、というものではありません。それはあくまで更生の入口だったり、きっかけや過程の一つです。
本当に長い時間をかけて、少しずつ、自分のやったことの重みや相手の痛みを感じながら、それを背負って生きていく。一生かけて償うようなものでもあります。すごく大変なことなのです。
この番組にも、その土地の人と交流したり、家族に感謝の電話をする場面があります。しかし、アクティビティの一部分だけを切り取って、「はい、これで更生していますね」と言えるものではないのです。継続的に向き合っているところをきちんと映さなければ、更生というものは伝わりません。
更生の難しいところが、もう一つあります。過去にしたことに向き合い続けることと、その過去を抱えたまま社会の中でこの先を生きていくこととが同時に進む、ということです。
人は変われる、というのは、すごく大切な理念だと思います。ただ、人が変わったからといって、過去が消えるわけではありません。社会はそれを許さないかもしれない中で、本人は一生背負って生きていくことになる。しかし同時に、社会にとってもその人たちを一生どこかに閉じ込めることはできず、一緒に生きていかないといけない存在なのです。
ここに、一種の矛盾に見えるような、緊張した関係があります。
加害者を社会から排除しない、
ということと、
被害をなかったことにしない。
この二つを、同時に考えて両立させないといけない。
制度の側にも、この両方が並んでいます。
更生保護法という法律は、その1条で、犯罪をした人や非行のある少年を社会の中で処遇することによって、再び罪を犯すことを防ぎ、改善更生を助けることを目的に置いています。社会の中で、というのが大事なところで、社会から切り離すのではなく、社会の中で更生していくのを助ける、というのが法の考え方です。
そして同じ法律の3条には、2022年の改正で、被害者等の被害に関する心情や、被害者等の置かれている状況を十分に考慮する、ということが条文に明記されました。
この二つの両面があることは、番組側も視聴者側も考えなければならないポイントだと思います。
今回の炎上から学ぶこと
まず、番組の側は、出演者が過去の罪にどう向き合ってきたのか、被害者に対して今どう思っているのかをきちんと描くべきでした。罪の告白の後に1分でもインタビューを挟めばよかったんです。そのことについてどう向き合ってきたのか、どう反省して、どんな謝罪をしてきたのか。それを一言だけでも、インタビューできちんと撮って、そのことへの向き合い方を見せる。それだけで、その人の人間像が分かってきます。それは恋愛リアリティ番組としての価値も上げることです。法律監修のようなアドバイザーがいれば、そのようにアドバイスすべきでした。
法務省の側も、更生とはどういうものなのか、それをどう考えているのかが抜け落ちた「更生上等!!」という言葉足らずなPRになってしまったのは問題です。ラヴ上等でよく使われるメインビジュアルを使いまわすのではなく、個人の罪に対する向き合い方や更生に焦点を当てたポスターにすればよかったのです。
一方で、出演者を通して、僕らは「怖いと思っていた人達」のことを知ります。そして、これから更生をしようとしている人たちにとっても、彼らは一つのマスコットになり得ます。僕たちはこうした出演者や番組自体を排除すべきではありません。
その人たちが自分の過去にどう向き合っているかを描くことによって、新しい更生が生まれるかもしれない。そういう取組み自体は、これからも検討されるべきだと思います。
総評
『ラヴ上等』の評価は以下のとおり。
★★☆☆☆ 2つ星!もう少し!
シーズン1のほうが面白かったです。シーズン2は少し間延びしている感じがありましたし、いじめとしか言いようがないと感じる場面があって、それがありのままの姿だと分かっていても見ていて辛い部分もありました。子供の声をアナウンスに使う演出も、子供を使ってヤンキーを中和しようとしているような、一種のゲーム感を出しているような感じがあり、見ていてあまりいい気持ちはしません。少なくとも、法律監修や被害者側の視点を制作側に入れるべきだと思います。
ただ、視点やポテンシャル自体はある企画だと思っています。企画・プロデュースのMEGUMIさんも勉強熱心でセンスのある方だと思っています。作り方、見せ方次第で、もっと面白くなるし、もっと社会的にも価値のある作品になる。加害者とされる人たちが、更生の難しさも含めてきちんと描かれて、より良い社会につながる。そんな作品に、次のシーズンからなってほしいと願っています。今後の『ラヴ上等』に期待しています。
このnoteの全記事一覧はこちら(随時更新)。
