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炎上冤罪サスペンス『俺ではない炎上』―タイトルとラストの意味を考察

映画『俺ではない炎上』のAmazon Primeでの配信が始まりました。

※この記事は映画の結末まで含むネタバレがあります。

他人の名前でアカウントを作って悪いことをして敢えて炎上する、そんなことは実際には簡単だと思いますし、危機感を覚えている人も多いのではないでしょうか。

この作品は、ある日突然、殺人犯としてSNSで個人情報を晒され、逃亡することになった男の物語です。

しかし、この作品はただ単に民衆の愚かさや悪意、主人公の不遇を描くだけではありません。
むしろ、この作品に出てくる人たちは、それぞれ別の意味で「自分は悪くない」と思っています。
誰もが、自分なりの正しさを持っています。

今回は、映画『俺ではない炎上』について、なぜこの作品が単なるSNS炎上ものではないのかという考察をするとともに、映画版のラストで家族が互いに「ごめんなさい」と言い合う場面にはどのような意味があるのかを考えてみます。


『俺ではない炎上』はどんな映画か

主人公は、大手ハウスメーカーで営業部長を務める山縣泰介です。

ある日、泰介の顔写真や個人情報を使ったSNSアカウントから、女子大生を殺害したことをうかがわせる投稿がされます。
泰介には身に覚えがありません。
しかし投稿は瞬く間に拡散され、泰介は殺人犯として扱われるようになります。
勤務先や自宅は特定され、家族にも被害が及びます。
泰介は逃亡せざるを得なくなります。

やがて、泰介は周りの自分に対する評価が、自分の思っているようなものではなく、独善的で人の気持ちが分からないと言われていることを知ります。
妻も泰介のことを心から慕っているわけでなく、犯人ではないかと疑ってしまう側面があることが描かれます。

そして、事件の背景には、泰介の娘・夏実が子どもの頃に経験した家族の出来事があったことが分かります。
泰介は娘を守るつもりで厳しく接していました。
しかし夏実は、当時、その行為を「守られた」とは受け取っていませんでした。
そして、夏実の過去を知る少年だった「えばたん」が、成長した青江拓哉でした。
青江は、泰介を娘を傷つけた悪人だとみなし、自分が正義の側にいると信じて、泰介を社会的に破滅させようとします。
女子大生殺害事件を利用して泰介になりすまし、SNSで炎上を起こした真犯人も青江でした。

泰介は殺人犯ではありません。
しかし、無実が明らかになった後も、映画は「泰介は完全に正しかった」とは終わりません。
泰介は、娘を守ろうとしたあまり、娘が何に傷ついているかを見ようとしていなかった。
夏実も、自分が過去に作ったアカウントが事件の土台になったことと向き合う。
妻の芙由子もまた、家族の間にあった問題から無関係ではありませんでした。
山縣家の三人は、互いに「ごめんなさい」と言って、映画は終ります。

殺人事件については、泰介は明確な冤罪被害者です。
けれども、殺人犯ではないことと、家族に対して何も悪くなかったことは同じではない。
『俺ではない炎上』は、SNSによって無実の人が破滅させられる恐ろしさを描くと同時に、誰もが自分の正しさを信じるあまり、他人の見ている世界を見失ってしまう物語です。

大人は子どもを分からず、子どもも大人を分からない

この映画は、大人と子どもの対立から始まります。
しかし最後には、大人も子どもも同じように、自分の見えている世界だけを正しいと思い、間違えていたことが見えてきます。

年老いた大人は最新のテクノロジーについていけない一方で、若い世代の覇気のなさを嘆きます。
一方で、子どもは大人に搾取・圧迫されていると議論する一方で、軽率な正義感を振り回します。

泰介ら家族にも大人と子どもという観点でのズレがありました。
泰介は、娘がネットで知り合った相手に会おうとしたとき、娘を守るために、危険から遠ざけようとしました。
しかし泰介は、自分が娘を守っているつもりでいるあいだに、娘が何を怖がり、何に傷ついているかを見失っていました。
泰介にとっては「しつけ」であり、「家族を守る責任」だった。
娘にとっては、自分の話を聞いてもらえず、逃げ場を奪われる経験だった。
同じ出来事でも、父親と娘では見えている意味が違います。

ここで大事なのは、どちらか一方が完全に正しく、もう一方が完全に間違っている、という話ではないことです。
泰介には泰介の不安がある。 娘には娘の恐怖がある。
ただ、人は自分の恐怖や正しさに集中すると、相手が何を見ているのかを忘れてしまいます。

大人は、子どもの世界を「狭い」「未熟だ」と思いがちです。
子どもは、大人の世界を「分かっていない」「時代遅れだ」と思いがちです。
そのどちらにも、少しずつ真実があります。

SNSの人々にとっての「俺ではない炎上」

SNSで泰介を攻撃する人たちは、泰介のことをほとんど知りません。
遠い人のことだからこそ、間違えるのは当然です。
しかし、それでも自分が見た断片をもとに、確信を持ちます。
「みんなが言っているから」とか 「怪しいと思ったから」という、その程度の理由で、一人の人間の生活を壊す側に加わってしまう。

炎上の恐ろしさは、悪意のある特別な人だけが起こすものではないところにあります。
「自分はただ拡散しただけだ。」と思う人たちが集まると、誰も責任を引き受けないまま、一人の人間を追い詰める巨大な力が生まれます。

誰もが「俺ではない」と言える。
けれども、全員が少しずつ炎上を作っているのです。

他人を全て知ることなんてできない

一方で、この映画は、近い家族でさえ相手のことを分かっているわけではないことを見せます。
むしろ、近い関係だからこそ、「分かっているつもり」になってしまうのかもしれません。
しかし実際には、家族がどこで何をやっているのか、何を持っているのか、何を考えているのかということはあまり把握できていません。

遠い他人を分からないまま裁く人々と、近い家族を分かっているつもりで傷つける泰介たちは、まったく別の存在ではありません。
どちらも相手を本当に見ていないという点では同じですし、他人のことを十分に分かる人なんて実際にはいないのです。
そうであるにもかかわらず、私たちは毎日何かを分かったつもりで判断しながら生きています。

人間は分からないからこそ間違えます。
その「見えなさ」はSNSの人達だけでなく、人間関係全てに存在しているものなのです。
『俺ではない炎上』はSNSという現代的な題材を使いながら、そのもっと古い人間の間違い方を描いているのだと思います。

「俺ではない」は泰介だけの言葉ではない

タイトルの「俺ではない」は、まずは冤罪と炎上の被害者である泰介の言葉です。

ただし、物語が進むにつれて、この言葉は別の人にも当てはまっていきます。

炎上を広げた人は、「最初に投稿したのは自分ではない」と言える。
投稿した人は、「殺したのは自分ではない」と言える。
犯人は、「自分は正しいことをしている」と言える。

誰もが、自分の責任を少しだけ外側に置くことができます。

一番悪いのは殺人の犯人であり、炎上を作り出した青江です。
しかし、この映画が言っているのは、重さが同じでないとしても関わった全ての人に責任があり、そして誰もが自分の過ちだけは見えにくい、ということだと思います。

「自分は間違っていない」と考えてしまうとき、自分が誰かを傷つけている可能性を見落としてしまいます。

「ごめんなさい」は誰が悪いかを決める言葉ではない

映画版のラストでは、泰介と妻、娘が家族として向き合います。
そこで三人は、互いに「ごめんなさい」と言います。

一見すると、この場面は家族が仲直りする、温かい終わり方に見えます。

けれども、私はこの場面を、きれいに許し合って問題が解決するシーンだとは思いませんでした。

家族は、失われた時間を取り戻せません。
泰介が娘にしたことも、娘が抱えていた孤独も、妻が間で抱えていたものも、簡単には消えないはずです。

それでも三人の「ごめんなさい」は、自分は正しかった、相手が悪かった、という場所から、一度降りるための言葉なのだと思います。

泰介は、自分が殺人犯ではないことと、家族に対して何も悪くなかったことは別だと知る。
娘は、父に傷つけられた側ですが、自分が過去に作ったアカウントが、青江の復讐と炎上の土台になったことには向き合うことになります。
妻も、自分と泰介・泰介と娘の関係が壊れていくのを近くで見ていながら何もしなかった自分が、何も関係なかったとは言えないと気づきます。

三人は「ごめんなさい」という言葉によって自分は悪くないという考えをやめることを宣誓しているのです。
だからあの「ごめんなさい」は、相手から許してもらうためだけの謝罪ではありません。
自分が見えていなかった相手の世界を、少しだけ認める言葉です。

「私はあなたのことを分かっていなかった」と認めるところからしか、家族はもう一度話を始められないのです。

あのラストは、家族の再生が完成した場面ではなく、ようやく再生が始まる地点なのだと思います。

総評

『俺ではない炎上』の評価は以下のとおり。

★★★☆☆ 3つ星!まずまずです。

制作者側が大人サイドだからか、子どもサイドが愚かに描かれすぎていた気がして、バランスが気になりました。
娘とえばたんの描写が過去の出来事だというトリックがありましたが、せっかく時間軸をずらすなら何か過去である証拠をさりげなく映して伏線にしておいてほしかったなと思いました。
「からにえなくさ」という暗号も推理のしようがないものだったのは残念です。
しかし、このコンセプトを映画化するうえでもかなり良いメッセージや対比構造があったと思いますし、阿部寛さんと芦田愛菜さんの演技も良かったと思います。
特に芦田愛菜さんが「お前が諸悪の根源だ」と述べるシーンはホラーチックで、背筋を凍らせるような怪演でした。
芦田さんの幼少期を知っていることが一番のミスリーディングだと書いていた記事があり、これはなるほどと思いました。新しい形のトリックですね。

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