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法律監修における”作品本位”という考え方―より良い作品作りに向けて

ドラマや映画に出てくる法律の話は、どこまで現実どおりでなければいけないのでしょうか。

どんな業界の人でも、自分の業界を扱ったドラマや映画を見て、「こんなの現実にはないよね」と思ったことがあると思います。法律も同じです。実際の裁判ではそんなことはしないのに、と思う場面はよくあります。

現実と法律をつなぐために、法律監修という仕事があります。僕もこの仕事を少しだけ経験したことがあります。今日は、法律監修とはどういう仕事なのか、僕がどう考えているのかについて書きます。


法律監修の二つの側面

実は法律監修をしている人は限られていて、参考になる資料もとても少ないと感じています。法律実務をどう監修するのかを書いた本は、僕が知る限りほとんどありません。オンラインで読めるものとしては、『99.9-刑事専門弁護士-』などの法律監修を手がけてきた國松崇弁護士の下記記事があります。この記事を読んでから、僕は彼を尊敬しています。

國松弁護士自身もその記事の中で、法律監修には明確な定義がなく、経験した人が具体的な内容を語ることも少ない、と指摘されています。

そこで一から考えてみると、おそらく法律監修には二つの側面があります。

一つは、作品を制作して公開するうえでの法的なチェックです。実在の人の名誉やプライバシー、映像や音楽を使う権利、出演者やスタッフとの契約といったことの確認です。

もう一つは、作品の中に描かれる法律や実務についての監修です。この状況で逮捕できるのか。弁護士は実際に何をするのか。手続きはどう進むのか。この証拠は裁判で使えるのか。現実と創作の間にあるギャップを埋める仕事です。

作品本位という基準

僕が法律監修に携わる際、この仕事で大事にしたい考えがあります。それは、「作品本位」です。その作品にとって何が最良かを考えながら仕事をするということです。

法律的な正確さは、判断材料の一つにすぎず、それが最優先というわけではありません。最優先にすべきなのは、作品にとってプラスになるものです。法律はそのための材料にすぎません。

実際の裁判・法律ではこうなっているという意見は、作品を修正すべきという意見にほかなりません。それは少なからず、誰かの意図と対立するものです。

そのときに、作品本位という基準に沿って議論すれば、お互いに自ずと答えが見えてくる。バランスや落としどころではなく、作品にとっての答えが見つかる。僕はそう感じています。

必要な法律監修は作品によって異なる

これは、必要な法律監修は作品ごとに変わるということです。作品本位で考えると、その作品のどこを伸ばすべきか、どこを守るべきかは、作品の特徴や目的によって変わってくるからです。

実際の事件を扱う作品や法廷劇として質の高いものを作ろうとしている作品では、法律的な正確さと実務上の現実性が作品の中核になり得ます。こういう作品で法律面が間違っていると、小さなミスというより、作品そのものの質を下げてしまいかねません。

一方で、法廷コメディのように誇張を前提にした作品もあります。そこでは、細かい手続きや厳密な正確さをどこまでも求める必要はありません。実際には時間のかかることを短く圧縮しても作品は成立しますし、それで特に大きなリスクにならないことも十分あり得ます。

だからこそ、法律監修で一番初めに考えるべきなのは、その作品がどういう作品かということです。

観客にどの程度、法律や裁判のリアリティを感じてほしいのか。法律や裁判が、その作品の中でどう使われているのか。正確さはどこまで求められていて、どうすれば作品が面白くなるのか。こうしたことを考える必要があると思っています。

法律監修における二つの失敗

自分の仕事の反省とほかの監修の例を知る機会から、いくつか気がついたことがあります。法律監修の失敗には、二通りあるということです。

一つ目は、監修が間違い探しになってしまうことです。厳密には法律上はこうだとか、書類の形式はこうだとか、実際の弁護士はこういう言葉を使うとか、そうした細かい点を全部見つけてすべて修正することは、作品本位で考えたときにいい監修だとは限りません。もちろん、神は細部に宿ると言いますし、細部は大切です。ただ、そこにコストを割くことで何が生まれるのかは、きちんと考えないといけません。

二つ目は、大きな違和感や誤りがあるのに、「フィクションだから」という理由で通してしまうことです。それが作品の中核的な要素でなければ問題視しない判断も当然あり得ます。ただ、見る側が少し考えれば分かるような違和感となると、作品としても質が落ちてしまいます。フィクションだからといって何をやってもいいわけではありません。自由にやりすぎた結果、「こんなのありえない」「現実と離れすぎている」と思われてしまえば、それも作品にとってマイナスかもしれません。

法律に合わせるために作品を無暗に変えてしまう失敗もあれば、逆にフィクションという言葉で現実の枠をはみ出しすぎてしまう失敗もある、ということです。この両方の失敗を避けるための基準が、まさに作品本位という考え方だと思います。

法律監修と製作者側のコミュニケーション

もう一つ大事だと思っているのは、法律家の意見はすべて同じ強さではない、ということです。これはおかしいから変えた方がいいというものもあれば、作品を良くするためのジャストアイディアもあります。しかし、聞いている側としては専門家の意見ですから、全てを等しく尊重してしまいかねないというリスクがあり、説明の仕方には気を付ける必要があります。

また、法律の監修は、正しいか間違っているかという白黒をつけるだけの仕事でもありません。法律上は可能だけれども実際には珍しい、法律上は禁止されていないけれども普通ならしない、原則としては難しいけれども例外があればできる、というように色々なグラデーションがあり得るからです。

それと、法律監修は制作者側からの質問に答える形で進むことが多いと思います。これは製作者側の意向次第でもありますが、こういうアイデアがあるとかこういう実際の事件があるとかを法律家側から出して、法律家側が作品を良くするために主体的に関わっていくということも必要だと思っています。

受動的な結果、法律監修が終盤で入るということもありがちな問題かもしれません。完成間近の段階では微修正しかできず、大きな間違いがあってももう直しにくくなっています。ですので、できればアイデア出しや取材といった作る前の段階から法律家が協力して、一緒に作品を作っていくという形で手伝うのが理想だと思っています。

それから、単に台本をチェックすればいいというわけでもありません。小道具や演技のような台本以外の部分を手伝うことで、作品の質がさらに上がることもあります。

例えば、僕は法廷のリアリティが一番高い映画は『Winny』だと思っています。実際の事件をもとにした映画で、リアリティを追求しています。この映画では、壇俊光弁護士が撮影前に俳優と模擬裁判を行い、裁判のときに弁護士がどう動くかを実際に見せたそうです。それが役作りに生きた結果、リアリティの高い法廷の場面につながったのだと思います。

他にも、実際の裁判の様子を見せたり、裁判の傍聴に一緒に行って解説することもできるでしょう。

勿論、法律家の過度な干渉はトラブルにもなり得ます。面白く、やりがいのある仕事だからこそ、出すぎてしまってはいけないと思います。最良な距離感でのコミュニケーションのあり方を考えるのも作品本位の一環です。

これからの法律監修

裁判や法律問題についての助言は、ある程度の経験があればどの弁護士でもできる部分があるかもしれません。一方で、分野によっては時代の変化と共に先鋭化・専門化・分化などが進んでいるとも言われています。

例えば、分かりやすいのが刑事裁判です。2009年に始まった裁判員裁判をきっかけに、弁護士が証人尋問や弁論の技術を学ぶ研修や教科書が整備されてきました。その結果、刑事事件のうちの一部は専門領域化していると言われています。他にも、知財、独禁法、個人情報保護法なども専門化が進んでいるという感触があります。

だからこそ、各種専門家の知見を作品づくりに生かせば、もっとリアリティの高い面白い作品がこれからできるのかもしれません。

僕は、法律監修者というのは、法律と現実とフィクションを、作品を良くするために橋渡しする協力者であるべきなのだと思います。

より多様で、作品の質を上げるような法律監修が育っていけばいいと思っていますし、僕も陰ながらこのような記事を書くことでそこに貢献できればいいなと思っています。

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