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鳴らなかった「追加合格」の電話。その先で、我が子が自分でスイッチを入れた話

以前、このnoteで「第一志望の学校に届かなかったこと」を書いた

追加合格の連絡が来ないか、鳴りもしない電話を勝手に待っていた、あのやるせない日々のこと。
でも、物語には続きがあった。
進学した先で待っていたのは、同じような境遇で、同じように「次は絶対に負けない」と静かに燃えている仲間たち。その環境が、子のスイッチを完全に押し切ったみたいだ。
今の様子は、正直言って親の私が引くほどストイック。
朝は早くから登校し(何してるのか知らないけど、自習してるらしい)、授業が終われば部活には入らず、真っ直ぐに勉強。
塾なんて今まで行ったこともなかったのに(公文とオンラインの自宅学習はやっていた)自分から友だちにリサーチして「今度、模試を受ける」「体験に行く」と、いつの間にか次のステップを自分で決めてきた。
親としては「そんなに最初から飛ばして大丈夫?」「ペース配分おかしくない?」と、心配になるほどのスタート。
でも、思い返せばこの春休み、あの子はこれでもかというほど遊び倒していた。
あの時、思いきり遊び尽くしたからこそ、今、この極端な集中モードへの「切り替え」ができたんだろうな、とも思う。
本望ではない学校に進むことになった時、周りからは「人は一度、大きな挫折を味わったほうがいいって言うから、早いうちで良かったんだよきっと」とか「そこがご縁だったんだよ」なんて言われた。
慰めなんだろうけど、当時は親として隣で見ていて、そうだなと思いつつもただ悔しかった。
……いや、なんで親の私が悔しがってるんだって話。
結局それは私のエゴでしかない。
本人はとっくにそれを乗り越えて、自分の足で、とても力強く進み始めていた。
「そんなに勉強ばかりでいいの?」
つい口を出したくなるけれど、本人は意外にも楽しそう。
友だちと一緒にご飯を食べながら勉強して、切磋琢磨する。
そして休日は、自分なりにメリハリをつけてしっかり休む。それなりに良いリズムなのかもしれない。
あんなに「行きたかった場所」に行けなかったことは、間違いなく挫折だった。
けれど、その経験があったからこそ、今この場所で「誰のためでもなく、自分のために走る」という強さを手に入れたんだと感じる。
親にできるのは、心配してブレーキをかけることじゃない。
その力強い足音を信じて、後ろから眩しく眺めていることだけなのかもしれない。
まだ始まったばかりの3年間。
この熱い気持ちが、どんな未来に繋がっていくのか。
今はただ、その後ろ姿を頼もしく見守っている。



「日々の気付きを、零のまま置いています。もしよければ、また読みに来てください。」

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