「経験がない」のも立派な経験
はじめに:楽器は「道具」?
「楽器って、道具なんですよ」
お世話になっている職人さんが、ある日そう言った。その言葉は、私にとって雷に打たれたような衝撃だった。
楽器を長く弾いてきた私にとって、楽器は単なる「道具」ではない。
楽器は、自分の感情や表現したいものを託す存在なのだ。
また、楽器を弾く人の間では、
「楽器 > 楽譜 > > > > > 自分」
という価値観が共有されていることが珍しくない。
つまり、自分自身よりも、楽器や楽譜の方が「尊い」とされることが多いのだ(無論、「その価値観が絶対に正しい」と言うつもりはない)。
それゆえに、私にとって「楽器は道具だ」と言い切るには、あまりにも多くのものが詰まりすぎているのだ。
けれど、その職人さんは迷いなく言う。
「楽器は道具だ」と。
この言葉を聞いたとき、私は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ、「この人はすごい」と思った。
楽器経験がないからこそ見える世界──「道具」と言えるニュートラルさ
ちなみに、その職人さんは元々楽器経験がないらしい。それゆえに、「ああ、この発言は、楽器を弾かない立場だからこそ言えることなんだろうな」と感じたことは何度もある。
「道具」という言葉には、良し悪しの評価は含まれていない。
ただ、「機能としての純粋な姿」を指す、中立な言葉だ。
私はどうしても、楽器に自分の感情や物語を重ねてしまう。
だから、「道具」と言い切るのは難しい。
でも職人さんは、余計な価値判断を持ち込まず、ただ「機能としての楽器」を見つめている。
そのニュートラルさを、私はなかなか持てない。
だからこそ、職人さんの視点は私にとって貴重で、学ぶことがたくさんある。
私が「当たり前」と思っている部分を、ゼロから見つめ直す。
その視点は、楽器経験がないからこそ持てるものだ。
そしてその視点が、私の音楽生活を確かに支えてくれている。
「対話」によって、異なる視点が補い合う
職人さんは「道具としての視点」から、私は「演奏者としての視点」から話す。この二つは対立ではなく、むしろ補い合う関係だ。
私が気づかない構造上の問題を、職人さんは説明してくれる。
職人さんが想像しづらい演奏時の感覚を、私は言葉にする。
違う視点が交わることで、楽器の状態が良くなり、より豊かな演奏が可能になる。
この関係性は、ただの「技術者」と「演奏者」の関係ではなく、互いの世界を尊重し合う「対話」そのものだ。
「経験がない」ことを肯定できる理由
その職人さんにお世話になるようになって、私は「経験がないのも立派な経験だ」と思えるようになった。
それは、職人さんの高い技術と豊富な知識だけでなく、楽器や音楽業界に対して真摯に向き合っている姿を近くで感じているからだ。そして、そんな職人さんは、私にも誠実に接してくださる。
だからこそ、「楽器経験がない」ということは、けっして欠点ではなく、美点にもなり得るのだと気がついた。信頼があるからこそ、「違い」を「欠点」ではなく「価値」として受け取ることができる。
経験がないからこそ見える世界があり、
経験がないからこそ生まれる発想がある。
──そのことを、職人さんとの関わりが教えてくれた。
経験は「ある・ない」で優劣がつくものではない
私たちはつい、「経験がある方が偉い」「経験がないのは劣っている」そんなふうに考えてしまいがちだ。
でも本当は、経験があることも価値で、経験がないこともまた価値だ。
経験がある人には見えないものを、経験がない人は見つけられる。その逆もまた然り。
大切なのは、どちらかが優れていることではなく、違いを尊重し合い、補い合える関係を築けるかどうかだ。
おわりに
「楽器は道具だ」と言い切る職人さん。
「楽器は道具だけではない」と感じる私。
その違いは、対立ではなく、豊かさだ。
そして私は今、はっきりと言える。
「経験がない」ということも、立派な経験のひとつだ。
それを教えてくれた職人さんに、心から感謝している。
楽器の調整についてのエッセイはこちら
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