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バッハが似合うチェロと、職人の尊さ──楽器調整は「ただ直す」のではなく、演奏者の未来をそっと支える「人生の伴走」



はじめに:凛とした、でも静かで穏やかな工房


チェロの調整のために工房を訪れるのは、毎回かなり緊張する。何年もお世話になっているにもかかわらず、何とも不思議なことだと思う。また、その職人さんは、丁寧に誠実に接客するだけでなく、もう半歩踏み込んで、お客さんのことをかなり気にかけているように見受けられる。私のような、年下でフラフラした人間に対しても、だ。だから、かしこまったり、ましてや切腹する覚悟で行くような場所ではないはずだ。なのに、毎回心臓がバクバクしてしまう。

もともとピアノ弾きだった私にとって、チェロを始めるまでは「自分の楽器をお店に持っていって、状態を見てもらう」という経験がなかった。ピアノとチェロでは同じ「クラシック音楽界」とはいえ、業界の雰囲気や常識、謎の「暗黙のルール」も含め、まるで違う。別世界と言っても過言ではないだろう。そういうこともあって、いまだに弦楽器業界に慣れない自分がいる。


それでも、工房の扉を開けると、不思議とほっとする。木の匂いがふわりと漂う。壁や机の上には使い込まれた道具が並ぶ。刃先の輝きから、どの道具も手入れが行き届いていることが分かる。そこには、背筋が伸びるような凛とした、でもそれと同時に、静かで穏やかな空気が満ちている。


楽器を見てもらうとき、私はいつも不安になる。ぱっと楽器を見ただけで、使う人の弾き方や習慣、癖だけでなく、性格や考え、悩み事の有無まで分かってしまう──それを知っているがゆえに、職人さんが楽器の状態を説明してくれるまでの時間は果てしなく長く感じる。

けれど、職人さんはいつも静かに楽器を受け取り、余計なことは言わず、ただ一つひとつ丁寧に状態を見てくれる。ペグを回す左手、道具を持つ右手、息遣いまでが洗練されて、無駄がない。その様子は、まるで「動くルーブル美術館」のようだ。


調整後のチェロが教えてくれたこと


帰宅後、いつも通りチェロケースを開けた。

弓の毛を張って、一旦ケースに戻す。楽器を出すときにネックを持つと、その時点で楽器の状態が格段に良くなったことが分かった。右手を広げてエンドピンの長さを決める。再び弓を出し、調弦をし、音階を弾いてみる。


最初は、正直戸惑った。

私の身体がコンディションの整った楽器に追いつかず、うまく弓をコントロールできない。楽器のほうが先を歩いていて、自分が置いてきぼりにされるような感覚。


けれど、バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ』のシャコンヌを弾いた瞬間、すべてが腑に落ちた。

力を抜き、ただすべてを楽器にあずけるように弾くと、音がすっと立ち上がり、部屋の空気が変わった。祈りのような静謐さで、部屋全体が、そして私の心が、ゆっくりと満たされていく。


そのとき気づいた。楽器を弾くという行為は、気合で押し切るものではない。腹を括って、覚悟を決めて、力でねじ伏せるものでもない。「自分が主導権を握る」のではなく、力を抜いて、楽器が鳴りたいように手を動かす。光も影も、うまくいく日もいかない日も、全部ひっくるめて受け止めると、自然といい音が出る。そのことを、調整後のチェロがあらためて思い出させてくれた。


どんな曲でも「その曲らしく」響く不思議


どういうわけか、その職人さんが調整してくれたチェロは、どんな曲を弾いても「その曲らしい音」が出る。

 ハイドンの透明で端正な軽やかさも、サン=サーンスのエレガントさも、エルガーの深い陰影や高潔さも、ベートーヴェンの蜂蜜のような恍惚さも、プロコフィエフの鋭さやユーモアも。

そして極めつけは、チェロの代表曲であり「王様的ポジション」とも言われるドヴォルザークのコンチェルト。演奏会やコンクールの定番でもある難曲だ。その重厚で、深い情感が渦巻くあの冒頭を、演奏技術も人生経験もまだまだ未熟な私が弾いても、なぜか「ドヴォコンらしい音」が出る。つまり、どんな曲を弾いても、その曲が本来持っている雰囲気やキャラクターを自然と表現できるのだ。


普通なら、演奏者が「その曲らしさ」を出そうとするために、身体の使い方や音色を意識的に変える必要がある。でも、私の楽器は「余計なことをしなくても、自然と曲の性格に寄り添ってくれる状態」になっている。


これは、楽器が私の未熟さを補ってくれているとしか思えない。楽器の鳴り方やバランス──それらが曲のキャラクターと自然に一致する。そして、演奏者の細やかなニュアンスをそのまま音に変換しやすくなる。だからこそ、私が無理に表情をつけようとしなくても、音が自然と鮮やかになる。深くなる。また、職人さんの調整によって私の表現の伸びしろが広がることで、新たな技術や表現を身につけるきっかえが生まれる。


楽器の調整は、ただ楽器を直すだけではない。弾く人の身体のコンディションや人柄、日々の練習内容、最近の悩み、今後の目標なども考慮したうえで、演奏者にこれから成長していく方向をさりげなく示し、未来をそっと支える仕事なのだ。


職人さんの器の大きさ


その職人さんは、技術がすごいだけじゃない。人としての器が大きいのだと思う。技術者として以前に、「人としてすごい」のだ。

私がぽろっと言ったことに対して、茶化したり、否定したりしない。ただ受け止めて、音楽の話を深めてくれる。ときには楽器職人としてだけでなく、人生の先輩としてアドバイスもしてくれる。ちょっとした言葉の選び方やしぐさからも、私の豊かな音楽生活だけでなく、幸せな人生を祈ってくれていることも伝わってくる。


私は、Es-dur、As-dur、Des-durのようなフラットの多い調が好きだ。ピアノで弾くのも好きだが、「チェロでフラットの多い調を弾く」ことが好きだ。

こう言うと、多くの弦楽器経験者は眉をひそめることだろう。なぜなら、チェロでは開放弦があまり使えず、音程や響きのコントロールも繊細で、きれいに弾くのはとても難しい調性だからだ。指の置き方や弓の圧・スピードなどのわずかな違いで、一瞬にして残念な音になってしまう。つまり、チェロにとっては「茨の道」のような調性なのだ。


それでも私は、すりガラス越しのようなあたたかく柔らかい光や、夕暮れのような幸せと恐怖などの相反するものが同居する様子、切ない夢から覚めて胸の苦しみとともに見上げた月の、あの残酷な美しさに惹かれるのだ。


そんな話を職人さんにしたのだが、帰りの道中で思い返し「やだ、私こんなこと言ってしまった……」と赤面してしまった。調性の好みを語ることは、自分の趣味嗜好や美意識をさらけ出すことに近い。自宅の本棚を見られると、自分の頭の中までのぞかれているようで恥ずかしい──あの感覚に近いと思う。だからこそ、まるで謎の告白をしたような気まずさが押し寄せた。


けれど、職人さんはただ静かに受け止めてくれていた(んだと思う)。器の大きい人は、相手の本音を茶化したりしないのだろう。そのまま受け止め、必要なら相手のためにそっと話を広げてくれる。

だからこそ、私が安心して通える数少ない場所なのだと思う。


そして、やっぱりバッハが似合う


どんな曲でもその曲らしく弾けるのに、やっぱりこのチェロにはバッハが似合う。

バッハの無伴奏チェロ組曲は、軽快さも、波のような流れも、チャーミングさも、快活さも、穏やかさも、泥臭さも、懊悩も、静謐な祈りも、すべてが詰まった多面体のような音楽だ。

その多面性を、どれか一つだけ強調することなく、全部「バッハらしく」響かせられる楽器に調整してくれている。バッハの曲は「楽器の素の状態」を最も美しく見せてくれる。つまり、バッハが美しく弾ける楽器というのは「楽器そのものが整っている証拠」でもあるのだ。これはもう、職人の仕事という枠を超え、楽器の生命力を最大限に引き出すという、もっと深い領域の仕事なのだろう。


職人という仕事の尊さ


クラシック音楽の業界において、職人の仕事はそれほど表舞台に立つことはない。けれど、楽器を整え、その可能性を解き放ち、演奏者の音楽を支え、その人の未来を整え、ときに進むべき道をそっと示してくれる。職人さんは音楽生活の伴走者だけじゃない。人生の伴走者でもあるのだ。そんな職人さんの手にかかると、楽器だけでなく、自分自身まで整ってしまう。まるで魔法使いのようだ。

だからこそ、調整によって楽器が驚くほど変わることを、多くの人に知ってもらえると嬉しい。そして、楽器職人という仕事がどれほど尊い職業なのかを、もっと伝えられるように、自分にできることを頑張りたい。

私のチェロが今日も美しく響くのは、職人さんの静かで確かな仕事があるからだ。


結びに


この楽器と歩む時間が、これからも新しいことを教えてくれる気がする。それは、楽器が教えてくれるだけでなく、職人さんが楽器を通してさまざまなことを教えてくださるからだ。

楽器を手にするたびに、職人さんの技術の高さと人間性の深さが身に染みる。そして、自然と感謝の気持ちが湧き上がる。ときには、そんな職人さんと比べてしまい、自分の未熟さに腹が立つ。完璧に調整された楽器を弾くことで自分の心が丸裸にされたように感じ、胸が引き裂かれるような残酷さを突き付けられるように感じることもある。けれど同時に、その心をそっと包み込んでくれる美しさも同居している。

そして、「私がどう足掻いても、一生かなわないんだろうな」と思いつつも、そんな人に出会えたことは、音楽を学ぶうえだけでなく、私の人生においても、大切な宝物だ。


明日はこのチェロで、どんな景色が見えるのだろう。  

そんなふわっとした気持ちを胸に、そっと楽器をケースに戻した。



参考動画(エッセイで登場した曲)


バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番より『シャコンヌ』(チェロ版)

ハイドン:チェロ協奏曲第1番

ハイドン:チェロ協奏曲第2番

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番

エルガー:チェロ協奏曲

ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第3番

プロコフィエフ:チェロソナタ

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

バッハ:無伴奏チェロ組曲 ※動画は、第1番『プレリュード』



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