視野狭窄の瞬間、人はピアノ協奏曲で距離を測りはじめる(セルフツッコミエッセイ)
過去の出来事を振り返ってみると、「あれ、冷静に考えると、おかしくない……?」ということは誰しもよくあることだろう。
ということで、「過去のエッセイに自分でツッコんでみよう!」という企画。
記念すべき第1回。
今回ツッコむエッセイはこちら。
この部分に注目したい。
この時点でスマホで地図を確認しようとしたが、運悪く電波が入らず、スマホは「ただの板」と化していた。絶望した。ただ、それでも私の脳内ではピアノ協奏曲が流れ続けていた。おかげで「練習番号○番~○番を走れば○分走ったことになるから、このくらいの距離を進んでいるに違いない」と計算できる。巨匠の演奏を何度も聞いた副産物だ。
……いや、落ち着け当時の私。
電波が入らないだけでスマホを「ただの板」扱いするのは早すぎる。
道に迷うことも見越して、スマホは100%まで充電してあった。だから、スマホは時計としても、ストップウォッチとしても、使えるのだ。
電波が入らないだけで「ただの板」扱いするなんて、文明への信頼が薄いにもほどがある。かつお節よりも薄い。薄すぎる。電波が入らないだけで、「地図」以外にも使い方は星の数ほどあるのだ。自分が文明の利器を使いこなせないからといって、スマホに責任転嫁するのは良くない。
しかも、スマホが電波を拾わないだけで絶望するなんて、絶望へのハードルが低すぎる。正直、そのとき「人生終わった」って思ったけど、思考が極端すぎる。ストレス耐性の低さが溢れ出てしまっている。絶望のハードルを無駄に低くすることで、自分で人生の難易度を勝手に上げてしまっている。
さらに、「スマホの電池が無くなることを見越して、アナログの腕時計をしている」ということを、すっかり忘れてしまっている。ソーラー腕時計ゆえに充電が切れる心配はいらない、という大変優れものだが、腕時計の存在を忘れていては宝の持ち腐れだ。
そして極めつけは、なぜ、ピアノ協奏曲で走った距離を測ろうとしたのか。
確かに、「おおよその走る速さ」と「練習番号○番~○番は○分間」と分かることで、「速さ」と「時間」が判明したことになる。その結果、「速さ×時間=道のり」という計算で、進んだ距離がだいたい分かる。算数でおなじみの「みはじ」だ。小学校の先生も、まさかこのような形で学校の授業が役に立つだなんて、予想だにしなかっただろう。
本当に視野狭窄にもほどがある。もはや、視野狭窄というより、ただのテンパりである。百歩譲って、何とかして困難を自分の得意分野でカバーしようとするのは分かる。ただ、もう少し視野を広く持つ努力をしたほうがいい。ほんの少し俯瞰して物事を見るだけで、謎な努力をせずに済むはずだ。
視野狭窄に陥ると、ろくなことはない。曲の練習でも、一部分にだけ注目して練習していると、フレーズや曲全体の流れ・構成が分からず、「一部分だけ取り出して弾くと上手に弾けているものの、曲全体で聞いたときにちぐはぐなんだよな……」ということはよくある話だ。
というわけで、これからは、焦りはじめたら一旦落ち着いて、冷静に状況を観察しようと思う。道に迷ったときは、ピアノ協奏曲で距離を測る前に、まずはスマホの画面を見るところから始めたい。
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