見出し画像

🌸第7話「金木犀と幻想」

 菊の精の言葉が胸に残っていた。
 ――人の心を動かし、精霊を支える。
 けれど、どうすればそんなことができるのだろう。答えを探すように、私は資料を求めて図書館へ向かった。

 公害のニュースは連日SNSや新聞をにぎわせ、花霞財閥の名前も必ず出てきた。父が関わる化学工場の映像を見るたび、胸の奥にざらついたものが残る。私はせめて、過去に花の精と人がどう関わってきたのかを知りたかった。

 静かな図書館の書架を歩き回り、民俗学や植物誌の棚を手に取る。ふと、一冊の背表紙が目に留まった。
 ――『植物と幻想』。
 何気なく開いたそのページに、私は息をのんだ。

 《金木犀のような髪をした少年に出会った。秋の風と一緒に現れて、やさしく微笑んでくれた》

 まるで、精霊そのものを描いたような記述。しかも、少女の目線で綴られていた。
 私は巻末を確認した。著者は「秋庭莉奈」。調べると、今は作家として活動しているらしい。

 ――会って、聞いてみたい。
 そう思った私は、思い切って彼女に連絡を取った。



 待ち合わせたのは、駅前の小さな喫茶店だった。木の香りのする落ち着いた店内で、私は緊張して席に座っていた。ほどなくして現れた女性は、柔らかな雰囲気をまとった透明感のある二十五歳くらいの人だった。
 金木犀のような甘やかな香りがする。
「花霞紗良さん、ね?」
「はい……」
 私は小さく頷く。彼女が莉奈さんだった。

 勇気を出して、最近の出来事を話した。桜の声、菊の精、そして黒百合と白百合のこと。信じてもらえないかもしれないと思ったけれど、莉奈はただ静かに耳を傾けてくれた。

 やがて、彼女はカップを置き、遠い記憶を思い出すように語った。
「私もね、学生の頃……不思議な少年に出会ったの。図書館で。金木犀みたいな髪をしていて」
「……!」
「彼は言ってた。『人間を好きになってはいけない』って。でも、その声は、すごく寂しそうで……。そのことがずっと忘れられなくて、本にしたの」

 莉奈の瞳は柔らかく揺れていた。その記憶が、彼女にとってもかけがえのないものだったと分かる。

 私は思わず尋ねた。
「……花の精に、また会えると思いますか?」

 莉奈は少しだけ考え、それから静かに答えた。
「鎌倉の山あいにね、百合の群生地があるの。そこには特別な縁が残ってる。もし本気で探すなら、行ってみるといい」

 その言葉は、不思議な導きのように胸に響いた。



 店を出ると、夜風が頬を撫でた。
 ページに綴られた記録、莉奈の言葉、そして菊の精の願い――すべてがひとつの道を指し示しているように思えた。

 私は心の中で小さく呟く。
「待ってて。必ず、辿り着くから」




関連作品

いいなと思ったら応援しよう!