北大の山屋たち ― 再受験で飛び込んだ北の学び舎で
山に登る人のことを「山屋」という。僕も大学から40代前半まで、そんな山屋として過ごした。
再受験でたどり着いた北の大地・北海道大学。土地柄なのか、北大にはアウトドア系のサークルが驚くほど多かった。体育会系の御三家といえば、山岳部、山スキー部、そしてワンダーフォーゲル部。どれも夏は沢登り、冬は山スキーを履いて雪山登山と、活動内容は似ているが、それぞれにカラーがあった。
山岳部は登壁(クライミング)へのこだわりが強く、山スキー部は当然ながらスキーが主軸。ワンゲルは登山以外にも自転車旅行やラフティングなど、自由な発想の活動が多かった。
80代でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎氏も、北大山スキー部の出身。彼もまた、山岳部獣医学科を出ている(このあたりは、以前のコラムでも触れた大学偏差値って意味あるの?―受験戦争世代が振り返る“偏差値教”の時代―|岩永総一郎)。
文化系でもハードな活動をする団体があった。たとえば「北大ヒグマ研究会」。その名のとおりヒグマの痕跡を追い、藪漕ぎ、沢歩きとガシガシ活動するガチ勢だった。
僕の札幌キャンパス時代はわずか1年半だったが、その間に複数の山系サークルに顔を出した。そこに集う人々は、ただでさえ個性的な北大生の中でも、さらに凝縮されたような濃い面々だった。
多くのサークルは、市内の古民家を借りて「部室」代わりに使い、部員が交代でハウスキーピングをしていた。飲み会は質素で実利重視。ビールは最初の一杯だけで、あとは焼酎の番茶割が定番だった。「安く酔えるから」というのがその理由。ビールで一気飲みなんてチャラいことはしない。「そんなことしたら、俺の飲む酒が減るだろ!」と笑っていた。
僕は名市大時代のクセで、先輩を「○○先輩」と呼んでいたが、ある日言われた。
「岩永、その“○○先輩”ってのはやめてくれ。堅苦しいよ。○○さんでいいからさ」
どうやら、上下関係を持ち込むのは野暮という文化らしい。実際、在籍年数と学年が一致しないのが普通で、「3年目2年」や「5年目3年」といった呼称もあった。要は“ドッペル”(留年)すると学年がズレていくわけだ。実際、8年目4年生という古強者にも出会った。
学部や学科によっては留年生のほうが多数派というケースもあり、ストレートに進級した者のほうが肩身が狭い、ということもあった。なかには、意図的に留年する猛者もいて、わざと1単位だけ残して前期で取得、その後はバイトで資金を貯め、後期は休学して長期の海外放浪へ。
行き先はたいていインド・ネパール。バックパッカーとしてドミトリーに泊まりながら旅をする。あるインド帰りの先輩に聞いた。
「人生観、変わりましたか?」
「何も変わらなかったよ。日常は日常として淡々と続いていくんだよ」
その言葉には、妙に納得させられた。すでに“悟り”の境地にいたのかもしれない。
