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ぼくのSRYと、鍵のかかった初恋 〈27.きみがいる生活〉

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二十七、きみがいる生活

創は、眠り続けた。朝も、昼も、夜も。創が眠っている間なら、彗は安心して研究ができた。好きなだけ眠ってもらえるように、彗は創にベッドを明け渡し、自分用にと量販店で布団を買った。

「友人のために、いい病院を探しているんです。心療内科か、精神科を」

論文の精読会の後、彗は、思い切って研究室の皆に尋ねた。間違っても、萌香のような最低な医者に創を見せるわけにはいかなかった。

「学会で知り合った農学部の先生の奥様が、精神科医をされていると聞いたわ。少し調べてみるから、時間をくれる?」

阿藤が、嫌な顔一つせずに頷いた。

「阿藤教授……。本当にありがとうございます。どうか、お願いします」

深々と頭を下げる彗の背に、博士課程二年の小川真智が触れた。小川は、肩まであるさらりとした髪を揺らし、研究室のメンバーの前で、朗々と告げた。

「隠さないで周囲に助けを求める一条さんの態度、すごく誠実だと思う。私たちは科学者でしょう? だったら今、一緒に考えてみようよ。精神からのSOSは、気の持ちようで良くなるとか、甘えとか、心が弱いとか繊細だとか、そういう問題じゃないよ。脳という臓器の不調なんだから、きちんと医療で治せばいいって、私は思う」

研究室の皆が、あたたかい目で頷き、彗を包んだ。

「彗。創の様子はどう?」

昼休みの学生食堂で、長い髪を高く一つに結ったクリティカが、心配そうな目で呟いた。

「ずっと寝てる。星南ちゃんが亡くなってから、ろくに眠れていなかったみたい。いまのうちに、病院が見つかるといいんだけど」
「阿藤教授の知り合いなら間違いないと思う。私にできることがあったら何でも言って」
「クリティカ。いつもありがとう」

彗は、クリティカが差し伸べた手を取った。十二歳のあの診断の日からずっと、彗は世界を閉じてきた。しかし創を好きになってから、彗は変わった。そして気付けば今、彗は多くの人に心を開き、互いに助け合える関係を築けるまでになっていた。

「ねえ、クリティカ。ぼくは、星南ちゃんの死を利用しているんじゃないかって、それが時々怖くて」

彗が俯くと、クリティカが静かに首を振った。

「ちがう。彗は、創の妹の死を利用していない」
「そうかな」
「彗は今、そんな低次元にはいない。人間として、溺れかけている大切なひとを引き上げようとしているだけ」

彗の視界が、あたたかくぼやけていく。彗は手の甲で涙を拭うと、クリティカに思い切り笑ってみせた。

「ぼくね。創がまたミュージカルの舞台に立てるようになってほしいんだ。ぼくを光で照らしてくれた創に、お礼がしたいんだよ」

クリティカとつないだ手が、何度も揺さぶられた。

「創にも、クリティカのセルロティを食べてもらわないと」

クリティカが、泣き出しそうな顔をして笑った。

三月の終わりの土曜日。朝、彗は、阿藤から紹介された精神科に、創を伴って向かった。残雪を踏みしめる。曇天の下に佇む白壁のビルには、精神科のほかにも歯科や皮膚科、眼科などが入っている。

「診察中は、外で待ってるね」
「彗。嫌じゃなければ、一緒にきて」

不安げな創に、彗は「わかった」と芯のある声で返事をした。精神科についての悪い噂は、調べるほどに湧いて出た。覚悟を持って創と一緒に診察室に入ると、室内には柔らかな太陽の光が差していた。白髪の混じった髪をした、大きな丸眼鏡をかけた老婦人が、木目調の机の向こうに座っている。

「坂口です。どうぞよろしく」

坂口と名乗った医師は、深々と頭を下げた。医師には守秘義務がある。診察室で話したことは外には漏れない。坂口医師は、てきぱきと質問をし、創はゆっくりと答えた。観察するような、しかし嫌味のない質問の仕方だ。妹が死んだこと。実は、妹を好きだったこと。妹の後を追って死にたいと思っていたこと。医師は、感情論に走ったり、創を値踏みすることもなく、現在抱えている不調を時間内に洗い出した。

創には、何種類かの薬が処方された。最近は眠れていると伝えると、坂口医師は、「また眠れなくなったらその時は薬を処方するから」と簡潔に答えた。

「なんか、あっけなかったね」

彗は、肩透かしを食らった気分だった。創が頷く。

「そうだね。僕、もっと心をえぐられるような質問をされるのかと思ってた。薬も、もっとたくさん出るんだろうなって」

坂口医師の距離感は適切だと彗は考えた。今の創には、あれくらいがちょうどいいのかもしれない。

「創。もうすぐお昼だけど、なにか食べられそう?」
「そうだね。なんかお腹空いちゃった」

嬉しかった。彗は、一瞬目を丸くして、それから涙ぐむことを必死でこらえ、「何にする?」と聞く。

「オムライスかナポリタン」
「なにそれ、子どもみたい」

彗が笑うと、次いで創が笑った。彗は、笑いながら空を見上げた。涙が溢れたことを、創に気付かれまいとして。彗は、創と共にスーパーに寄った。卵と、パスタ麺と、玉ねぎと、マッシュルームと、ケチャップとソーセージをかごに入れた。この食材たちが、創の体を作っていく。料理が得意ではない彗は、SNSでオムライスとナポリタンのレシピを検索した。

そうだ。あとは、ピーマンを買わないといけない。

曇天を見上げる。雲の層の向こうから、太陽光が差していた。

>>第二十八話


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