見出し画像

三浦大知を好きになるまでの道のり


私は、三浦大知が好きだ。
あの頃の天才少年は、大人になっても変わっていなかった。唯一無二の表現者だと思っているし、三浦大知というアーティストが私の中では歌もダンスもTOPオブTOPだ。

沖縄生まれ沖縄育ち、アクターズ全盛期を知る私

私は、沖縄で生まれ育ったうちなーんちゅだ。
沖縄アクターズスクール全盛期、ローカル番組でデビュー前の三浦大知が歌い踊っている姿を、今でも鮮明に覚えている。

三浦大知がFolderとしてデビューし、『I WANT YOU BACK』をリリースした時の衝撃は、今でも忘れられない。
マイケル・ジャクソンをたいして知らないが、『マイケル・ジャクソンじゃん』と驚愕した。


記憶から消えた少年と偶然の再会

しかし、三浦大知が変声期で活動休止し、テレビで見かけなくなると、記憶からきれいさっぱり消えてしまった。
名前すら忘れてしまった。

時が過ぎ、たまたま見ていたMTVのランキングに「三浦大知」が登場した。
上位にランクインしているそのMVを見て、
一緒にいた結婚前の夫に「三浦大知って誰だよ」と言い放った記憶がある。
それくらい、私の中で過去と現在がつながっていなかった。


Wikipediaが繋いだ、点と線

「やたらでてくるな、三浦大知」
さっそく、三浦大知を検索。
Wikipediaを食い入るように読み、衝撃が走った。
Folderのボーカルだった三浦大知だ。

「オーマイガー!大人になってるよ。」 言われてみれば、微かに面影があるような気がする。 それからは、テレビで見る機会が増えた。

テレビで見かける三浦大知はなぜかカバー曲の披露が多く、当時の私にはオリジナリティがまだ見えてこなかった。

この時、私の中で三浦大知は自ら選んで聴く音楽ではなかった。


コロナ禍、闇落ち寸前の私を救ったのは、あの時の少年だった

そんな私が、三浦大知の音楽に救われた日が突然やってきた。
詳細は以下の記事に譲るが、一家全員がコロナに罹患し、閉塞感と無力感で心が折れそうになっていた私を、「THE FIRST TAKE」の三浦大知『飛行船』のパフォーマンスが救い出してくれたのだ。
優しい歌声から次第に熱をおびていく、命を削るようなパフォーマンスは、自然と涙がこぼれたことを覚えている。


アーティスト「三浦大知」を好きになる

「THE FIRST TAKE」の三浦大知の歌に衝撃を受けた私は、配信サイトでONE ENDツアーのダイジェストを視聴する。
『飛行船』が終わった後も、まだ続いている。
「あれ?続きがあるの?」 と思っていたら、突然の無音ダンス。 音が消え、会場の空気も一瞬にして変わる。 気づけば、『Black Hole』が始まっていた。無音ダンスからのダンサーひとりひとりのソロダンスブレイクがとにかくかっこよかった。 「ダイジェストじゃ足りない!」 すぐにAmazonで注文した。なんならCOLORLESSツアーも買った。 もう、止まらなかった。

ゲーム実況者「三浦大知」を好きになる

YouTubeを開くと見慣れた名前の人のゲーム実況がおすすめに。

「三浦大知って、あの三浦大知?バイオハザードって、あの怖いやつ?」

おそるおそる生配信をタップすると、それは、まぎれもなく三浦大知だった。自分の人生で全く触れてこなかったゲーム実況、ましてやホラーゲームが、三浦大知の語りとプレイを通すと、まるで映画を見ているようだった。

音楽だけでなく、ゲーム実況でも新しい扉を開かされてしまった。
もう、アーティストとしてだけでなく、人として三浦大知が好きになった。

これからもアーティスト「三浦大知」とゲーム実況者「三浦大知」を追い続けるだろう。
最後に、私にとって「三浦大知」は唯一無二のブランド名だ。 なので、敬意を持って三浦大知と記載する。

良ければ、こちらの記事も読んで下さい。


いいなと思ったら応援しよう!