「自分はクリエイターなのか?」なんて考えながら歩いた夕方
こんばんは、Rojerです。
クリエイターってなんでしょうかね?
いろいろ考えてみましたが、今現在の自分は、
「クリエイターです!」
なんて言えないかなって思ってます。
BANDやってたときに、夢中になって楽曲を作っていたときは、ある意味クリエイターだったと思えます。
でも、そこになにがしかの利益もない状態では、トータルでクリエイターって言えないかな?って思います。
夢中になって白紙から有を生み出せる状態がクリエイターの入口なら、そこを支えて収益をもたらすことのできる人を使ったり、セルフプロデュースまで出来て、はじめて世の中に認められるクリエイターなのかもしれないですね。
いや、なんでこんなことを考えたかと言うと。
LaLaLaさんの「ペイ・フォワードプロジェクト」の中で、
「異世界ファンタジー長編小説『雷翼鳥の契約者』をnoteにて連載中の小説家・クリエイター。」
って紹介されており、大変ありがたいのに、
「俺ってクリエイター?」
って思っていたのが気になっていたんです。
そこへ、とある場所で「クリエイターとは?」ってハナシがあったので、改めて振り返ってみました。
傍から見たら「クリエイター」なのかなぁ……。
自分的には「プロデューサー」「監督者」「制作進行管理者」「製作総指揮」みたいな感じで居るんですよね、noteでは。
AIとのやり取りを経て、自分の作品世界を少しでも磨き上げようと四苦八苦している監督者。
そんな自身へのイメージがあるので、「クリエイター」って呼称に、
ん?
って思うときがあるんですよね。
また、「小説家」についても、
ん?って(笑)
自分は物語のきっかけと世界観、方向性、物語の深みを持たせる陰影の付け方、根拠についてのリサーチとそれについての承認、自分の好みの文体の指定、自分であったらこんな言い方をするなどの注文、仕上がった文章への注文などが主な役割です。
確かに物語の主体として動いているけれども、そこに手伝ってくれるAIがいるからこそ作品ができている。
そんなスタンスです。
総合プロデュース?
いや、それも違うな。
せいぜい「制作監督」ですかね。
総合プロデュースであれば、売るための方策まで含めて、利益が出るようなプロモーションをして、最大限の利益の還元をお客様と制作側に渡すことが出来て、はじめて総合プロデューサーと言えるんじゃないかと思います。
クリエイターと呼ばれる人も、抜きん出た才能があっても、そこを売り込む商才まで持ち合わせてるのかな?
多くは周りの、その才に長けた人が支えて、はじめて世の中に知られるクリエイターって存在になっているんじゃないかと思うんです。
どうなんだろ。
ここまでの意見は自分の勝手な想像ですので、
「そうじゃないよ!」
って方には是非、「クリエイターとはこうだ!」って言うものがあったら教えて頂けると嬉しいです。
自分が「作ってる」と感じていた頃
自分自身がクリエイトしているって感じるときって、やっぱり夢中になって創造物を形にする瞬間だけなんじゃないかって思うんですよね。
よいGuitarリフが思い浮かんで、そこから発生するグルーヴを維持しつつ、そこに乗るメロディーを考える。
バースを挟んでサビに持っていき、サビのリフレインの後には転調するようなブリッジを挟んで、そこに似合う歌詞を考えてって作業が好きだったんです。
一人でどんどん作って、バンドメンバーに披露するのが楽しみに思える楽曲が出来たときは、爽快感をもの凄く感じることが出来るんですよね。
自分的に「いい出来になった」と思っても、今までやっていた楽曲と毛色が違うものを持ち込んだときに感じる、
「コレって受け入れられるかな?」
って気持ち。
そのまま受け入れられなかったときと、反対に、
「いいじゃん!」
みたいな評価を受けるときの感動なんて、やっぱり違いますからね。
バンドメンバーの受けが良くても、バンドを見に来るお客さんの反応が良いとは一概に言えないのはお約束ですけどね。
でも、バンドのメンバーがノリノリになれる楽曲は、受ける受けないを通り越して、お客さんを圧倒できる威力があるのは承知してます。
そんな瞬間を感じられると、多少は「クリエイター」って言葉も自分のことなのかな。
もしくはBandとして、クリエイターとしてここに居るんだって思える瞬間かも知れません。
そして、そんなことを書きながら気がつきました。
久しく、そんな瞬間に身を置いていない。
今更ながら、ちょっと愕然としています。
仕事が忙しくなってから、バンド活動も、野鳥観察で大砲カメラを持ち歩いて撮影三昧していた趣味生活も、いつの間にか遠ざかっていました。
夢中になって何かを作ったり、好きなものを追いかけたりする時間そのものが、ずいぶん減っていたんですよね。
それが自分にとって、思っていた以上に大きなことだったのかもしれません。
だから最近、小説を書いたり、画像を作ったり、noteの記事を書いたりすることに夢中になっているのかな。
AIに手伝ってもらっているから、自分を「小説家」と呼ぶことにはまだ、
ん?
って思います(笑)
「クリエイター」と言われても、
ん?
ってなる。
でも、呼び方なんて、案外どうでもいいのかもしれません。
何かを思いついて、
形にしたくなって、
出来上がったものを見て、
「もうちょっとこうしたい」
ってまた手を入れる。
昔Guitarリフを作っていたときと、今やっていることって、案外似ているのかもしれません。
そんなことを考えた日の午後
今日は月イチで通っている病院にも行ってきました。
少しずつ日常の生活も戻ってきているので、今後も様子を見ながら過ごしていくことになります。
で、診察を終えて受付に戻ると、
外は大雨……。
ゲリラ豪雨ってやつですね。
……家の階段と寝室の窓、全開で開けっ放しだ!
って思ったら、直ぐに駐車場の車まで駆け出して、数分で着く自宅まで車を走らせて戸締まり確認。
北に面している階段の窓から、雨が吹き込んでいて階段がびしょびしょ……。
窓を急いで閉めて、モップと雑巾で水分を拭き上げて、
ふぅ~っと一息。
とんぼ返りで病院に車を走らせ、会計を済ませて帰ってきました。
病院が直ぐ近くで良かったです。
そうでなければ、階段下のトイレ天井に染みができて漏水するところでした。
まあ、そんなこともありながら夕方はウォーキング。
東の空にかかる黒い雲を横目で見ながら、海のある南に向かっててくてくと。
少しだけ小雨に降られましたが、いっときのことで済みました。
「クリエイター」について考察してみたのも、ウォーキング中に聞いていたポッドキャストの影響です。
ウォーキング時は、ラジオ風味のYouTubeポッドキャスト、stand.fmのような音声だけで成立している番組が相性がいいですね。
田園の中を歩きながら風景を眺めて、耳では音声。
最初こそ音楽を聞いてましたが、最近はラジオ風味のYouTubeを聞いてますね。
頭に素直に言葉が入ってくるんですよね。
音楽だと、自分の場合Guitarのフレーズやコードトーン、バッキング、曲キーや転調なんかに意識が持っていかれて、歌詞があまり入ってこない。
音声だけのポッドキャストは、演者の素直な音声が頭に入ってきて、とても集中できているような気がします。
演者の言葉も、頭の中にかなり残るんですよね。
余計な装飾がないからなんでしょうかね。
そして、その言葉を聞きながら歩いていると、今日みたいに、
「クリエイターってなんだろう?」
なんてことを考え始める。
家に帰って、それを文章にしている。
……。
あれ?
これも何かを作っていることになるのかな(笑)
「はじめてのnote 改め、自己紹介」
「クリエイター」と名乗れるかどうかは、いまだによくわかりません。
でも、昔みたいに何かを思いついて、それを形にすることが少しずつ面白くなってきた。
それだけは確かなような気がします。
もし、
「自分なんかが○○って名乗っていいのかな」
と思っている人がいたら。
名乗るかどうかは、後でもいいのかもしれません。
小説家なのか。
クリエイターなのか。
写真家なのか。
音楽家なのか。
肩書きを決めてから作るんじゃなくて、作りたいから作っている。
それを続けているうちに、誰かが勝手に、
「この人は○○を作っている人だ」
って呼んでくれる。
今回、自分が「クリエイター」と紹介されたみたいに。
自分ではまだ、
「俺ってクリエイター?」
なんて思ってますけどね(笑)
まあ、それでもいいのかな。
今日も思いついたことをこうして文章にしました。
ネタがないと思っていても、歩きながら考えたことを書いてみたら、一記事になってしまいました。
だったら明日も、
何か思いついたら書いてみます。
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