【あの神社を探す話 1】スズメバチと姿なき羽音。「呼ばれた」気がした鎌倉散策で辿り着いた答え
▼前回のお話
※あらかじめお伝えしておくと、私は神様や幽霊、スピリチュアルな存在を盲目的に信じているわけではありません。今回の体験は、目に見えない怪異の話ではなく、その場で私の「心や感覚」がどう揺れ動き、何を感じ取ったのかという心理的な感覚のお話です。
訳あって、今は鬱により仕事を休職している。
正直に言ってしまうと、暇だ。もちろん毎日が好調なわけではなく、動ける日と動けない日の波は激しい。それでも、少し体調がマシな日には、ずっと家にじっとしているのも限界があった。
そんな暇を持て余した自分がふと思い出したのが「ある夢」のことだった。 別にスピリチュアルに傾倒したいわけじゃない。ただ、どうしても頭から離れない「夢の残像」と「呼ばれているような感覚」の正体を確かめたくて、私は鎌倉へ向かった。
当初の目的は「夢に出てきた神社を探し出すこと」だった。 けれど、一歩一歩それぞれの場所に足を運ぶうちに、その旅のテーマはどこか「あいさつ回り」のようなものへと形を変えていった。
各所の参拝に立ち、私は心の中でこう語りかけながら巡っていた。
「私は こた と申します。私をお呼びの方をご存じではないでしょうか?貴方様(この場所)ではないでしょうか?もし、何かご存じであればお導きをいただければと思います。」
丁寧に名乗り、理由を告げ、自分の足で確かめていく。 そうして始まった鎌倉めぐりは、ただの観光とは程遠い、あまりに生々しい「対話と導き」のドラマとなっていった。
第一章:期待と抱擁(鶴岡八幡宮)
最初に向かったのは「鶴岡八幡宮」だった。 夢に出てきたあの印象的な階段は、ここのものではないかと思ったからだ。
大階段を目の前にし、期待を胸に参拝する。心の中で「私は こた と申します」と名乗りを上げたその最中、ふと不思議なほど暖かな「抱擁感」に包まれる感覚があった。
あの階段が夢の答えそのものだったかは分からない。けれど、その包み込まれるような感覚のおかげで胸のつかえが下り、次の場所へ向かう足取りは驚くほど軽くなっていた。
「何かに確実に近づいている」 そんな予感と、抑えきれないワクワク感が胸の中で膨らんでいた。
第二章:魂の核と、強烈な拒絶(腹切りやぐら)
しかし、八幡宮を出た後に向かった場所で、空気は一変する。 私がどうしても確かめなければならなかった場所――「腹切りやぐら」だ。
若い頃、私はここを単なる「心霊スポット」という軽い好奇心で訪れたことがあった。 だが、実際にその場に立ち、空間を支配する圧倒的な気配に触れた瞬間、その浅はかな考えは吹き飛んだ。そこは恐怖を感じる場所などではなく、「ただひたすらに敬意を示さなければならない場所」だった。武士たちの壮絶な最後と誇りが眠る空間に、尊敬に近い強い感情を抱き、他では絶対に味わえない「自分のルーツ(本質)」や「魂の核」に触れたような感覚が刻み込まれたのだ。
だからこそ、その後の人生で何度か再訪を試みた。だが、足を向けるたびに落石や土砂崩れでの通行止めなど、まるで目に見えない何かに阻まれるようにして、ずっと拒まれ続けていた。
「鬱で休職し、自分の本質と向き合っている今だからこそ、もう一度あの魂の核に触れたい」
八幡宮での高揚感を胸に、「今日こそは」と強い想いで足を踏み入れた。 だが、そこで待っていたのは、これまで以上に目に見える形での強烈な拒絶だった。
入口付近で立ちはだかったのは、2匹のスズメバチ。その境界線を越えることを決して許さない威圧的な威嚇に、私は身の危険を感じ、またしてもそこを後にせざるを得なかった。
「また、ダメだったか……」
何度も拒まれる切なさと理由のわからない敗北感を抱えたまま、私は次の場所へと足を進めるしかなかった。
第三章:安らぎと素通り(妙隆寺・本覚寺)
腹切りやぐらでの緊張感と落胆を抱えたまま辿り着いた「妙隆寺」。 ここでも丁寧に名乗りを上げて手を合わせると、今日の行程の中でもひときわ澄み切った安らぎと、包み込んでくれるような歓迎の気が満ちていた。冷えた心がふっと解きほぐされるような穏やかな時間。
その後に向かった「本覚寺」は、鎌倉駅からも近く、日常の賑わいが残る開放的な場所だった。 しかし、境内を歩きながら心に浮かんだのは「ここも違う」という素っ気ない感覚。自分の魂が探している波長とは、明らかにズレていた。
第四章:姿なき羽音(妙本寺)
総門の前に立った瞬間、「もしかしたらここかもしれない」という予感が走った「妙本寺」。 木々が空を覆い、緑の静寂が広がる長い参道を一歩ずつ進む。しかし、本堂で「私は こた と申します。私をお呼びの方を……」と参拝理由を告げている最中、言葉を発しながら少しずつ「ここでもない」という違和感が膨らんでいった。
ふと目に入った脇道の階段。先を登っていく2人の参拝客の背中を追い、足を向けたその瞬間――。
頭上から響き渡る、姿の見えない異様な羽音。 前の2人は何事もなく通り過ぎたのに、一歩足を踏み出した「私だけに」向かって、羽音は耳元まで迫ってくる。飛び上がるように階段から足を引いた。
「貴方方は私を嫌ってますね」「失礼致しました」
何故だかわからないが、そういう考えが込み上げてきた。
鳥居をくぐり抜け、振り返ってお辞儀をしたとき、不思議と心は澄んでいた。 それは嫌われた悲しみではなく、あちら側の確固たる意思と境界線を理解し、受け入れたからこその潔い納得だった。
第五章:真の窓口と大いなる気づき(宝戒寺)
そして辿り着いた「宝戒寺」。こここそが、今回の旅の真のハイライトだった。
かつて北条一族が最後を遂げた東勝寺(腹切りやぐら)の跡地。その魂を弔うために建てられたこの寺の境内に立った時、なぜ腹切りやぐらが私の「魂の核」でありながら、同時に「長年の拒絶」を繰り返してきたのか、その理由が鮮やかに解き明かされていく。
「自分の本質があの腹切りやぐらにあるのは間違いない。だが、彼らは自分など到底及ばない誇りと精神を持ち合わせた方々だ。直接お会いしようなんて、あまりにも頭が高すぎたのだ」
だからこそ、腹切りやぐらでは何度も弾かれ、妙本寺でも姿なき音で止められたのだ。 彼らを敬い、自らの本質と正しく向き合うための「現世の正規の窓口」として、自分はこの宝戒寺へ導かれていたのだと納得がいった。
直接入ることは許されなくても、窓口を通して敬意を払い、自らの尊厳と畏れ多さを知って一歩引く。 その姿勢に思い至った瞬間、胸の奥でカチリと音がして、ずっと探していた夢の1ピースが完璧にはまった。
終章:光の射す方へ
本質に触れつつも、まだ数ピースの謎が霧の中に残されている。 しかし、手応えはある。「近づいている」という確信の熱量は、今も胸の中で燃え続けている。
腹切りやぐらの「死と誇りの歴史」に敬意を払い、時が満ちていないことを受け入れた今、私のコンパスが指し示しているのは、圧倒的な生と浄化の光が満ちる場所。
「次は江ノ島だ」
静寂の森を抜け、一歩ずつ本質へと近づく探求の旅は、青い海と光の開かれた舞台へと続いていく。
▼【第2部:江の島編】へ続く
【今夜の1杯と1曲】
🍺 今日のお酒:トリスハイボール(トリス4リットル買ってます。安さは正義)
🎵 今日の一曲:ヒトリエ「Novembre」(目蓋を閉じて。聴き入って。共感して。少しの。ほんの少しの覚醒感を覚えて。)
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