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イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第一話


その日、彼は空を見ていた。

意味もなく。
ただなんとなく。

青空に白い雲が浮かぶ、いつもと変わらない空だった。

「どいてぇーーーーーー!」

大声とともに、空から何かが降ってきた。

迫り来る小さな影が彼の黒い瞳に映った時には、もう遅い。

避けることもなく、すべてを受け入れようとした彼の口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。

ぷにゅん。

柔らかな感触が、彼の顔いっぱいに広がる。

彼の顔に猫が降ってきたのである。

猫の前足――肉球が触れた瞬間、彼の中で何かが弾けた。

これが後に、神の啓示と呼ばれる瞬間である。




猫から始まる世界征服 第一話


「ごめんなさい」

彼の顔を踏んだはずの猫の姿は、すでになかった。

頭に残っているのは暗闇と、あの柔らかな感触だけ。

正確には、倒れた彼の頭を隠すように少女が馬乗りになり、スカートが彼の視界を覆っている。

ぱっと見では、痴女である。

彼から見れば、幸運でもある。

「きゃっ! ごめんなさい!」

少女はすぐに立ち上がり、恥ずかしそうにスカートの端を掴んで頭を下げた。

白に近い銀色の長い髪を持つ、整った顔立ちの少女だった。

ただ、一つだけ人間とは違うところがある。

頭には小さな猫のような耳があり、申し訳なさそうに垂れていた。

彼は顔を押さえながらふらふらと立ち上がると、何度も頭を下げる少女を見つめた。

顔を上げた少女の薄い水色の瞳と、彼の黒い瞳が重なる。

その直後、彼は深々と頭を下げた。

綺麗なお辞儀だった。

まるで王の前に頭を垂れる騎士のように。

「ありがとうございます!!」

彼の大きな声が辺りに響いた。

「……えっ?」

少女から困惑の声が漏れる。

頭を下げたまま微動だにしない彼を見ても、何に感謝されているのか理解するには情報が少なすぎた。

彼はゆっくりと頭を上げ、落ち着いた声で言った。

「もう一度、お願いします」

少女の目つきが、みるみる変わっていく。

そこには何かを悟ったような侮蔑の色が浮かんでいた。

「あなたも、変態さんですか?」

少女は、真顔でもう一度顔を踏んでほしいと頼む男を見つめている。

正確に言えば、ドン引きしている。

「違う違う! そういう意味じゃなくて、君の足……肉球に運命を感じました!」

絶望である。

彼は何を言っているのだろう。

「踏みません。それに、あなたのせいで魔法が解けてしまったわ」

少女は即座に拒否すると、スカートについた埃を払いながら自分の姿を確認した。

見た目は人間の少女とほとんど変わらない。

ただし、頭には猫のような耳があり、腰から伸びた長い尻尾がぴくりと動いている。

彼はその姿を見て微笑んだ。

「じゃあ、せめて名前だけでも教えてください!」

彼は本気だった。

黒髪に黒い瞳。

黒い革鎧を身につけた、一見すると冒険者にも見える男が、猫耳の少女に懇願している。

不審者である。

「変態さんには教えられません」

少女は腕を組み、さらに警戒を強めた。

「俺の名前はワン。こんななりだが傭兵をしている。怪しい者じゃない」

急に早口になったワンを見て、少女の目はさらに厳しくなる。

「私、急いでいるの!」

少女が走り出そうとした、その時だった。

「いたぞ! あっちだ!」

遠くから男たちの怒鳴り声が聞こえた。

ワンは離れた場所にいる男たちの姿を確認すると、少女へ視線を戻した。

「イタッ……!」

少女は声のした方を気にしながら走り出そうとして、足首を押さえたまま座り込んだ。

どうやら足を捻ったらしい。

だが次の瞬間、少女の体がふわりと浮いた。

ワンが両手で抱き上げ、そのまま走り出したのである。

「何してるの!」

少女は腕の中で暴れながら、ワンの顔を見た。

「追われてるだろ?」

それだけ言うと、ワンはさらに速度を上げた。

「待てーーー!」

後ろから男たちの声が迫ってくる。

嫌がる少女を抱えたまま、薄ら笑いを浮かべて走るワン。

事情を知らない人が見れば、誘拐事件である。

しばらく街道を走ったワンは、少し開けた場所まで来ると少女をゆっくりと下ろした。

そして、そのまま追ってくる男たちの方へ歩き始める。

「ワン。どこに行くの?」

少女は痛めた足首を気にしながら立ち上がろうとしていた。

ワンは振り返ると少女の肩に優しく手を置き、そのまま座っているよう促した。

「お願いがあるんだけど、あいつらを何とかしたら名前を教えてくれる?」

ワンの瞳は真剣だった。

少女はその言葉の意味を理解すると、思わず吹き出した。

「いいですよ。なんでもお願い聞いてあげます」

「なんでも!?」

「いやらしいこと以外です!」

少女は慌てて胸元を両手で隠し、自分の軽はずみな発言を後悔した。

「じゃあ、名前と……」

「やっと見つけた!」

ワンの言葉を遮るように、怒鳴り声が響いた。

その瞬間、ワンの顔から表情が消えた。

少女を背にして振り向くと、山賊風の男たちが笑いながら近づいてくる。

「おう、お前。それは俺たちの獲物だ。さっさと置いて――」

男の言葉が途中で途切れた。

「ギャアッ!」

悲鳴とともに、一人の男が腹から血を流して倒れ込む。

いつ剣を抜いたのか。

男の目の前には、すでにワンが立っていた。

「お、お前……正気か!」

残った男たちは慌てて腰の剣に手をかける。

その時には、二人目が首を押さえながら地面に崩れていた。

「みんなでやっちまえ!」

男たちが一斉に襲いかかる。

ワンは何も言わない。

振り下ろされる剣を最小限の動きで避け、そのまま最短距離で自分の剣を振る。

一人倒れる。

次の剣をかわし、また一人倒す。

そこに怒りも焦りもなかった。

必要だから斬る。

ただ、それだけだった。

最後に残った男が、血の気を失った顔で後ずさる。

「黒獅子……」

その声は震えていた。

ワンは答えない。

無表情のまま男との距離を詰め、剣を突き立てようとした。

「ワン。だめ!」

少女の声が響いた。

握られた剣が、ぴたりと止まる。

それまで何の感情もなかったワンの顔に、穏やかな表情が戻った。

少女は目の前に広がる惨状を見つめながら、ワンに向かって叫んでいる。

ワンはそんな少女を見たあと、男の肩に剣を突き刺した。

「ぐっ……!」

男が苦悶の声を漏らす。

ワンは返り血のついた顔のまま、にこやかに笑った。

「次はない。わかった?」

男は何度も頷いた。

ワンがゆっくりと剣を抜くと、男は肩を押さえたまま一目散に逃げていく。

その姿を見送ったワンは少女の方へ振り返り、満面の笑みを浮かべた。

「君の名前は何?」



これが、すべての始まりだった。

後の歴史家は語る。

天啓は降りた。

聖女と出会った男が、世界を作り変える。

彼は世界を欲したのではない。

ただ、彼女の居場所が世界になかっただけだったと。



🔜第二話



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