ガンの手術で声を失う
モラ夫との40年を棚卸し中の還暦ヨガ講師です。
ちょうど2か月前に、夫の喉に腫瘍が見つかり色々な検査を経て、下咽頭ガンの告知を受けたのが1か月前です。ガン専門病院に転院し、更に検査を受けてようやく手術日が決まりました。
自分の気持ちの動きを記録しておこうとnoteに書くことにした、告知を受けた1か月前の気持ちはこちらに記しています。
最終的な治療が決まるその日の主治医からの説明は、ステージⅢの進行ガンであること、腎臓の数値が良くないので抗がん剤治療が出来ないこと、咽頭のガンを声帯ごと摘出する為、声を失うということ。
この2ヶ月間、病院に通い診察室で担当の医師の説明を受けてきました。喉に腫瘍があるがわかった日、その腫瘍が悪性であるとわかった日、食道や胃にも転移があるかもしれないと言われた日。そこでは涙することもなく、先生の説明をただ聞いていた。何の感情も持たずに。夫は喉の痛みや詰まりは多少あっても、食べたい物を食べ、飲みたいお酒を飲み、いつも通りの生活をしていたので、喉にできた腫物を取れば終わる。もしくは抗がん剤で小さくしたり放射線を当てれば消える。と、安易に考えていたからです、きっと。何の実感も持てずに。
声を失うということ。突き付けられ事実が受け入れがたく、私は診察室で初めて涙と鼻水を流し、看護師さんがティッシュを差し出してくれました。怖くて夫がどんな表情をしているのかを見ることは出来なかった。あたしなんかより、何十倍も驚いていたでしょう。
会話ができるのは、9/30の手術の日まで。9/2に予定している患者さんが、手術を渋っているのでキャンセルがあればその日に早まるかもしれません、とのこと。
その手術が終わると声を失う夫。
次男以外の3人の子供達は結婚して別に暮らしており、夜はほぼ二人で毎晩晩酌をしています。夫はテレビ大好き人間なので、ずーーーーっとテレビを観ながら飲んでいます。私はスマホを見ながら飲んでいます。ふたりで居ても会話と言えば、テレビを観ている夫が感想を言ったり、行ったことがある場所が出てくると、ほらほら、ここ行ったよね!と思い出してみたり。

こんな事態となり、結婚して40年間本当に心が通い合う言葉のやり取りはあったのかな?高圧的な夫は口を開けば、命令ばかりだった。何でも勝手に決めてしまって事後承諾ばかりだった。と考えていた。
世の中には色々な夫婦の形があるとは思うけれど、たくさんの会話をしてお互いの意見を交換して、ふたりで決めていく。夫婦の人生設計って相談して決めるんだよね?うちの場合は、相談なくスタスタと先を歩いていく夫の後ろ姿を、子供達の手を引いて置いていかれないよう追って行くような日々。私の意見など求められることなく進んでいたけれど、私もそんな人生に思考停止して楽をしていたのかもしれない。
その昔は強い口調で話してくる夫に、心の中では『黙れ』と繰り返しながら、聞き流して逆らうことはしなかった。
でも、よーく考えてみてごらん。と自分に聴いてみる。40年も一緒に暮らして、一緒に4人の子育てをしてきたんだよね?子供達の成長を喜んだり、悩んだり、子供達を幸せにするために、たくさんの会話があったに決まっている。そして私達は親としても成長してきたのですもの。子供達は高圧的な父親を疎ましく思ったこともあったのだろうけれど、愛情表現の下手くそなこの人の性格を良く理解している。手術のことを子供達ひとりひとりに伝えると、みんな涙を流していた。一番、父に心配をかけている次男などは、オイオイと声をあげて泣いた。
モラハラ夫と共依存する妻である私達夫婦。子育てが終わり、ふたりの時間が増えてきたら、じゃあ出かけてみよっかと、ふたりで山歩きをしたり、温泉巡りを始めました。子供達が小さい頃から出かけていたキャンプは、ふたりになった今も続けている。隣り合う車中での会話はどんなことを話していたっけ?山歩きの最中には?キャンプで焚き火を見てお酒を飲んでいる時には?温泉旅館で向かい合って食事をしている時には?

その時々で、心の通う会話がきっと、あったのでしょう。会話できることが当たり前過ぎて、心に刻もうという意識などなかったから、忘れているだけ。
手術までの時間は、どんな会話も心に刻もう。大好きなカラオケに行って歌を唄おう。私達の十八番はヒデとロザンナの「愛の奇跡」なのです。
