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「一針入魂」について、もう少し考える

前回、今回の事件に対する消費者の反応について書いた。

「PORTERよ、お前、外注で作ってたんか!」という反応に驚いた話
https://note.com/samepot/n/n3295cf418cc3

その前には、吉田カバンの「一針入魂」と、その製造を支えてきた国内メーカーについても書いた。

「『一針入魂』は誰によって形になるのか――吉田カバン、TANKER、そして国内メーカーたち」
https://note.com/samepot/n/nd00d837e2643

今回は、その続きである。


昭和期における主従関係

吉田カバンには「一針入魂」という言葉がある。創業者・吉田吉蔵氏が掲げた言葉である。そして、吉田カバンの製品を作る下請けメーカーにも、この「一針入魂」が飾られている。

一針一針に魂を込める。ものづくりの心構えとして、悪い言葉ではない。ただ、下請けメーカーに飾られているのを見ると、私はどうしても少し封建的なものを感じる。

自分たちの名前では売られない。商品にはPORTERのネームが付き、売るのも吉田カバン。売れてブランド価値が上がるのもPORTERである。その下で、

「一針一針、魂を込めてね」

と言われる。

かなり意地悪に言えば、**「親方のために、しっかり頑張ってね」**ということである。監督が厳しい強豪校が「一球入魂」と横断幕をかけるのと似ている。

昭和期には当たり前だったのかもしれない。しかし、昭和期における主従関係は、現代においては謎なのである。

今回の報道に対する消費者の反応を見ていると、この辺りにも大きな認識のズレがあったように思う。まさか、そんな昔ながらの親方と下請けのような構造になっているとは思わず、困惑したのだろう。

韓国でも、私が見た範囲では同じような反応だった。そして、その誤解に拍車をかけていたのが「一針入魂」という言葉ではないだろうか。この言葉だけを聞けば、吉田カバンの職人が、自分たちの工場で一針一針作っているようにも聞こえる。

ところが吉田カバンは、少なくとも2017年の時点では自社工場を持っていなかった。当時の吉田輝幸氏自身が「当社には工場がありません」と話し、国内48カ所の工房に縫製を依頼していると説明している。

現在は豊岡に「有限会社 吉田鞄製作所」という鞄製造工場が存在する。つまり、吉田カバンが自社の製造拠点を持つようになったのは、長い歴史から見ればかなり最近の話である。

PORTERの歴史の大部分で、その「一針」を入れてきたのは外部メーカーや、そのまた下請けの職人たちだったのである。

ここで、一つ切り分けておきたい。

今回、タカアキの元役員が不正をしたことを、「吉田カバンが下請けを搾取していたからではないか」という話につなげるのは間違いだと思う。下請け構造の問題と、今回の不正は別の話である。

少なくとも、安い工賃で酷使された一人の職人が、生活に困って商品を持ち出した、という話ではない。彼は恵まれた立場にあり、会社の役員でもあった。

今回の不正については、やった本人の責任である。

だからこそ私は、今回の事件を材料にして「吉田カバンが下請けを搾取した結果だ」と言いたいわけではない。それとは別に、何十年もブランドの商品を作り続けるメーカーと、ブランドとの関係はどうあるべきなのか。

「一針入魂」という言葉を考えるなら、私が気になるのはそちらである。


外注は悪ではない

念のため書いておく。私は外注生産を否定しているわけではない。むしろ、そんなものは普通である。

master-piece、土屋鞄、カワニシカバン、ハーヴェスト、PELLE BORSA。

いずれも自社工場を持ち、ものづくりを強く発信しているブランドだが、私が確認している範囲では、外部メーカーにも生産を委託している。

土屋鞄について確認しているのは、ランドセル以外の一般鞄だけである。ランドセルについては知らない。すべて自社製かもしれない。

有名海外ブランドも同じである。

LVMHの公式資料を見ると、Louis Vuittonは29の革製品工房を持ち、革製品の大部分をそこで生産している一方、自社生産を補完するため外部メーカーも利用している。Christian Diorも革製品について外部企業を利用している。

ノースフェイスやアークテリックスなどのアウトドアブランドも、外部の工場を使って生産している。

つまり、「自社工場を持っている」ことと「全部を自社工場で作っている」ことは、まったく別の話である。

私自身、以前ヨーロッパのラグジュアリーブランドのOEMをした際、契約書に、そのブランド名を開示することで利益を得てはいけない、という趣旨の条文があった。

要するに、「うちは○○を作っています」ということ自体を営業材料にしてはいけないのである。

別におかしな契約だとは思わない。ラグジュアリーブランドなら当然なのだろう。ただ、こうした契約が積み重なるほど、実際に誰が作っているのかは消費者から見えなくなる。


自動車業界は少し先を行っている

もっと分かりやすいのが自動車である。自動車メーカーは巨大な自社工場を持っているが、一台の車を全部自社で作っているわけではない。

シート、ガラス、ランプ、ワイヤーハーネス、電子部品、樹脂部品。膨大な部品を外部メーカーが作っている。

それでも誰も、

「トヨタ車なのに、シートをトヨタが作っていない!」

とは怒らない。

さらに面白いのがOEMである。ダイハツが開発したロッキーは、トヨタではライズとして販売されている。ダイハツ自身もロッキーとして売る。

逆もある。トヨタのカムリは、ダイハツで「アルティス」という名前で販売されていた。

だが、そのアルティスを街で一台も見たことはナイティス。

作る側と売る側が、案件によって入れ替わる。そして、自分たちで開発したものは、自分たちの商品としても残る。ものづくりにおける知的財産の扱いとして、この形はかなり進んでいると思う。

ただし、自動車業界が何もかも近代的かというと、もちろんそんなことはない。

トヨタ自動車を頂点に、トヨタ車体、トヨタ紡織をはじめ、巨大な系列企業群が連なる。その力関係は鞄業界の比ではない。

発注量、設備投資、品質基準、取引継続。完成車メーカーの判断ひとつで、取引先の経営そのものが左右される。ある意味では、鞄業界など比較にならないほど封建的で、絶対的な力関係が存在する。

それでも、部品メーカーは自社の技術を持ち、特許を持ち、複数の完成車メーカーへ供給する。完成車メーカー同士でもOEMをする。

私が自動車業界を先進的だと思うのは、その部分である。


作った側には何が残るのか

では、鞄業界はどうだろう。

工場はブランドから依頼を受ける。型紙を作り、サンプルを作り、縫い方を考え、材料を考え、量産できるよう工程を整える。ブランドが描いたものを、実際の商品にする。

それを10年、20年、30年と繰り返す。

商品が売れれば、ブランドには知名度と顧客と商品アーカイブが残る。

では、作ったメーカーには何が残るのか。

技術。経験。設備。そして次の仕様書。

場合によっては、自分たちが作ったブランドの名前すら営業には使えない。

それだけでは少し寂しい。

もちろん、委託された商品を勝手に自社ブランドで売ればいいという話ではない。それはただのパクリである。

ただ、自分たちで考え、自分たちで開発したものまで、全部発注者のものにする必要もない。


ヒロシさんと焚き火台メーカーの話にもつながる

この辺りは、以前書いたヒロシさんと焚き火台メーカー「笑’s」の話にもつながる。

「ヒロシさんと焚き火台メーカー『笑’s』が揉めている件について思う」

誰が考えたのか。誰が設計したのか。図面は誰のものなのか。メーカー側が考えた構造や製法は誰のものなのか。

ここを曖昧なまま進めれば、後で揉める。

私は、OEMをやめればいいとは思わない。OEMにはOEMの良さがある。

ただ、作る側も知的財産を持っていい。

自分たちで開発したものを自社ブランドで売る。必要なら他社にも供給する。逆に、他社が開発したものを供給してもらうこともある。

親方から仕事をいただき、その仕事に魂を込め、また次の仕事をいただく。

それだけが製造業の形ではない。


「一針入魂」はそろそろいいのではないか

「一針入魂」。

良い言葉だったのだと思う。ただ、今となっては少し時代にそぐわない。

実際に一針を入れているのは、吉田カバンの社員だけではなく、多くの外部メーカーの職人たちである。

その言葉が、消費者に実際とは違う生産風景を想像させているのであれば、もう役目を終えているのではないだろうか。

私は、「一針入魂」というスローガンは、早々に取り下げたほうがいいと思う。

その代わりに、誰が作っているのか。どんな工場や職人と一緒に作っているのか。

もちろん、契約上明かせないこともあるだろう。それでも、可能な範囲で生産の実態を見せる方が、今の時代には合っていると思う。

ちなみに、工場に飾られている「一針入魂」は筆文字である。誰の筆なのかは知らない。

あの筆は、気の抜けた素朴な書体である。

そして「一針入魂」という言葉から、多くの人が想像する職人像も、たぶん少し古い。

年季の入ったミシンの前で、ゴルフシャツを着たおじいさんが、黙々と一針一針縫っている。もちろん、そういう職人もいる。

でも実際にそのミシンを踏んでいるのは、若い主婦だったりする。しかも、そういう若い女性のほうが、圧倒的に器用だったりする。

別に一針一針に魂など込めていない。

「今晩のおかず、何にしよう?」

などと考えながら、ものすごくきれいに縫っていたりする。

それでいいのだと思う。

ものづくりの現場は、とっくに昭和の職人像だけではない。

だったら、それを表す言葉の方も、そろそろ変わっていいのではないだろうか。

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