ゆく年はどこに行く
今年も一年、
お付き合いいただきありがとうございました。
大晦日と言っても、
365日中の1日に過ぎないんですが、
やっぱり今日で終わりと言われると
なんかいつもと違う感じがします。
今日で一年が終わってしまう。
ああ、今年が行ってしまう、と
なぜか感傷的な気分になってしまいます。
別に12月30日だって行っちゃうのにね。
行ってしまうと言いますが、
じゃあどこに行くのか。
行くと言う以上はどこか行き先があるはず。
そう聞かれたら、そりゃ、過去に行くんだと
答えるでしょう。それしか言いようがない。
毎年年末になると年が行ってしまう。
僕も65年も生きていますから、
毎年毎年行っちゃった年が、
過去という倉庫にいっぱい溜まっている。
ちゃんと整頓できていないから、
ごちゃっと詰め込まれて溜まっている。
大掃除も大切ですが、
この倉庫の整理もやった方がいいのかも、
なんて思ったりします。
大晦日の夜、まさに年がかわるとき、
テレビでは「ゆく年くる年」が流れます。
これはもうずっと昔から、
僕が物心ついたときにはもうやってました。
それどころか番組自体はもっとずっと昔、
戦前からやってたようです。
昔のタイトルは「除夜の鐘」だったとか。
これはこれで渋いですね。
これが1955年の暮れに
「逝く年、来る年」というタイトルになった。
(wikiに書いてありました)
これ、ちょっと衝撃です。
「ゆく」は「行く」じゃなくて「逝く」だった。
行き先はあの世だったのか・・
お寺の除夜の鐘とは親和性が高いとも言える。
確かにこっちの方が、
もう消えてしまう今年という年を惜しむ
その感覚がより深いような気もします。
過去は溜まっていくものじゃなく、
消えていくものだったのです。
消えていく昨日にしがみつくんじゃなく
すっぱりと忘れて切り替えて新年を迎える。
なんかこっちの方が日本的な心情ぽいです。
タイトルの「逝く年」は2年くらい使われて
その後は今の「ゆく年くる年」になりました。
クレームがあったのかどうか分かりませんが、
印象はやわらかくなりましたね。
しかしこの「ゆく」年という言い方には
引き続きこだわりが感じられます。
「いく」ではなく「ゆく」にしたところに
どこか詩的なものがある。
「行く」は「いく」とも「ゆく」とも読む。
意味は変わりません。どっち使っても正解。
だけど若干ニュアンスが違う。
「ゆく」の方が文語的で語感もやわらかい。
母音が続いて流れるようなリズムになり、
年末年始のしみじみした雰囲気に合います。
しずかに年が“ゆく” → 感情や情景を含む
ただ年が“いく” → 事実を述べる感じ
「いく」は何か客観的で、
まあそうだよねと思う。ただ日付が変わるだけ。
「ゆく」はアナログ時計の針が通り過ぎる、
「いく」はデジタル時計がパラっとめくれる、
そのくらいの違いがある気がします。
やっぱり年越しは「ゆく」の方がいいですね。
「ゆく年くる年」は、
そういう事情もあって「ゆく」はひらかなです。
「くる」の方もそれに合わせてひらかな。
こっちは別に漢字でもいいのにね。
まだ来てない来年を今年に付き合わせている。
ちょっとだけ今年の未練を引きずっている
そんな気もします。
そんなこんなで来年も続きます。
引き続きよろしくお願いします。
