白ワインって白くないじゃないか
と、子供みたいなことを言っていますが、
疑問に思ったことはないですか。
白ワインは白くない。
本当に海外の人の言葉遣いはいい加減だ、
と言いたいところですが、
日本だって「白味噌」と言います。
ぜんぜん白くないのに。
魚の白身だって、よく見ると白くはない。
ここまで来ると、
この白は「白色」のことじゃない、
という気がしてきます。
こういう白の使われ方を
されているものを並べてみると
共通点があって、
だいたい「対」になっている。
そして相手はたいてい赤い。
紅白はおめでたいから、
という話ではないでしょう。
赤ワインがあるから白ワインがある。
赤くないワインを、
とりあえず白と呼んだ。そんな感じです。
つまり白とは、
直接色を指しているのではなく、
「色がないもの」を表している。
そこまでは、まあすぐに分かります。
でも、それなら「透明」でいいじゃないか、
と思うわけです。
1に対して0。ゼロの状態。
白は透明の代用品なんじゃないか。
ただ、透明ワインはまだしも、
透明味噌となると一気にSFっぽい。
そもそもあまり美味しそうじゃない。
たぶんこの白は「何もない」というより、
「素」なんだと思います。
もともとあった状態。加工前。
手を加えていないことのたとえ。
潔白、なんて言いますしね。
そう考えると、この白はもう色ではありません。
状態を示す言葉です。
「そうではないものに白を当てはめる」
のではなく、
白は「何かが付く前の基準点」。
そこから赤が生まれる、という順序。
赤があって、白が残りものとして
名付けられたのではない。
赤は色づいた結果で、
基準はどちらかというと白の方だった。
これ、色の話をしているようで、
実は時間や変化の話でもある気がします。
このあたり、
「白」の使われ方は、かなり哲学的です。
それでも、基準やゼロの状態を表すなら、
やっぱり白という「すでにある色」より、
無色の方が正確じゃないか、と思ってしまう。
でもこれは、「言葉がなかった」というより、
白が先にその役割を担ってしまった、
ということなんでしょう。
見えないものを色として扱うのは、
かなり高度な概念です。
一方で、雪や骨や米のように、自然界で
「何も混じっていない」状態に見えるものは、
だいたい白い。
人はそっちに飛びついてしまった。
それに、透明は基準にするには不安定すぎます。
ガラスも水も空気も、背景次第で存在が揺らぐ。
白ははっきりしている。
正しい。強い。基準にしやすい。
透明は結局「何もない」感じがして、
ちょっと信用ならない。
白は「何もない」けれど、
「何もないまま、ちゃんと在る」状態を示せる。
透明は、哲学的には美しい。
でも日常言語としては、
基準になるには繊細すぎた。
白は雑で、強い。
だから勝った。
面白かった。
白、勝った。
全く繊細じゃない締めで終わります。
