適量で快適な暮らしの哲学#6(完)|「適量で快適」はゴールではなく、育てるもの
こちらの続きです。
片づけが終わった達成感。
スッキリとした部屋。
好きなものと必要なものが揃う、落ち着いた空間。
自分の家の中が、一番居心地が良い。
心からリラックスできる。
精神的な安定感と温もりのあるGemütlichkeitな暮らしは、日常を支える基盤です。
ミニマリズムやシンプルにとらわれていた頃と比べると、モノの数は増えました。
けれどミニマリズムの考え方は根底に流れているので、必要以上のストックや「同じケーブルが5本も6本もある」という状態にはなっていません。
「適量で快適」とは、完成させるものではなく、育てていくもの。
その時々で増えるものもあれば、減るものもある。
モノの出入りがあるからこそ、余白も余裕も感じることができる。
暮らしは、作品ではありません。
飾っておくものではなく「生きている間ずっと変化し続けるもの」です。
だからこそ流れを止めてしまうと、息が詰まる。息が詰まってしまっては、快適ではなくなります。
生きているわたしたちと同じように、暮らしもアップデートされ続けて良いのです。
「適量」は常に変化するもの
「適量」という言葉を使うと、「適正な数」「最適化された状態」という具体的な数値や基準を想像するかもしれません。
ですが適量とはゆるやかで、可変的です。
季節が変われば、心地良さは変わります。
年齢が変われば、似合うものも変わります。
家族の形、仕事の状況、趣味、体力、好み…
暮らしを取り巻くものは、常に変化しています。
つまり、適量が変わるの自然なこと。
春は明るい色の服が増えてもいいし、冬は電気膝掛けを買い足しても良い。
新しい趣味を「モノが増えるから」と断念してしまっては、自分の世界は広がりません。
多忙な時期は便利家電に頼って良いし、心が弱っている時は「ちょっとした贅沢」を日常の中に足して良い。
自分が快適だと思う状態には、幅や揺らぎがある。
余白も余裕も、両方あるから幅を変えることができるし暮らしが充実する。
好きなこと、快適だと思うことを暮らしの中心にする。
揺らぐことこそ、生き生きとした暮らしの証だと思うのです。
「適量で快適」は固定化するのではなく、その時々の自分に合わせて育てていく暮らし方。
この続きでは、自分の「好き」の育て方を深掘りしていきます。
正解を探す暮らしから、自分で選ぶ暮らしへ
可愛いと思ったアクセサリーを「イヤリングはもう3つ持っているから」と断念したり、帽子は2色あるからこれ以上は不要、と鼻から見もしない。
以前のわたしは、こうでした。
ミニマルにシンプルにしなきゃ、という気持ちだけで判断し、自分の「好き」という気持ちを封じていました。
物欲は敵だと思っていたし、極端なミニマリストに達したときは一時的なものとはいえ「物欲がなくなった」ことに感動したりもしました。
でも、考えてみてください。
物欲って本当に敵なのでしょうか。
これが欲しい、良いと思う、素敵だから手元に置いておきたい。
そう思うこと自体は悪いことではないですよね?
「好き」「良いと思う」「素敵」だと思う感性を育てることこそ、快適でGemütlichkeitな暮らしに近づいていくのだと思うのです。
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