「時代のプリズム」展──平成を閉じ込めた“ガラス箱の記憶” 1989–2010年の現代美術と社会を振り返る
展示写真が盛り沢山でネタバレを含む記事になります。※展示日程は 2025年9月3日(水) ~ 2025年12月8日(月)まで
観覧前の方、要注意です。
この記事でわかること
・国立新美術館で開催中の「時代のプリズム──日本で生まれた美術表現1989–2010」展の全体像
・1989〜2010年という時代背景と美術表現の関係
・柳幸典、椿昇、川俣正、西山美なコ、森万里子の5作品から見える日本美術の多様性
・気になった作品の展示写真
「時代のプリズム」展について──なぜいま1989–2010年なのか
国立新美術館で開催中の「時代のプリズム──日本で生まれた美術表現1989–2010」展に行ってきました。タイトルにある通り、1989年から2010年までの約20年間に生まれた日本の現代美術を振り返る内容です。


今回の展示の主題である1989年から2010年は、歴史の授業で学んだ冷戦の終結やバブル経済の崩壊といった出来事が、美術の現場にどんな形で刻まれているのかを確かめる機会となりました。オウム真理教事件や阪神淡路大震災の記憶は、社会全体の「安全」という感覚を揺るがし、2000年代にはインターネットや9.11を経て「世界が急につながってしまった」という実感が僕だけではなく、多くの人も強まったように思います。
今回の展示は、そうした時代の変化をアーティストたちがどう受け止め、作品にしていったのかを示していました。そのなかで特に印象に残った5作品を取り上げ、自分の体験や考えと重ねながら記録したいと思います。

1. 柳幸典《ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム 1991―アジア》
柳幸典さんは1959年生まれの現代美術家で、90年代の日本美術を国際的に押し上げた作家のひとりです。彼の代表作として知られるのが「アント・ファーム(蟻の巣)」シリーズであり、今回展示されていた《ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム 1991―アジア》もその重要な一作でした。柳さんは国旗や国家といった強固な象徴を、自然界の営みである「蟻の行動」に委ねることで、ナショナリズムや国境の意味を根底から問い直しました。

作品は透明なボックスの中に色砂で各国の国旗が描かれ、その中を生きた蟻が自由に動き回ります。チューブを通じて隣の国旗へ行き来する蟻たちは、砂を掘り崩し、混ぜ合わせ、時間とともに旗のイメージを壊していきます。会場に入ったばかりの、展示の冒頭でこの作品を見ると、「国境は絶対的なものではなく、自然の営みによって容易に侵食される」というメッセージを感じました。
歴史を振り返ると、当時は冷戦の終結、グローバル化の始まり、そして経済的にはバブル崩壊という時代。国家という枠組みが揺らぐ一方で、民族や地域の対立が新たに顕在化していく局面でした。柳さんの作品は、そんな不安定な世界を、蟻の営みという普遍的で誰にでもわかるモチーフで表現しています。

また、現代の僕たちが直面している分断(ここ最近の僕のSNSのおすすめのタイムラインをスクロールすると、<排他主義>と思われるポストが飛び交っているのを目にします)や越境の問題と重ねて見ることで、この作品は古びていないと感じました。
SNSやデジタル空間における国境の崩壊と、現実世界での国境管理の強化が同時進行している現代にこそ、この作品の「蟻による国旗の侵食」はよりリアルに響いてきます。
国家という枠組みは人間がつくったフィクションにすぎず、自然界のルールの前では脆いものだということを、この作品は30年前にすでに示していました。アートは社会を写す鏡だと、ネットの言説、もしくは、何かの文献で読んだことも思い出しました。
2. 椿昇《エステティック・ポリューション》
椿昇さんは1953年生まれで、京都を拠点に活動してきたアーティストです。80年代から90年代にかけて「関西ニューウェーブ」の中心的存在として知られ、巨大なバルーンや過剰な装飾を用いたインスタレーションで注目されました。その派手な造形の奥に、常に都市文化や消費社会への批評が潜んでいます。

今回展示されていた《エステティック・ポリューション》は、黄色い巨大な球体から突起や装飾が生えているインスタレーションでした。表面は有機的なテクスチャーで覆われていて、一見すると不気味な生物のようにも、怪物化した人工物のようにも見えました。近づいて見ると、造形の「過剰さ」が逆に不安を呼び起こす。「美的汚染」というタイトルがふさわしいと思いました。

この作品を見ながら、僕は80年代後半から90年代初頭の日本社会を思い出しました。バブル経済の真っ只中、街には派手なデザインやゴージャスな装飾が溢れていた。その「楽しさ」は、崩壊とともに「空虚さ」へと反転しました。椿さんの作品は、その「美の暴走」が不安や異物感に転じる瞬間を鋭く示していたのだと感じました。
僕は美術館へ行くと、展示会場を2回、3回と繰り返し見るようにしています。全体を俯瞰する1回目、細部をじっくり見る2回目、そして最後に気になった作品を確かめる3回目──このように視点を変えていくと、作品の理解が深まるからです。最初は気に留めなかった作品が、全部を見終えた後に急に心に残る作品に変わることも少なくありません。
椿さんのこの作品は1度目を見ただけでは、SFめいた表情を持つ目立つ作品という印象を持ちそうですが、2度目、3度目にこの作品を見る時には、作品に近づいたりすることなどで、その異質さに気付き、最初に見た印象と違った印象になるのではないかと感じました。
3. 川俣正《トロント・プロジェクト1989/コロニアル・タヴァーン・パーク》
川俣正さんは1953年生まれで、都市空間への介入型プロジェクトで国際的に活動してきたアーティストです。足場用の木材を使い、仮設的な構造物を都市の中に出現させることで、建築と美術、社会とアートの境界を問い直してきました。

今回展示されていた《トロント・プロジェクト1989/コロニアル・タヴァーン・パーク》は、カナダ・トロントで行われた大規模プロジェクトの記録でした。再開発地区に足場のような木材構造物を組み上げ、都市の時間性と「解体から再生」へのプロセスを可視化するものです。展示会場では、その迫力ある記録映像や写真を通して当時の様子を追体験できました。

この作品を見て、僕は建築巡りをしているときの感覚と重なりました。完成した建築の美しさだけでなく、工事中や解体中といった「仮設の姿」にも強い魅力を感じることがあります。そこには都市が変化するリアルな時間が刻まれているからです。川俣さんはその「仮設性」自体を作品に昇華し、都市と人間の関係を問い直していたのだと思います。
もう一つ印象に残ったのは、この作品が「オブジェをつくる」だけでは終わらない点です。都市に介入するには行政や住民との交渉が不可欠で、そのやりとりそのものが作品の一部になっています。今回の展示でもプロセスが展示されていました。
また、僕はパリで実際の巨大な川俣作品を見たことがあります。
ベルナール・チュミが設計したラ・ヴィレット公園を訪れた時、偶然、川俣さんの作品も展示されていたのです。あの時パリでも、「川俣作品とは」を調べたり、この展示について英語の文献なども読み漁ったのですが、そこから11年経った今、こうして川俣作品を改めて振り返ることで、作品について知見を深めることができて良かったです。
4. 西山美なコ《ザ・ぴんくはうす》
西山美なコさんは1965年生まれで、90年代に「カワイイ文化」とジェンダーの問題を美術に持ち込んだ先駆的なアーティストです。ピンク色や少女文化のモチーフを全面に押し出したインスタレーションで、社会が女性に押し付けてきた「かわいらしさ」の規範を批評してきました。

《ザ・ぴんくはうす》は、その代表的な作品だそうです。
会場の一角に現れたのは、壁から床までピンクに覆われた部屋。リボンやハート、花などのモチーフが散りばめられ、少女マンガやおもちゃのカタログから抜け出したような空間です。(今回の展示では足を踏み入れることはできない展示方法でしたが)観客はそこに足を踏み入れることで、「かわいい」に取り囲まれる体験をします。しかし同時に、甘すぎる環境に居心地の悪さや不自然さも感じる、と解説に書いてありました。
この作品を見て思い出されたのは、90年代に流行していたセーラームーンや少女雑誌の世界です。当時の「カワイイ」は夢中で楽しむ対象でしたが、西山さんの手にかかると「それは本当に自由な表現なのか?」という問いに変わります。可愛さが純粋な自己表現ではなく、社会が女性に押し付けた「世界観」なのかもしれない──。
現代でも「かわいい」はSNSで常に消費されています。フィルターや加工技術によって誰もが「理想的なかわいさ」を演出できる一方で、そこに新しい規範が生まれてしまっている。西山さんの作品を通して、「カワイイを楽しむ自由」と「カワイイに縛られる不自由」という二面性を改めて考えさせられました。誰しもが可愛いに憧れる時代だからこそ、可愛いとは何なのか、考え込みます。
5. 森万里子《巫女の祈り》
森万里子さんは1967年生まれで、90年代に国際的な注目を集めたアーティストです。科学技術とスピリチュアルな要素、日本的な宗教観とサイバー文化を融合させた作品を数多く制作してきました。

《巫女の祈り》は、森さん自身が未来的なコスチュームをまとい、祈りを捧げる姿を映像化した作品です。衣装や装飾は宇宙的でテクノスピリチュアルな雰囲気を持ち、日本の伝統的な「巫女」とサイバー的な未来像が重なり合っていました。
画像を見てもわかるように森さんの衣装に、SF映画の世界観を思い出す人もいるかもしれません。
この作品を見ながら、90年代の空気を思い出しました。バブル崩壊後の不安定さ、オウム真理教事件に象徴される宗教と科学の混交、現実と虚構の境界が揺らぐ感覚。その時代背景の中で森さんは「祈り」という普遍的な行為を未来的な表現に変え、新しいスピリチュアリティを提示していました。
この時期は、宗教法人が話題になった時期でもあります。ひとりのカリスマ的指導者が信者を率いていく、という映像がワイドショーで流れていたことも思い出しました。
現代の僕たちにとっても、このテーマは他人事ではありません。AIやメタバースの発展により、祈りや精神性をどこに求めるのかが問われているように感じています。
森さんは30年前にその問いを先取りし、テクノロジーと宗教性を対立ではなく融合として描いていました。この姿勢に、現代社会を生きるうえでのヒントを感じました。科学と精神性のどちらかを選ぶのではなく、両方を受け止めて未来を考える。その視座を、この作品から受け取ることができました。
展示全体を通して感じたこと
会場を出て、僕の中に残っていたのは「1990年代以降の日本美術は、社会の不安をどう可視化するか」という一貫した問いでした。
柳幸典さんは国家や国境を「蟻」という自然の営みに委ね、椿昇さんはバブル文化のきらびやかさが「過剰」を越えて「異物」に変わる瞬間を示しました。川俣正さんは都市の工事現場や解体の時間を作品に変え、西山美なコさんは「かわいい文化」を社会が女性に押し付けた規範として問い直しました。そして森万里子さんは、サイバーな未来と宗教的な祈りを重ね合わせ、新しいスピリチュアリティを描いていました。
今回紹介した5アーティストは、それぞれ方法もテーマも全く違うのに、不思議と同じ地平を見ているように感じます。共通していたのは「既存の枠組みを相対化する」姿勢でした。国家や都市やジェンダーや宗教──揺るぎないと思われていたものが、90年代から2000年代にかけて次々と揺らぎ、崩れていった。その揺らぎをどう受け止め、表現に変えるか。今回の展示は、その試行錯誤の20年分をまとめて見せてくれたと思いました。
そして、それらは「日本だけの問題」ではないということにも気付かされます。日本の美術を扱う展示ではありましたが、冷戦後の国際秩序の変化、グローバル化、インターネットの普及、9.11以後の世界……どれも普遍的な出来事の中で、日本のアーティストたちはそれぞれが自分の方法で答えていたのだと感じました。
振り返ると、僕自身も当時は子どもで、ニュースやテレビで断片的に「不安定な時代」を知っていました。大人になった今、こうして美術を通して振り返ることで、その時代を別の角度から理解できる。ただの歴史の振り返りではなく、自分の生活や日々のSNSで目にする分断の光景とも自然に重なっていました。
写真でたどる展示の記憶
今回撮影した展示風景も掲載しましたので、すでに訪れた方には振り返りとして、これから行かれる方には予習として楽しんでいただければ幸いです。この展示を通して得た時間が、僕にとっても現代を考える大切なきっかけとなりました。

演劇的な自己像が印象的な作品です

ワシントン条約で禁止となった素材を使ったランドセル

特攻隊員役の役者と過剰な演出をする監督のやり取りが見所です

2012年に森美術館での回顧展に行っていた思い出が蘇りました

空港から街中までこの衣装を着続けて、闊歩する様子が収められた動画です

下記の福田さんの作品と見比べるのも楽しい展示でした

隣り合わせの部屋に作品が飾られているので、
森村作品を見て、福田作品を眺め、また森村作品を見るという周遊も楽しめます。

フィオナ・タンについてはこの記事を読むと理解が深まります

繋がりのない人たちの人生の断片写真を眺めます:鑑賞者のノスタルジーを誘う作品でした

文脈を意識せずともこの写真を見るだけで、誰しもが<社会>について考えを巡らす作品



博多に住む1人のタクシー運転手の人生に迫った作品

内容は漫画です。座ってじっくり読み切りました。味わい深い内容です。

実際に乗れない=「足の延長としての役割を拒否」している作品
観客が作品の周囲を歩くと、視線が自転車の輪郭に沿って巡り、空間そのものが身体化されます
この20年を振り返る展示を見ながら、僕は「当時」を知るのではなく、「いま」の自分の/日本の/世界の立ち位置について思いを巡らせました。国家、都市、かわいさ、祈り──揺らぎ続けるものにどう目を向けるか。
作品は結論を示すのではなく(だけではなく)、自分の考えを深めるきっかけになるものだと思います。「時代のプリズム」展、この秋、必見の展示だと思います。
📌 次回予告
次回は旅行記に戻ります。ブリュッセル編も残り2回です。【ブリュッセル現代アート巡り──ギャラリー3選と作品から見えた都市の息づかい】をお届けします。デザイン美術館で「モノ」を通じた文化史を辿ったあと、今度は現代アートの現場に身を置き、作品と空間を通してブリュッセルという都市の現在形を感じました。もし記事が面白いと思っていただけたら、ぜひ「❤️ハートボタン」を押していただけると励みになります。これからも連載を続けていくので、どうぞよろしくお願いします!
Profile
イタクラタツキ/板倉龍城
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現代美術、建築、音楽、ファッション──カルチャーの領域を横断しながら活動するスタイリストです。大学・大学院では建築を学び、現在は東京と大阪を拠点に、広告やファッションを中心に活動しながら、アートディレクションや企画、キャスティングも手がけています。
noteでは、日々の仕事で触れてきた“視覚文化の現場感覚”をもとに、都市やアート、ストリートカルチャーを記録しています。
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