AIは「神」か「武器」か。 パランティアCEOが突きつける、僕らの善意の限界
深夜、仕事部屋の灯りを消し、ちょっと古めのドローンのLEDや、Quest 3のレンズが放つ怪しい光を見つめながら、僕は途方に暮れていた。
かつて、「これで、見たこともない映像が撮れる!」と興奮したドローンが…
かつて、「これで、どんな世界の中にでも入れる!」と熱狂したVRゴーグルが…
いま、ニュースの中では、「最高の人殺し兵器」として大活躍しているからだ。
手元にあるものと全く同じテクノロジーが、ウクライナや中東の戦場では「最も効率的な殺人兵器」として最適化されている…
そんな居心地の悪い毎日の中、思わず手にしてしまったのが、今、世界中で大論争を巻き起こしている一冊の書物だった。
パランティア・テクノロジーズのCEO、アレックス・カープらの著書『テクノロジカル・リパブリック』だ。
読みはじめるなり、僕は言葉を失った。
本の中から、カープのこんな怒号が聞こえてきたからだ。
「そもそも、人類の歴史を動かすような大きな技術革新は、すべて国家主導によって起こったものだ。宇宙開発もインターネットも、原子爆弾だってそうだ。かつての偉大な科学者や技術者たちは、国家の大義のためにその情熱を注ぎ、命を懸けて技術を進歩させてきた。
ところが、いまのシリコンバレーの甘ったれたちはどうだ?
国家のおかげでヌクヌクと育った恩をすっかり忘れ、オンライン広告のクリック数稼ぎや、フードデリバリーが10分早くなるなんて、どうでもいい刹那的な消費文化のために、大量の資金と最高の頭脳をドブに捨てている。医療、教育、国防といった、『困難だが真に重要な国家の課題』から逃げ出して、おもちゃの国で遊んでいるエリートたちを、私は断じて許さない!」
僕は、唸った。
不覚にも「確かに、その通りかもしれない」と感じてしまったからだ。
カープは、この「いまのシリコンバレー」を、大量の資金と最高の頭脳を集めておきながら、「写真共有」や「チャット」「フードデリバリー」といった一過性の気まぐれなニーズを満たしているだけの「イノベーション砂漠」と呼んだ。
相変わらず、嫌味な物言いではあるが、そんなカープの怒りは、一見、冷酷なまでに正論に思えた。
でも――。
ちょっと待て。
どこかで強烈に引っかかる。
カープの主張に吸い込まれそうになる自分を、頭の中に鳴り響くアラームが必死に引き留めている。
「いや、それはどこか違うんじゃないか…?」
カープの論理は強い。マッチョだ。
だけど、その「国家主導のハードパワー」を全肯定した先にある未来を想像したとき、僕のアナーキー精神、いや、僕らがかつてシリコンバレーに夢見た「ロマン」が激しく拒絶反応を起こしている。
そこから、僕の頭の中で、カープの論理をバラバラに解体し、その一つ一つに反論するための孤独な戦いが始まった。
アラーム1:権力への本能的な警戒
カープは「命を守るために国家のデータ監視網を強化せよ」と言うけれど、公権力という怪物に最強のAIを委ねた瞬間、それはジョージ・オーウェルの『1984』のような「ビッグ・ブラザー」による完璧な監視社会の完成を意味するんじゃないか?
そもそも、シリコンバレーの原点は、ヒッピーカルチャーの中から「巨大な政府や企業が独占していたコンピュータの力を、個人の手に取り戻して解放する」というアナーキズムだったはずだ。
それを、甘ったれの恩知らずと言われても、そもそもの出発地点が違う。
アラーム2:「神話」がもたらす排除の恐怖
カープは社会の分断を防ぐために「共通のアメリカ文化」や「国家としての神話(アイデンティティ)」を取り戻せと主張する。
そして、その隙間を埋めるように広がったのが「SNS」だと断罪した。
だが、待って欲しい。ひとたび国家が「共通の物語」を定義し始めた時、そこから漏れ落ちる「異質な他者」を排除する地獄(ファシズム)が始まることを、僕らは昭和の歴史から痛いほど学んできたはずだ。
ドイツのヒットラーしかり、日本の特高警察しかりだ。
アラーム3:自由市場という名の、もう一つのインフラ
カープはSNSやフードデリバリーを「些細な消費者向けのオモチャ」と見下すけれど、国家主導のガチガチの官僚主義からは、絶対にiPhoneもYouTubeも生まれなかった。
人々の欲望が交錯する「自由市場」のボトムアップの競争があったからこそ、結果として国境を越えて人と人がフラットに繋がる、巨大な民間インフラが完成したんじゃないのか?
カープの言う「現実」に頷きそうになる自分と、それを「狂気だ」と拒絶する自分。
ただ、こうして整理してみると分かることがあった。
この両者の激突は、どちらかが100%間違っているというより、「自由な社会をどうやって維持するか」という、根本的なアプローチの決定的な違いから来ているわけだ。
と、ここまで考えた時、僕は、こうも思った。
実は、この根本的すれ違いこそが、現代の世界中の紛争の種になっているのではないのか…?
カープらは、紛争を解決するために、紛争の種を蒔いてるのではないか…?
つまりは、どちらを選んでも、新たな紛争のリスクやディストピアが待っているという、国際政治学でいう「安全保障のジレンマ」に陥ってしまう。
本を読みながら、僕は立ち尽くしてしまった。
――そのときだ。本の中に、こんな一節が忍び込んできた。
「今日のアメリカに出現したテック系のエリートたちは、この新しい宇宙の造物主だ。彼らは、ソフトウェアとAIが人類を救うと考えている節がある」。
なるほど!!
つまり、カープはこう言っているに違いないと、僕は思った。
「いま、シリコンバレーの最前線にいる天才たちは、このどちらを選んでも地獄になる『残酷な二択』そのものを、一気に飛び越えるためのウルトラCを仕掛けようとしているのかもしれない。つまり、人間の愚かな地政学対立も、終わりのない軍拡競争も、すべてを凌駕する『超知能(AGI)』という名の、新しい『神』の誕生。それが導き出す圧倒的な調停能力こそが、人類に残された第三の道なのではないか」と。
もし、そうなら、シリコンバレーの天才たちも、ただ、お花畑に逃げ込んでいるワケではなくなる。
自分の信じるテクノロジーで、自分の信じる倫理観で、しっかり人類の未来を見つめているではないか…!?
僕は興奮し、(少し、藁をも掴む思いで)本を読み進めた。
すると、書かれていたのは、そんな希望的観測などでは全くなかった。
カープは、そのシリコンバレーの「救世主幻想」すらも、冷酷に、完璧に先回りして全否定していたのだ。
カープに言わせれば、僕の抱いた希望は「困難な現実問題からの、究極の形をした逃避(お花畑)」にすぎないという。
第一に、「道徳はアルゴリズムにアウトソーシングできない」。
AIに「軍拡競争を避けるための倫理」を持たせようとしても、そもそもそれを作る人間(テックエリート)自身が、国家や血生臭い価値判断から逃げ回っている不可知論者だ。
カープは、「人間の道徳性に無理を強いる」ような過酷な判断を避けてきたエリートたちには、アルゴリズムに道徳性を教え込むことは無理だと突き放す。
生身の人間が血を流して決断すべき政治的・倫理的な葛藤を、魔法のような超知能が代わりに解決してくれると期待するのは、単なる思考停止だというわけだ。
第二に、「敵のAIは"お花畑"ではない」。
仮に西側諸国の天才たちが、平和的で超賢い「第三の道」を提示するAIを作ったとしよう。
しかし、中国やロシアが開発しているのは、そんな哲学的なAIではなく「確実に敵を殺戮するための軍事AI」だ。
カープは、AIは「核の時代が終わって次の時代が来る今世紀において、バランス・オブ・パワーを決定づける存在だ」と断言している。
いくらこちらのAIが賢くても、相手が武力による現状変更を躊躇しない独裁国家である以上、物理的な破壊力(ハードパワー)で相手を圧倒できなければ自由主義世界は滅びてしまう。
第三に、「機械は人間に従わなければならない」という絶対原則だ。
AIがいかに高度になろうとも、最終的な主体性と責任は人間が負わなければならない。AIを絶対視して人間の判断を委ねてしまうことは、人間から主体性を奪う最悪のディストピアになりかねない、とカープは警告する。
正直、このあたりで僕は少し虚脱した。
カープの論理は隙がなさすぎる。
反論しようとするたびに、先回りされて潰される感覚だ。
それでも、どうしても一つだけ引っかかりが残った。
カープがそこまで敵性国家を疑うのは、相手を「心を持たないモンスター」だと思い込んでいるからではないのか、と——。
だが、浅はかだった……
カープが突きつけてきたファクトは、僕の前提を綺麗にひっくり返した。
カープは相手を悪魔化して見下してなんかいない。
むしろ逆だった。
「相手の知性や文化を正当に評価しているからこそ、心の底から恐れていた」のだ。
カープは、習近平が2015年に訪米した際、ヘミングウェイの『老人と海』について熱く語り、「自国とは異なる文化と文明を深く理解しようと努力することは大切だ」と述べたエピソードを紹介し、「しかるに、私たちもそうすべきである」と強い同意を示していた。
習近平は、文化大革命の過酷な迫害と貧困を生きてきた。
姉の和平が紅衛兵に迫害され、亡くなってもいる(自殺とも言われる)。
その歴史的体験から、彼が行き着いたのは「中国には絶対的な権力(国家=怪物リヴァイアサン)が必要だ」という冷徹な力への信仰だった。
そんなファクトから、カープはこう導き出したわけだ。
西側エリートの楽観的な計算違い(お花畑)は、「経済で緊密に繋がっていさえすれば、武力行使への関心を失わせるのに十分だ」というものだ。
しかし、相手は「自由主義のルール」なんて最初から信じていない。
生き残るために絶対的な「力の支配」を信条とし、なおかつこちらの文化を深く学び、我々を打倒する十分な能力(テクノロジー)を持っている。
だからこそ、我々も圧倒的な力を持たなければ、確実に敗北する……と。
テクノロジーを「神(調停者)」にしようとするシリコンバレーの希望。
テクノロジーは「冷酷な武器」であり、人間が戦う責任から逃げるなと迫るカープ。
果たして、どちらが、僕らの未来を救うのか…?
再び問う。アレックス・カープとは何者か?
僕はかつて、彼についての記事を書いたことがある。
その時も感じたのだが、彼は、天才たちが集うシリコンバレーにおいても、飛び抜けた変人だ。
そもそも、カープはシリコンバレーの巨大テック企業のCEOとしては非常に珍しく、ドイツのゲーテ大学フランクフルト校で「新古典派社会理論」の博士号を取得しているゴリゴリの哲学者・社会学者だ。
だからこそ彼は、テクノロジーの圧倒的な力を誰よりも理解しながらも、同時に人間の本性、歴史の残酷さ、そして権力のメカニズムを深く直視している。
だからこそ彼は、単なる「テクノロジー至上主義者」のように、「AIが人間の倫理的な葛藤まで解決してくれる」といった幻想に逃げ込むことができない。
さらに言えば、パランティアという企業を通じて、アメリカや同盟国の国防・情報機関という「現実の暴力や脅威」と向き合う最前線でソフトウェアを構築してきた経験が、彼の哲学を「机上の空論」ではなく、冷酷なまでの「現実主義(リアリズム)」へと鍛え上げている。
本書の原著の副題は「Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West(ハードパワー、ソフトな信念、そして西洋の未来)」だ。
その心は、個人の自由や民主主義といった「ソフトな信念」を守り抜くためには、AIや軍事技術といったテクノロジーの「ハードパワー」から目を背けてはならず、泥まみれになっても、私たちが自らの手でその力を握り、コントロールし続けなければならない――
これこそが、彼が本書を通じて最も伝えたかった切実なメッセージなのだろう。
正直に言う。
僕はまだ、答えを出せていない。
ただ一つ、この本を読了して、分かったことがある。
深夜の仕事部屋で、ドローンとVRゴーグルの光を眺めながら「テクノロジーはあらゆる問題を解決する」と思い込んでいた自分は、もうどこにもいない。
カープは僕らに「泥まみれになれ」と言う。
それが正解かどうかは、まだ分からない。
でも少なくとも、お花畑の中で「AIが全部うまくやってくれる」と祈り続けることだけは、もう許されない。
ガジェットのほの暗い光は今夜も、答えを教えてくれない。
