山陽道をゆく chapter1-17 倉敷・直島(17)
「これが1995年5月、Richard Longリチャード・ロングが直島に数日間滞在し、流木を集め造った作品です」とFさんは呟いた。

瀬戸内海の流木の円 1997年
→chapter 1-16 倉敷・直島(16)
『これがART⁉️』
絵画や彫刻を制作するにはskillが要る。しかし流木を拾って来て並べるだけなら誰でもできる。
例えば僕が流木をたくさん拾って来て砂浜に並べて置いたとする。これを見た人はせいぜい暇人くらいしか思わないだろう。
ところが世界的に著名なartistが同じように流木をたくさん拾って来て並べ、その場所がmuseumだったら・・・、人々はこれをARTと呼び、絶賛する。
『何が違うのか⁉️』
僕は首を傾げた。
リチャード・ロングは偶然直島に来たのではなく、招待されて来ている点である。
Site specific workである。
芸術作品やプロジェクトの性質を表わす用語で、その場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を活かした作品、あるいはその性質や方法を指す。サイト・スペシフィックな作品やプロジェクトが生まれた背景として、20世紀後半に絵画や彫刻の概念が拡張され、インスタレーション、アースワーク、ランド・アート、パブリック・アート、パフォーマンス、オフ・ミュージアムといったさまざまな表現形態が生まれたことや、ロザリンド・クラウスによる彫刻、建築、風景を巡る議論などが起こったことが挙げられる。また、日本では具体的に1970-80年代のパブリック・アートに対する流行への反省があると考えられている。これらの批判に共通するのが「脱ホワイト・キューブ」「脱美術館」であり、既成の空間から飛び出したアートは、場所の固有性を重視するようになる。「場所の特性」にはその土地の環境や生活空間、歴史的、政治的、文化的な場の成り立ちまで含まれ、作家はそれらの諸条件に注目し、作品に組み込む。サイト・スペシフィックな作風で知られる主な作家に川俣正、アンディー・ゴールズワージーなどがいる。地域で展開されるアート・プロジェクトとも関わりが強く、サイト・スペシフィック志向のアート・プロジェクトの原点に、1977年から開催されているミュンスター彫刻プロジェクトが挙げられる。このプロジェクトの特徴は作品の制作や設置において、アーティストが現地に滞在しながら、市民との議論を重ねて制作をしていく「ワーク・イン・プログレス方式」を採用していることである。国内の代表例としては、越後妻有アートトリエンナーレやベネッセアートサイト直島などがある。
著者
中山亜美
僕がジーと眺めているとFさんは面白いことを言った。
「以前、大掃除の時はどうするのか?との質問をいただきました」
意地悪な質問をした者がいたのだろう。
「写真に撮って図案化し、一旦、流木を移動し、掃除が終わったら元の通りに並べます」とFさんは言い切った。
なるほど僕たちは、土足のまま入場している。多少なりとも土砂を持ち込んでいる。休館日などに掃除をする必要がある。地震等で流木がずれる恐れが無いとは言えない。帯ロープ等で囲んでない以上、誰かの足に当たって位置が動く可能性がある。
いずれにせよ、復元を可能性にして置く必要がある。
ならば並べ方に制作者が何か意図することがあるのか?
考えれば考えるほど解らなくなる。

瀬戸内海のAvonエイヴォン川の泥の環 1997年
故郷の川の泥を持ち込んで描いた
皆が沈黙するまま次の作品に進んだ。故郷のAvonエイヴォン川の泥をわざわざ持ち込んだという製作者のこだわりがおもしろい。制作者は島を巡っいる最中にinspiration‼️閃いたのだろう。
本作品は1997年、Richard Longが直島に滞在し制作した作品です。彼の作品を成立させる最も重要なことは[歩く]という行為です。山や海岸、砂漠などの自然の中を歩くことで自身と自然との関係を捉え、作品化しています。本作品においても自らの制作スタイルを貫き、直島の中を歩いて過ごすなかで制作されました。彼の直島での体験が自ずと反映されている作品です。
次に僕たちが向かったのが、柳幸典 [バンザイ コーナー1996]である。ここだけが撮影禁止箇所である。
撮影禁止の理由は、ウルトラマン(円谷プロ)にある。昭和世代のheroでもあるウルトラマン・ウルトラセブン人形が[バンザイポーズ]で鏡に映し出されると旧日本軍旗に見える仕掛けになっているだ。
先の無謀な戦争で多くの兵士や市民が[バンザイ🙌]と叫び、突撃、自決、玉砕した。80年前の事象である。
戦争は一度始めたら双方に面子があり、なかなか終わらないし、都市が破壊され、多くの犠牲者が出ることは必然である。
だからこそ戦争を絶対にやってはいけないと叫び続けなければならない‼️
戦争に真の勝者はいない‼️
ウルトラマン訴訟(ウルトラマンそしょう)とは、日本の円谷プロダクションとタイのチャイヨー・プロダクション(ソムポート・セーンドゥアンチャーイ社長)との間における、特撮ドラマ「ウルトラシリーズ」の日本国外における独占権に関する一連の訴訟。
円谷プロやチャイヨーの現地法人やそこからライセンスを受けた関連会社の他、チャイヨーから権利を買い取ったバンダイや、譲り受けたユーエム社、ユーエム社の中国代理店であるTIGAや、TIGAからライセンスを受けたという広州藍弧文化伝播(ブルーアーク)、ブルーアークが制作した映画の配給会社など、多数の企業や人員を巻き込み、およそ25年弱にわたる一大訴訟となった。
日本の最高裁判所における判決では円谷プロ側の敗訴となったが、それ以外の国においては事実上、2020年時点で円谷プロ側の完全勝訴となっている。そもそも、日本国外における権利に関する争いであるため、日本国内における判決は実質的な効力が無く意味をなさない。
[バンザイ コーナー 1996] に強い衝撃を受けた。
Wondering Position❣️
柳幸典は1959年福岡県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了後、イエール大学大学院美術学部彫刻科修了。1990年代初頭より、色砂でかたどられた国旗が蟻の巣づくりによって侵食されていく「ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム」シリーズを発表。越境、ボーダレスといった世界の状況を崩れていく国旗のイメージで表現したこの作品をはじめ、天皇制、憲法第9条、大東亜共栄圏といった様々な主題を持つ作品を通して、政治的・社会的問題に取り組んできた。
92年に直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム(当時)の開館を記念した個展に招待された際、銅の精錬所の遺構がある犬島と出合い、95年「犬島プロジェクト(当時)」を着想。尾道市百島の廃校を活用し、柳幸典と協働者たちによる創作活動を通して離島の創造的な再生を試みるアートセンター「アートベース百島」のディレクターを務める。2008年には、明治の近代産業遺産と、自然エネルギーの技術、それらを活用した三分一博志の建築、日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫をモチーフとした柳の作品を融合させた美術館「犬島精錬所美術館」を完成させる。
93年にイエール大学フェローシップ美術学部優秀賞と第45回ヴェネチア・ビエンナーレアペルト部門、95年に第6回五島記念文化財団美術新人賞を受賞。現在は、広島県を拠点に活動する。主な個展に「柳 幸典~ワンダリング・ポジション」(BankART Studio NYK、神奈川、2016)。
アートベース百島に柳幸典のmuseumがあり、ここにも【バンザイ コーナー1991】がある。僕は百島(ももしま)には行ったことはないが、写真で見る限り同じ作品のように見える。

Fさんの案内はふたたび吹き抜けの円筒形の建物に戻った。B1F(地下)といえど吹き抜け構造で天井から採光を巧みに取り入れており、実に明るい。これこそが安藤忠雄建築設計の醍醐味である。

僕の記憶が正しければ、B1F(地下)に下りる階段のおどり場で
「電光掲示板の奥に階段があります。見えますか?」
Fさんは突然言い出してその方向に指差した。
「そう、アレ」
誰が見ても階段以外に表現のしようが無い。
『あの階段がなんだと言うのか?普通の階段ではないか』僕は心の中で呟いた。

ブルース・ナウマン
「この階段は登ったところで終点なのです」Fさんはおもしろいことを言った。
「はぁぁ・・・?」 僕は耳を疑った。
『出口の無い階段?本来なら2Fに通じるべき階段であろう。通じて居れば便利なはずだが・・・』頭の中で考えた。
『では、なんのための階段なのか?』僕は奥の階段に目をやった。
階段の途中に一眼レフを持った男性が撮影していた。その後、その階段が行き止まりのことを知らないようでさらに上に上がって行った。
ふと安藤忠雄さんの顔が浮かんだ❣️。
これも安藤流の仕掛け‼️
観客席なのか⁉️
この広場のような円形の空間で、もしconcertを開いたら?・・・
その男性は不思議そうな顔をして下りて来た。
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