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AIに道徳の問いを聞いたら、"きれいごと"が返ってきた。──だから、教室はまだいるんだと思った話|AI活用100本ノック #042



「現役教員がAI活用を毎日1本書く」と決めた100本ノックの42本目です。

道徳の授業を準備していたときの話です。

教材は「正直 五十円分」。たこ焼き屋さんで、おつりを五十円多くもらってしまう、あの話です。

準備の途中で、ふと思いつきました。

この問いを、AIにそのまま聞いたら、どう答えるんだろう。

軽い気持ちで、打ち込んでみました。

「五十円多くおつりをもらったら、どうするべきですか?」

返ってきたのは、こんな答えでした。

「正直に返すべきです。正直に行動することで相手との信頼が生まれ、自分の心もすっきりします。」

……正しい。

一文の隙もなく、正しい。

でも私は、その答えを読んで、なぜか少しだけ、さみしくなりました。

今日はその「さみしさ」の正体を、書いてみます。

AIは、一瞬で「正しいこと」を言える

まず、すごいんです。

迷いも、ためらいもなく、AIは「正直に返すべき」と即答する。理由まで添えて、きれいにまとめてくれる。

道徳の教科書の「ねらい」に、そのまま載せられそうな答えです。

もし私が、この答えを黒板に書いて「はい、今日のまとめです」と言えば、授業は一応、形になる。

でも、それをやった瞬間に、いちばん大事なものが消える気がしたんです。

子どもが迷うのは、"そこ"じゃない

教室の子どもたちは、「正直に返すべき」かどうかで、そんなに迷いません。

そんなことは、分かっているんです。

子どもが本当に迷うのは、その手前です。

  • 五十円多い、と気づいた。でも、その場で「多いよ」と言えるか。

  • 言ったら、ばつが悪い。もったいない。だまっていても、たぶんバレない。

  • 頭では「返すべき」と分かっている。でも、体が動かない。

この、「正しいと分かっているのに、できない」という溝。

ここでこそ、人間はゆれます。

そして、AIの答えには、この溝がまるごと抜けている。

AIに無いのは、「正しいと分かっていても、できない」という迷いだ。

AIは、正しさを知っている。でも、正しさの前で立ちすくむ感覚は、持っていない。

私がさみしくなったのは、たぶん、ここでした。

だったら、その"きれいごと"を、教材にする

しばらく考えて、発想を逆にしてみました。

AIの「正直に返すべきです」を、消すんじゃなくて、子どもに見せる。

そして、こう聞く。

「AIは、こう言ってるよ。たしかに正しいよね。
……でも、みんな、本当にその場ですぐ言える?」

すると、教室がざわつきます。

「言えないかも」「迷う」「もったいないし」。

AIの優等生的な答えと、自分の本音とのあいだに、ズレが生まれる。

そのズレが、議論の火種になる。

AIを「正解を配る先生」ではなく、「正しすぎて、ちょっと反論したくなるクラスメイト」として、教室のすみに置いてみる。

これは、私が思いついた裏ワザではありません。生成AIを"答え"ではなく"つっこむ対象"として使う先生方の実践に、学ばせてもらいました。

予想は、物語じゃなく「自分」に向ける

もうひとつ、変えたことがあります。

道徳の教材は、結末が決まっています。「正直の話」なんだから、主人公はどうせ最後に返しに行く。子どもはそれを、読む前から見抜いています。

だから「主人公はどうすると思う?」と予想させても、ぜんぶ当たってしまう。

そこで、予想の矢印を、物語の主人公ではなく、自分自身に向けました。

「もし"あなた"だったら、その場で言える? ア・言える / イ・言えない / ウ・わからない」

これは、本気で割れます。

「言えない」「わからない」に、正直に手が挙がる。

そして、ここでも気づくんです。

AIは「自分だったら」を持っていない。 AIには、"自分"がないから。

「自分だったら、どうするか」を、ゆれながら考えられるのは、人間だけなんです。

だから、教室はまだいる

ここまで考えて、最初のさみしさが、少し違う色に変わりました。

AIが、正しさを一瞬で配れる時代になった。

でも、だからこそ。

「正しいと分かっていても、ゆれてしまう」人間の心を扱う場所の価値が、くっきりと浮かび上がってきた気がしたんです。

AIにできないのは、迷いを抱えたまま、人と顔を合わせて、「自分はどうかな」と考えること。

それは、教室にしかない時間です。

正解を配るだけなら、もう、AIで足ります。

でも、正解の前で立ちすくむ気持ちを、みんなで持ち寄る授業は、まだ人間の仕事だと思いました。

おわりに

AIの「きれいごと」は、敵じゃありませんでした。

むしろ、鏡でした。

AIがあっさり言える「正しさ」の隣に、人間の「でも、できないんだよな」を、そっと置いてみる。

その距離をみんなで見つめることが、道徳なのかもしれません。

正解を配る授業から、迷いが残る授業へ。

AIがそれを邪魔する道具になるか、支える道具になるかは、たぶん、使う私しだいです。

あの日のさみしさは、今は、ちょっとした手応えに変わっています。

出典・参考

  • 「正直 五十円分」は、道徳で広く使われている定番教材です。本文中のAIの回答は、実際に生成AIに同様の問いを入力して得た一例で、利用するモデルや時期によって変わります。

  • 授業の「予想」を軸にする発想は、板倉聖宣らによる仮説実験授業の考え方を参考にしています(理科の手法を、道徳に応用したものです)。

  • 生成AIを「答えを出す道具」ではなく「子どもの思考を揺さぶる対象」として教師が活用する考え方は、複数の先生方の実践に学びました。教材本文は複製せず、授業構成・発問は筆者(小学校4年担任)が作成しています。

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