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超訳 純粋理性批判 77 序説編 2 論理学は科学としては、もっとも成功した分野といえる。その理由は、先に書いたその領域での境界が明確だったことにある。境界が明確ということは、多くの認識にたいして、論理学には不要なものを捨てていった。つまり、抽象化していくことで論理学の方法も明確になった。理解力も論理学では、自分が持つスタイル以上のものを必要はしない…

09本文中の [nnn] 表記は、原書第2版のページ番号を示している

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第2版 序文(承前)

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 論理学は科学としては、もっとも成功した分野といえる。その理由は、先に書いたその領域での境界が明確だったことにある。境界が明確ということは、多くの認識にたいして、論理学には不要なものを捨てていった。つまり、抽象化していくことで論理学の方法も明確になった。理解力も論理学では、自分が持つスタイル以上のものを必要はしない。
 しかし、科学として完全なものを求める理性にとっては、そこに困難もあった。だから論理学は、すべての科学の観点からみれば予備的もの、入り口と言えるものだ。だから対象に知識の判定に論理学を前提とするのは、とうぜんであっても、完璧な知識の究明では、客観的な方法を基礎に置く他の方法から、求めることが必要なる。

[b09]
 科学の中に理性が宿るためには、ある事柄がア・プリオリに認識されなければならない。そしてこの認識の対象を関連付けるものとして二つの方法がある。
 その一つが、対象とその概念(これは外から与えられなければならない)を、たんに決定すること。
 そして二つ目は、対象を実際的な現実のものをとすることとなる。
 第一に挙げたのは理性の理論的認識を示すもので、第二は実践的認識を示している。どちらの場合であっても、その多少には関係なく、前もって示されなければならないものがある。それは理性が対象をア・プリオリに純粋なものとして決定するもの、それに言及していなければならない、ってことだ。そして、そこにはほかの要因を持つものが混じってもいけない。
 理性の確立のためには、かなり限定したのを、まず獲得していなければならない、それが以上から観えてくる。それは理性の確立の段階で収支が見合わなくなるのを、徹底して避けるためだ。
 これを家計に喩えれば、収入の量に関係なく見境なく支出を続けたことで招く破綻、これを避けるための明確な予算計画に該当する。ある国での赤字国債も反面教師となるだろう。

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