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奨君に出会ってからは佐伯先生に怒られているような気持になってるから… 奨君って、佐伯先生の息子さん? わたし思うのは、それって先生に怒られた懐かしい思い出が重なったんじゃないかしら? そうかもしれないね。でも不思議なことに佐伯先生に怒られたって思い出がないんだ… 再編 不器用な先生 第169回

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九月二十九日(金)

 昨日はさすがに疲れた。青春の直中さなかにいる二人に圧倒されたような気持ちもしている。幸太郎には教え諭すような口調で話したが、自信をもって話したわけでない。
 幸太郎は、ぼくの内心を見抜いていたかもしれないが、奨はそこまでは考えてはいなかっただろう。
 でも奨を観ていると、ぼくの至らなさを笑っているような佐伯先生の笑顔が、浮かんで仕方なかった。
 その至らなさを教えるために佐伯先生が奨を遣わしたのでないかとさえ寝る寸前まで考えていたものだ。

 目が覚めたら五時を少し過ぎたところだった。傍らの彩が笑っていた。
「信ちゃんの寝言が面白くって」
「どんなことを言ってた?」
「よくは分らないけど、すみませんて何度も言ってたよ」
「そうなんだ! ぼくは多くの人にすみませんって言わなければならないんだろうね」
「ふふっ。可笑しい。少し弱気になってんじゃないの?」
「そうかもしれない。奨君に出会ってからは佐伯先生に怒られているような気持になってるから」
「奨君って、佐伯先生の息子さん?
 わたし思うのは、それって先生に怒られた懐かしい思い出が重なったんじゃないかしら?」
「そうかもしれないね。でも不思議なことに佐伯先生に怒られたって思い出がないんだ。
 得心がいかない問題でぼくが悩んでた時には、とことん二人で語り合ったことはあるけれどね」
「それで得心いくことは多かったの?」
「ほとんどなかった。先生も考えこんじゃっててね」
「それって可笑しい! 信ちゃんが二人いるみたいじゃないの」
「そうかもしれないね。お互いに最後はすみませんって言ったりしてね。
 でも佐伯先生だったら、そんなこと言わないだろうな」
 彩が大声で笑い出した。それは二十年以上間の倫理の時間にぼくを笑った彩の声だった。

          *

 みどり山文学部

 今日から『エミール』を題材にする積りだったが、その前に教育一般について語ることにした。

「これからしばらく、倫理と教育の関係について話す予定です。
 こうしてみんなの前の教壇に立っていますけど、教育をしているのでしょうか?
 ぼくが話すだけならば授業でしょうが、教育とは思えません。教育とは、師と弟子の熱い語らいだと思ってています。
 それは言葉にしなければならない、というものではありません。ぼくの言葉に反応する学生の表情で嬉しいこともあれば悲しいこともあります。
 分からないって顔されたって気持ちはくみ取れます。でも無表情だと悲しくなてしまいます。
 この授業を四月に始めた頃は、大半の人が無表情だったと言っていいでしょう。その時は授業を続けていく自信がなくなりかけました。そうして思ったものです。いつも四月ってこんなだっただろうかって。
 それでみどり山に来たのが五年ぶりだと気が付きました。おかしなものですね。時間というものが絶対的でなく、経験の蓄積の残照のように観えたものです」

 全員がぼくを見つめている。
「今では授業をしながら寂しく思うことは、ほとんどありません。それはみんながぼくの話に関心を持ってきてることを感じるからです。必ずしも理解してもらってるなんて考えてもいません。
 反対する気持ちの人がいても、構わないんです。ぼくの話に興味がなければ、反対することもないでしょう」
 一息ついた。全員がぼくを凝視している。なにか冷や汗のようなものすら感じる。

「カントが道徳を説く中で、“意志の自由〟という言葉を使っています。
 それは経験でなく、自己の理性が事実として認識したとき確立するものです。もう少し優しく言えば、本当に自分の気持の中で正しいと思ったことに従うのが“意志の自由〟と言えると思います。
 どんなに正しいと傍が言っても、自分が納得できないものに従うとき、“意志の自由〟は殺されてしまいます。
 たとえこのような授業であっても、考え方を押し付けてはならないのです。みんなはまだ学び始めたばかりなので、疑問を感じても、どう対応して良いか戸惑うことが多いと思います。それはそれで構いません。どうすれば対応できるかは、いつかは分るはずです」
 みんなが少し安心したような顔になった。

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